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深江地域の映画館

(写真)フカエザビル。

2025年(令和7年)3月、大阪府大阪市東成区の深江地域を訪れました。かつて深江地域には映画館「フカエ座」と「大東映画劇場」がありました。

 

1. 深江地域の歴史

東成区は大阪環状線の東側に位置する区であり、深江地域は東成区の東端に位置します。江戸時代には深江村という近世村であり、1889年(明治22年)の町村制施行によって東成郡南新開荘村の一地域となっています。

明治時代の今昔マップを見ると、周辺では一定規模の集落として深江と今里ががあります。今日の周辺地域における繁華街としては東大阪市の布施(東足代)がありますが、明治時代にはまだ深江よりも小さな集落でしかありません。

(写真)明治時代の深江周辺。今昔マップ

 

1914年(大正3年)に大阪電気軌道(現・近鉄奈良線)が開業した際、現在の布施市街地には深江駅が開業。深江駅はその後足代駅に改称した後、1925年(大正14年)に今日の布施駅に改称しています。その直前には深江が属していた神路村が大阪市編入されて東成区の一部となっています。

大正時代から昭和初期には布施が飛躍的な発展を遂げ、1937年(昭和12年)には大阪府5番目の市として布施市が発足しています。東成区の中央部には映画館が集積していた今里がありますが、深江地域から最も近い繁華街は東大阪市の布施であり、映画黄金期の布施には10数館の映画館が密集していました。

 

2. 深江地域を訪れる

深江地域の中央には深江稲荷神社があり、神社の周囲には法明寺など多数の寺院があります。2010年(平成22年)には深江郷土資料館が開館し、2022年(令和4年)には深江郷土資料館別館の一般公開を開始。2023年(令和5年)には法明寺、真行寺、旧幸田家住宅、石川家住宅の建築物が立て続けに登録有形文化財に登録されました。精力的なまちづくり活動が行われている印象を強く感じます。

(写真)法明寺。本堂や山門が登録有形文化財

(写真)深江稲荷神社

 

3. 深江地域の映画館

3.1 大東映画劇場(1941年9月-1963年頃)

所在地 : 大阪府大阪市東成区深江中通6-1(1963年)
開館年 : 1936年10月、1941年9月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1941年9月開館。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年の映画館名簿では「第二楠館」。1943年の映画館名簿では「大東映画劇場」。1947年の映画館名簿では「大東映画」。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「大東映画劇場」。1963年の映画館名簿では「OK名画座」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「たんぽぽ深江ビル」。

深江地域西部の国道308号沿いには大東映画劇場がありました。戦前の映画館名簿では第二楠館という名称で掲載されている年もあり、晩年にはOK名画座として掲載されている年もあります。経営者の種田鉄馬はフォード車を販売するニュー大阪モータース社長であり、大阪労働総同盟の幹部や日本社会党選出の大阪府議会議員も務めていたようです。

(写真)大東劇場が描かれた『最新東成区精図』昭文社、1960年。

 

3.2 フカエ座(1951年12月28日-1980年)

所在地 : 大阪府大阪市東成区深江南3-16-28(1980年)
開館年 : 1951年12月28日、1958年頃(ビル化)
閉館年 : 1980年
『全国映画館総覧 1955』によると1954年6月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1957年の映画館名簿では「深映座」。1958年・1959年の映画館名簿では「深江座」。1960年・1963年の映画館名簿では「深映座」。1964年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「フカエ座」。1981年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「法明寺」南にある雑居ビル。東成区最後の映画館。

1957年(昭和32年)刊行の『東成区史』によると、深映座の開設年月日は1951年(昭和26年)12月28日となっています。一方で、1955年(昭和30年)刊行の『全国映画館総覧 1955』によると、深映座の設立年は1954年(昭和29年)6月となっています。

(写真)大東映画劇場と深映座が掲載されている『東成区史』東成区、1957年。

(写真)大東映画劇場と深映座が掲載されている『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年。

 

各年版の映画館名簿には建物構造も掲載されていますが、1958年版(木造2階建、定員200)と1959年版(鉄筋造3階建、定員700)では建物構造が大きく異なっており、1958年(昭和33年)頃に鉄筋造のビルに建て替えたと推測できます。映画館名簿にフカエ座が登場するのは1980年版が最後であり、1980年(昭和55年)頃に閉館したと推測できます。

深江郷土資料館に問い合わせたところ、「フカエザビルの外側は映画館時代からの物だが、内部はリノベーションされて色んなテナントが入っている」とのことでした。フカエザビルに定礎プレートは確認できませんでしたが、以上のことから1958年(昭和33年)頃竣工のようです。

(写真)フカエザビルの建物入口。

 

Googleストリートビューでフカエザビルを見ていて気になったのは、このような商業ビルとしては珍しい片流れ屋根です。西側が3階建、東側が2階建になっています。

(写真)片流れ屋根を有するフカエザビル。

(写真)フカエザビルの建物入口。

 

建物西側にあるビル入口から2階に上ると、2階の西側と東側で階段4段分の差があり、西側と東側で階高が異なっているのが分かります。

建物西側はロビーなどがあった部分だと思われ、建物東側は映画館のホールがあった部分だと思われます。1980年(昭和55年)頃の閉館後、ホールだった部分に2階の床面を増設して商業ビルとしたと推測できます。西側はもともと2階・3階があり、上層階には映写室や事務室などがあったのではないでしょうか。ホール部分は平屋建でロビー側のみ2階建とするのはこの時代の映画館に多い特徴です。

(写真)東西で階高が食い違う2階。手前が建物西側、左奥が建物東側。

(写真)建物東側の2階。

(写真)フカエザビル(右)が面する通り。

 

深江地域の映画館について調べたことは「大阪市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(大阪府版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com




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