
(写真)浅川座の建物。
2025年(令和7年)4月、福島県石川郡浅川町を訪れました。かつて浅川町には芝居小屋・映画館「浅川座」があり、浅川座の建物は現存しています。「浅川町を訪れる」からの続きです。
1. 浅川町の映画館
1.1 浅川座(1902年頃-1969年頃)
所在地 : 福島県石川郡浅川町(1969年)
開館年 : 1902年頃
閉館年 : 1969年頃
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「浅川座」。1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「浅川座」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「浅川郵便局」南東130mに現存。
浅川市街地のメインストリートがクランク状になっている部分がありますが、クランク部分から東に向かうと最初の辻の北東角に浅川座の建物が現存しています。
建物北側と西側の二面が通りに面していますが、入口のない建物側面を通りに接して建てるのは無駄が多く、二面が通りに面した芝居小屋/映画館は珍しいです。ひなたGISで朝倉市街地の地形図を見てみると、1933年(昭和8年)時点ではまだ西側の通りが存在しません。

(写真)浅川座が掲載されている『映画便覧 1963』時事通信社、1963年。

(写真)浅川座。
浅川座の経営者
浅川座は1902年(明治35年)の台風時に発生した倒木を用いて建てられ、1927年(昭和2年)には任侠一家の親分だった貝山実吉が買収して経営者となりました。国鉄水郡線が開通する7年前のことですが、鉄道開通による繁栄を見越しての買収でしょうか。
浪曲師の三波春夫は浅川座で名を上げ、貝山実吉を「第二の父」と呼んでいたようです。戦後には息子の貝山功が経営者となっていますが、父のことを「最後の日本人」と呼んでいます。
1975年(昭和50年)にはキネマ旬報の連載「われらの映画館」にも登場しました。映画館文化が低迷していた1970年代に、主に地方都市の映画館を取り上げた貴重な資料であり、連載「新・盛り場風土記」のように書籍化されてほしいものです。




(写真)「われらの映画館 第86回 浅川座」『キネマ旬報』1975年9月上旬号。
永昌寺の本堂左手前には貝山家の墓石がありました。墓誌によると貝山実吉の没年月日は1981年(昭和56年)2月11日(84歳)、貝山功の没年月日は2004年(平成16年)12月9日(60歳)であり、2005年(平成17年)に貝山栄子が墓石を建立しています。

(写真)永昌寺にある貝山家の墓石。
浅川座の建物
浅川座は南側に入口がある妻入の建物であり、妻部分には「座川浅」という大きな文字が描かれています。なお、2022年度(令和4年度)には浅川町議会でも浅川座の廃墟化が問題視されていますが、2年経っても問題は解決していないようであり、老朽化と荒廃が進行しています。
ホール部分の屋根、東側の壁面が完全に崩壊しており、屋根は南端と北端部分のみ猫の耳のように残されていました。天井には商店の広告が描かれていたとのことですが、既に天井が失われているため天井広告を確認するすべがありません。
それほど大きくない地震で倒壊してしまう可能性もあると思われ、通りに面した部分には浅川町建設水道課によって赤色のコーンと黄黒のコーンバーが廻らされています。ひっそりと取り壊される日も近いのではないかと感じました。

(写真)浅川座。

(写真)浅川座。

(写真)浅川座。
浅川町の映画館について調べたことは「福島県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(福島県版)」にマッピングしています。