
(写真)本渡映劇の建物。
2024年(令和6年)11月、熊本県天草市の本渡市街地を訪れました。
現在の本渡市街地では映画館「本渡第一映劇」が営業を続けていますが、かつては「本渡映劇」、「天草劇場」(本渡天劇)、「本渡東映」もありました。近年には本渡東映や天草劇場の建物が解体されましたが、本渡映劇の建物は衣料品店として現存しています。
「天草市立中央図書館」からの続きです。「本渡第一映劇を訪れる」に続きます。
1. 戦前の劇場・映画館
1.1 十文字座(1894年-1935年)
1894年(明治27年)、天草初頭初の常設劇場として十文字座が開館。本渡橋や諏訪橋の南側であり、現在の天草宝島国際交流会館ポルトの建物南東端の辻付近と思われます。

(写真)十文字座の絵葉書。本渡第一映劇の展示。

(写真)十文字座が描かれている1917年の「本渡町街地図」。『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 天草』国書刊行会、1979年。

(写真)十文字座が描かれている「本渡町市街略図」 『本渡町案内』1929年。
1920年(大正9年)5月には株式会社十文字座が設立され、1926年(大正15年)の『天草案内』には十文字座の広告が掲載されています。昭和初期の1935年(昭和10年)に閉館。1964年10月25日の本渡大火ではこの場所も焼失しました。

(写真)十文字座の広告。 『天草案内』うしほ会、1926年。
1.2 天活館(1919年-1928年)
1919年(大正8年)4月、天草諸島初の活動常設館として天活館が開館しました。この後、1925年(大正14年)には劇場として天草劇場が開館し、1932年(昭和7年)には映画館として中央館が開館しています。
天活館は1928年(昭和3年)にはもう閉館、1930年(昭和5年)頃には十文字座も閉館しており、劇場・映画館の代謝が活発に感じられます。天活館の正確な地点は不明ですが、「諏訪神社前の肥後銀行の後方」とのことです。

(写真)天活館。『天草建設文化史』天草地区建設業協会、1978年。
2. 戦後の映画館
本渡第一映劇の資料室では本渡の映画館の変遷表を見せてもらいました。みくに新聞、天草毎日新聞、天草新聞という地方紙から丹念な調査がなされた力作です。終戦時の本渡には劇場として天草劇場が、映画館として中央館があり、戦後には天草劇場も映画館名簿に掲載されるようになります。

(写真)本渡の映画館の変遷表。本渡第一映劇の展示。

(地図)戦後の本渡の映画館。Googleマイマップ
2.1 本渡東映(1957年-1965年5月)
所在地 : 熊本県本渡市本渡町300(1965年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1965年5月
跡地は「スーパーセンタータイヨーリンドマール店」西南西90mの更地。
1955年(昭和30年)には本渡映劇が開館し、1957年(昭和32年)には本渡東映も開館したことで、本渡の映画館は4館となりました。本渡東映の経営者だった金子康男は、1966年(昭和41年)から1968年(昭和43年)まで本渡市議会議長を務めた人物でもあり、1968年(昭和43年)には本渡市長選挙にも出馬しています(落選)。
この間の1966年(昭和41年)には天草架橋が実現し、離島として初めて離島振興法の指定が解除されました。

(写真)本渡市に4館が掲載されている『映画便覧 1963年版』時事通信社、1963年。
本渡東映のみは熊本県立図書館等で行った事前の文献調査で跡地が判明しませんでしたが、本渡第一映劇の柿久和範さんに聞くと町山口川の北側の船之尾町、ローソン天草城下町店がある交差点の南西角から2軒目とのこと。
なお、本渡東映があった頃にはローソンの交差点から南西に向かう道路はありませんでした。本渡東映の閉館後も建物は長らく存続しており、Googleストリートビューを見ると2018年(平成30年)7月から2019年(令和元年)8月の間に解体されたようです。

2.2 天草劇場(1925年-1971年)
所在地 : 熊本県本渡市本渡町木戸馬場(1971年)
開館年 : 1925年
閉館年 : 1971年
跡地は「カトリック本渡教会」西150mのアパート「ミル・クレインⅠ・Ⅱ」。
天草劇場(本渡天劇)もやはり町山口川の北側にありました。アーケードから道なりに諏訪橋を北に向かうと、この通り沿いにはスナックや居酒屋が点在しています。かつて天劇通と呼ばれた通りを左に折れた場所に天草劇場がありました。

