
(写真)宝積院の鐘楼。
2025年(令和7年)5月、愛知県知多郡南知多町内海を訪れました。「南知多町内海の映画館」に続きます。
1. 内海の石造物・銅像
1.1 宝積院
宝積院(ほうしゃくいん)は南知多町内海北向18にある曹洞宗の寺院。足場が組まれていたため全体が見えませんが、本堂は内海船の船主である前野小平治の寄進によって天保13年(1842年)に建立されたもの。内海では文政7年(1824年)の泉蔵院金毘羅堂拝殿、天保5年(1834)の高宮神社本殿も前野小平治の寄進によるものです。

(写真)宝積院の本堂。
本堂に向かって左手の建物の前には宝篋印塔があり、下側の塔身参道側には寛政5年(1793年)と、その背面には天保13年(1842年)と刻まれています。

(写真)宝積院の宝篋印塔。
手水鉢は天保12年(1841年)。側面に刻まれている文字が読めません。

(写真)宝積院の手水鉢。
側面全体が木板で覆われている右手の建物は、かつて鐘楼だった建築物です。戦時中に梵鐘が供出された後、側面が土壁で塗りこめられていましたが、近年に木板の壁に替えられたようです。伊藤厚史『学芸員と歩く 愛知・名古屋の戦争遺跡』六一書房、2016年ではこの建物も代替梵鐘(梵鐘代替物)の一種として紹介されています。

(写真)宝積院の鐘楼。

(写真)2010年の宝積院の鐘楼。YouCamでカラー化。
1.2 入海神社
南知多町大字内海字中之郷22の入海神社は中之郷村の旧村社。一般的には知多郡東浦町緒川の入海神社が式内社とされますが、内海の入海神社も式内論社です。

(写真)入海神社の拝殿。
拝殿西側脇の石灯籠は元禄13年(1700年)。すぐ近くの常夜燈は天保10年(1839年)。西側の建物前の石灯籠は安政2年(1855年)。



(写真)入海神社の石灯籠や常夜燈。
1.3 慈光寺
慈光寺は南知多町内海南側63にある浄土宗の寺院。内海川の河口近くの高台にあります。内田家住宅の内田佐七家の菩提寺であり、あごなし地蔵は豊吉が隠岐から持ち帰ったとされるもの。

(写真)慈光寺。
宝篋印塔は嘉永5年(1852年)。内海の寺院には宝篋印塔が多いです。

(写真)慈光寺。
1.4 如意輪寺
如意輪寺は南知多町内海中之郷12にある真言宗豊山派の寺院。文政7年(1824年)に知多四国霊場が開かれた際には、霊場の本部が置かれるほど有力な寺だったそうです。

(写真)如意輪寺。
周囲がお砂踏みとなっている弘法大師像は1916年(大正5年)建立。

(写真)如意輪寺の弘法大師像。
1.5 西岸寺
西岸寺は南知多町内海浦向60にある浄土宗の寺院。内海川河口部の高台にあり、対岸の泉蔵院や慈光寺からも本堂の屋根が見えます。

(写真)西岸寺。
宝篋印塔は弘化3年(1846年)。

(写真)西岸寺。
敷地を囲む塀の近くには「故陸軍歩兵中尉従七位勲五等功五級大道寺忠七君之像」があります。石造だと思いますが定かではありません。大道寺忠七 - Wikipediaは内海貯蓄銀行頭取、知多商業会議所員、内海町会議員、内海町長、愛知県会議員、衆議院議員を歴任した人物で、1905年(明治38年)に日露戦争の奉天会戦で戦死しました。

(写真)西岸寺。


(写真)西岸寺。
本堂に向かって左側の納経所は宝形屋根であり、玄関部分には凝った鬼瓦が付けられています。西岸寺の山号は月光山であり、「薬」字は何を意味しているのだろう。本堂入口脇には一対の鬼面の鬼瓦が置かれています。


(写真)西岸寺。
1.6 泉蔵院
泉蔵院は南知多町内海南側69にある真言宗豊山派の寺院。慈光寺の南側にあり、奈良時代初期創建と伝わる古い寺院です。文政7年(1824年)の石灯籠は備後尾道の商人である大紺屋貞兵衛と竹原屋七郎右衛門による寄進物であり、内海船の廻船業と関連がある石造物とのことです。


(写真)泉蔵院。

(写真)泉蔵院。