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逗子市の映画館

(写真)シネマ・アミーゴ。

2025年(令和7年)3月、神奈川県逗子市を訪れました。

現在の逗子市にはシネマカフェ「シネマ・アミーゴ」があります。かつて逗子市には映画館「逗子東映」(逗子映画劇場)、「逗子日活劇場」(逗子民映)、「逗子名画座」、「逗子銀映座」がありました。

 

1. 逗子市立図書館

(写真)逗子市立図書館。

 

1.1 逗子市の絵図

1928年(昭和3年)に発行された「鳥瞰図 逗子と三浦」は赤・黄・緑・青の4色が鮮やかな絵図であり、三浦郡逗子町が観光PRのために作成したと思われます。

(写真)「鳥瞰図 逗子と三浦」逗子町役場、1928年。逗子市立図書館所蔵。

 

当時の逗子町に通っていた鉄道は国鉄のみであり、湘南電気鉄道(京急逗子線)の開業は1930年(昭和5年)のことです。1926年(大正15年)開業の逗子ホテル(後の逗子なぎさホテル - Wikipedia)も大きく描かれており、1950年代には石原慎太郎原作の小説・映画『太陽の季節』の舞台となっています。その他には、亀岡八幡宮は「八幡社」、伝統校の逗子開成中学校・高校は「中学校」として、移転前の神奈川県立逗子高校は「女学校」として描かれています。

(写真)「鳥瞰図 逗子と三浦」逗子町役場、1928年。逗子市立図書館所蔵。

 

1950年代から1960年代の市勢要覧には絵図が掲載されていることがありますが、『逗子市勢要覧1959年』にも「市内案内図」が掲載されていました。「鳥瞰図 逗子と三浦」と比べると旧跡が中心であり、民間施設である逗子なぎさホテルなどは描かれていません。

(写真)「市内案内図」『逗子市勢要覧1959年』逗子市、1959年。逗子市立図書館所蔵。

 

2. 逗子市の映画館

2.1 逗子銀映座(1952年3月11日-1962年頃)

所在地 : 神奈川県逗子市逗子1000(1962年)
開館年 : 1952年2月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年2月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「逗子銀映座」。1960年・1962年の映画館名簿では「逗子銀映座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「アビバ逗子駅前店」とフィットネスクラブ「エニイフィット24逗子店」が入る建物。

1952年(昭和27年)には逗子銀座商店街(銀座通り)に逗子銀映座が開館しました。晩年の映画館名簿を見ると経営者は金竜興業であり、横浜市曙町にあった横浜東急と同一経営者だと思われます。

(写真)1953年頃の逗子銀映座。『写真・資料で見る逗子の戦前・戦後』逗子に市立博物館をつくる会、2005年。

 

逗子銀映座は逗子市で最も早く閉館した映画館ですが、逗子市で最も賑わう通りにあったためか、文献での言及の多い映画館です。

(写真)逗子銀映座跡地の建物(右奥)と逗子銀座通り。

(写真)パチンコ店が入る逗子銀映座跡地の建物。

(写真)逗子銀座通り。

 

2.2 逗子名画座(1956年8月2日-1963年頃)

所在地 : 神奈川県逗子市逗子262(1963年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1963年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「逗子名画座」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「オークマンション逗子」建物南西部。

1927年(昭和2年)には逗子町のなぎさ通りに逗子常設館が開館しますが、戦時中の建物疎開で解体されました。

(地図)逗子常設館が描かれている『大日本職業別明細図 320号』東京交通社、1933年。

 

戦後にはなぎさ通りに逗子名画座と逗子日活劇場が開館し、逗子名画座は松竹や大映、逗子日活劇場は日活を上映していました。両者は隣接しており、いずれも正根吉次の協栄興業が経営していました。横須賀市衣笠駅前で並木座を経営していたのも協栄興業です。逗子常設館の跡地なのか、ややずれた場所にあったのかはわかりません。

(写真)逗子名画座が描かれている昔の逗子市街地。『激動期の日本 逗子を語る』元逗子に市立博物館をつくる会、2012年。

 

逗子名画座と逗子日活劇場の跡地にはマンションが建っています。

(写真)逗子名画座跡地のマンション(左)となぎさ通り。

 

2.3 逗子日活劇場(1958年頃-1970年頃)

所在地 : 神奈川県逗子市逗子262(1970年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1970年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「逗子民映」。1963年の映画館名簿では「逗子日活」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「逗子日活劇場」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「オークマンション逗子」建物南東部。

(写真)逗子日活劇場と逗子銀映座にあたる映画館が描かれている『神奈川県都市地図集』昭文社、1965年。

 

2.4 逗子東映(1951年1月1日-1973年1月)

所在地 : 神奈川県逗子市逗子5-10-26(1973年)
開館年 : 1951年1月1日
閉館年 : 1973年1月
『全国映画館総覧 1955』によると1951年1月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「逗子映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「逗子東映劇場」。1973年の映画館名簿では「逗子東映」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「京急バス逗子営業所」。

京急逗子線逗子海岸駅の駅前には1951年(昭和26年)1月1日に開館した逗子東映(逗子映画劇場)がありました。経営者は湘南文化興業であり、設立当初は京急傘下でしたが、開館後には傘下を離れています。

(写真)1954年の逗子映画劇場。『写真アルバム 鎌倉・逗子・葉山の昭和』いき出版、2014年。

(写真)逗子東映が写る昭和40年代の逗子市街地。『写真・資料で見る逗子の戦前・戦後』逗子に市立博物館をつくる会、2005年。

(写真)逗子東映にあたる映画館が描かれている『神奈川県都市地図集』昭文社、1965年。

(写真)東映や逗子海岸駅が描かれている昔の逗子市街地。『激動期の日本 逗子を語る』元逗子に市立博物館をつくる会、2012年。

 

1973年(昭和48年)に逗子東映が閉館した後、1985年(昭和60年)には逗子海岸駅が京浜逗子駅と統合され、今日の逗子・葉山駅が開業しています。逗子東映や逗子海岸駅の跡地は京急バス逗子営業所となっています。

(写真)逗子東映跡地の京急バス逗子営業所。

 

2.5 シネマ・アミーゴ(2009年-営業中)

所在地 : 神奈川県逗子市新宿1-5-14
開館年 : 2009年
閉館年 : 営業中
映画館名簿には掲載されていない。

2009年(平成21年)8月9日、映画も上映するカフェとして新宿地区にシネマ・アミーゴが開業しました。2025年(令和7年)現在はシネマカフェという形態の施設が増えてきており、湘南ではシネマ・アミーゴに加えてシネコヤもありますが、シネマ・アミーゴはシネマカフェの先駆けだったと思われます。※シネコヤはシネマカフェを名乗っていない。

この日の上映作品は、10時からドキュメンタリーの『どうすればよかったか?』、12時30分からドキュメンタリーの『ラディカル・ラブ ~サティシュ・クマール 巡礼の旅~』、15時からアルノー・デプレシャン監督作『映画を愛する君へ』、17時30分から再び『どうすればよかったか?』でした。

(写真)シネマ・アミーゴ。

(写真)シネマ・アミーゴの入口。

(左)シネマ・アミーゴと通り。(右)逗子銀座通りにあるシネマ・アミーゴの掲示板。

 

逗子市の映画館について調べたことは「神奈川県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(神奈川県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com




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