(写真)天草劇場が描かれている「本渡町市街略図」 『本渡町案内』1929年。

(写真)「本渡町市街略図」 『本渡町案内』1929年。

(写真)天草劇場と十文字座が描かれている『大日本職業別明細図 第207号』東京交通社、1930年。
富田義雄は1900年(明治33年)に京都府相楽郡木津町(現・木津川市)に生まれ、地元で建設請負業に従事していました。戦時中の1942年(昭和17年)頃、天草海軍航空隊の建設工事のために天草を訪れ、戦後の1947年(昭和22年)には富田土建工業を設立して社長に就任しました。
戦時中、富田は天草劇場を買収して経営者となっています。さらに、1955年(昭和30年)には本渡商工会議所会頭、1956年(昭和31年)には天草信用金庫理事長、1963年(昭和37年)には熊本県建設業協会代表理事、自民党本渡市支部長と、様々な公職を務めて政財界の有力者となりました。1962年(昭和37年)には紺綬褒章を受章。熊本県で土建暴力事件の摘発が開始された1965年(昭和40年)にあらゆる公職を辞職しました。
なお、教育や児童文化に関する著書を多数著している熊本県出身の富田義雄は、天草劇場経営者の富田義雄とは別人です。

(写真)天草劇場の経営者である富田義雄。『天草建設文化史』天草地区建設業協会、1978年。

(写真)1972年の天劇通(天劇飲食街)。『写真アルバム 天草の昭和』樹林舎、2021年。
天草劇場は1971年(昭和46年)に休館しますが、建物はやはり近年まで存続していました。1階部分はリサイクルショップとホビーハウス天劇が入っていたようです。2階部分壁面のトタンにはうっすら「第一主婦の店と 映画は天劇」と書かれているのが読めます。映画館名簿の年度によっては天草劇場の経営者欄に主婦の店と書かれている場合もあり、スーパーと映画館が一つの建物に共存していたようです。
跡地には2021年(令和3年)9月竣工のアパートが建っており、Googleストリートビューによると天草劇場の建物は2019年(令和元年)8月以降に解体されたようです。このアパートの西隣には鶴田酒店がありますが、鶴田酒店は1934年(昭和9年)の『大日本職業別明細図 第365号』にも描かれている老舗です。


(写真)本渡天劇の跡地にあるアパート。

(写真)天劇通。左端は鶴田酒店。
2.3 本渡映劇(1955年-1989年)
所在地 : 熊本県本渡市中央新町3-26(1988年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1989年
映画館の建物は「天草信用金庫中央支店」南西50mに「ひらやま衣料オズ店」として現存。
1955年(昭和30年)には町山口川の南側に、洋画館として本渡映劇が開館しました。本渡中央銀天街アーケードの東側と西側では東西に延びる路地がずれていますが、これは1964年(昭和39年)10月25日に起こった本渡大火も理由のようです。アーケードから夢咲通りを東に向かった場所に本渡映劇がありました。

(写真)1964年10月25日の本渡大火の焼失範囲。『写真アルバム 天草の昭和』樹林舎、2021年。

(写真)本渡中央銀天街アーケード。

(写真)本渡市に2館が掲載されている『映画館名簿 1988』時事映画通信社、1988年。
前述の本渡の映画館の変遷表によると本渡映劇は1989年(平成元年)に閉館したようです。跡地にある建物を航空写真で見た時から気になっていましたが、柿久和範さんによると、やはりひらやま衣料オズ店として本渡映劇の建物が現存しているとのことです。内部は1階と2階に区切られていますが、映画館閉館後に2階床面を増設したのでしょうか。

(写真)本渡映劇の建物を転用したひらやま衣料オズ店。

(写真)本渡映劇が面していた夢咲通り。
2.4 本渡第一映劇(1932年-営業中)
所在地 : 熊本県天草市栄町5-23(2020年)
開館年 : 1932年
閉館年 : 営業中

(写真)本渡第一映劇。

(写真)本渡第一映劇のロビー。
天草市の映画館について調べたことは「熊本県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(熊本県版)」にマッピングしています。