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館林市の映画館

(写真)分福茶釜がモチーフのカラーマンホール。

2025年(令和7年)3月、群馬県館林市を訪れました。

現在の館林市に映画館はありませんが、かつては映画館「館林清流映劇」、「清流小劇場」、「館林クラブ」(帝国館)、「館林キネマ」(電気館)、「館林大映劇場」(富貴座)がありました。

 

1. 館林市立図書館

館林市群馬県の南東端にある人口約7万人の自治体。分福茶釜の由来となった茂林寺があり、タヌキが描かれたカラーマンホールがありました。一方で館林城を救った狐伝説もあり、館林市立図書館はキツネをアイコンに用いています。

館林市第一資料館と共通の入口はやや奇妙で、建物の歴史が気になります。郷土資料コーナーに入るためには申請書の記入が必要でしたが、それほど意味のない手続きに思えます。

(写真)館林市立図書館。

 

映画黄金期の館林市には4館の映画館があり、うち3館は平成初期まで存続した映画館ですが、ウェブ上ではこれらの映画館の情報がほとんど確認できません。とはいえ『館林の町並みと建造物』(館林市史 特別編第6巻)などの文献は映画館にも言及していました。充実した自治体史なのでデジタル化を進めてほしいものです。館林市では21世紀になって市史編さん事業に取り組んでおり、2024年(令和6年)には館林市史の発刊開始から20周年を迎えたとのことです。

(左)一般書の開架。(右)郷土資料コーナー。

(左)郷土資料コーナー。(右)映画館に言及する郷土資料。

 

2. 館林市の映画館

2.1 富貴座/館林大映劇場(1910年4月-1973年)

所在地 : 群馬県館林市鷹匠町851-1(1973年)
開館年 : 1910年4月(富貴座)、1948年9月(映画常設館化&館林大映劇場改称)
閉館年 : 1973年
『全国映画館総覧 1955』によると1948年9月開館。1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「富貴座」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「館林大映劇場」。1973年の映画館名簿では「館林大映」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「鷹匠武家屋敷武鷹館 長屋門」南側。

戦前の邑楽郡(おうらぐん)館林町には芝居小屋として富貴座が、映画館として館林キネマと館林クラブがありました。最も早く開館したのが富貴座であり、1910年(明治43年)に家富忠三郎によって上毛モスリン - Wikipediaの従業員慰安施設という体裁で設立された経緯があります。

(写真)館林町に館林キネマと富貴座が掲載されている『全国映画館録 昭和11年度』キネマ旬報社、1935年。

 

上毛モスリンは館林町を拠点としていた毛織物業の企業であり、館林の近代化や発展に大きく貢献しましたが、1926年(大正15年)8月に破産して別会社に吸収されています。1970年代まで事務所や工場の建物が残っており、富貴座開館前年の1909年(明治42年)に竣工した旧上毛モスリン事務所は群馬県指定文化財に指定されています。

上毛モスリンが破産する前年、1925年(大正14年)には富貴座設立15周年を記念して設立目的や経緯を刻んだ石碑が建立されました。戦後の1949年(昭和24年)には映画館化して館林大映劇場に改称しました。北隣にあった館林清流映劇とともに原田文雄社長の清流映画有限会社が経営していた映画館です。1973年(昭和48年)には館林大映劇場が営業を終了し、跡地には清流小劇場が入る清流ホテルが竣工しています。

 

石碑「十五週年記念」

十五週年記念

館林の中央に芝園あり富貴座と称す〇も当劇場の起因は本部渡瀬村の人家富忠三郎氏が上モスリン株式会社を創設するに当り千有余名の従業者の労務を慰安するの機関なきを違感とし劇場を建設して是が娯楽場とし一二は本町殷盛の一助たらしむる為め明治四十二年盛夏八月起工翌四十三年四月開場式を挙行したり爾来松本来助氏興行主任として鋭意経営に方りたるが大正七年十二月老齢の為め隠退し梅澤紋三郎氏其後を継ぎ愈々斯道の改発と劇場改善に尽す所あり時恰も開場十五週年に際し紀念の為め関係者一同相企り建立

大正十四年九月 建設者

(写真)石碑「十五週年記念」。(右)裏面。


石碑「十五週年記念」の下部には、発起人として梅沢紋三郎、後援者として増沢九平、仕切場として甲口太七、表方として増沢いね、金子栄蔵、小食三吉、荻野七五郎、平田房吉、大道具として山野友三郎、卯月新蔵、増沢辰次、中茶屋として打木正夫、松野とよ、〇沢梅次郎、太田縫次郎、石工として田部井鶴三郎の名前が刻まれています。

(写真)上毛モスリン。『館林繁昌記 明治・大正編』群馬出版センター、1992年。

 

昭和初期の館林町を題材とした絵図として1934年(昭和9年)の「上州館林大観」があります。当時の市街地にあった商店が多数描かれており、富貴座があったブロックには中央市場や鳥仙食料品店が描かれていますが、なぜか芝居小屋や映画館は描かれていません。

(写真)富貴座は描かれていない「上州館林大観」1934年。

(写真)1954年頃の館林大映。『館林繁昌記 明治・大正編』群馬出版センター、1992年。

 

戦後、館林大映劇場や館林清流映劇を経営する清流映画有限会社は『清流新聞』を発行していました。館林市立図書館には1962年(昭和37年)から1988年(昭和63年)までの『清流新聞』の製本(欠号多数)があり、この2館の動向を追うことができます。

タヌキが茶釜に化ける分福茶釜の伝承は館林市にある茂林寺を舞台とする話ですが、1962年(昭和37年)の東宝作品『喜劇 駅前茶釜』は館林市でもロケが行われ、森繁久彌伴淳三郎フランキー堺などが館林市を訪れました。7月13日には東京での封切と同時に館林大映劇場でも公開され、前売券は空前の売上を示したとのことです。

(写真)「館林ロケ決定! 東宝映画『駅前茶釜』」『清流新聞』1963年5月25日。

 

1960年代の映画はなかなか観る機会がありませんが、1970年代の映画とは違ってはっきり古さを感じる作品が多く、この年代の自動車はおもちゃのように見えます。『喜劇 駅前茶釜』と同時期の『清流新聞』にはスバル360の広告も掲載されていました。

(写真)「広告」『清流新聞』1963年5月25日。

(写真)館林大映劇場が最後に掲載された『映画館名簿 1973年版』時事映画通信社、1972年。


2.2 電気館/館林キネマ(1918年-1982年)

所在地 : 群馬県館林市大手町7-6(1975年)
開館年 : 1918年(電気館)
閉館年 : 1982年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1925年・1927年・1930年の映画館名簿では「電気館」。1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1973年・1975年の映画館名簿では「館林キネマ」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「館林観光バス駐車場」。

館林キネマと館林クラブの2館は館林映画興行株式会社の経営でした。館林映画興行の創設者は家富偵五郎であり、館林町会議員や館林市議会議員も務めた人物です。1954年(昭和29年)には早稲田大学出身の家富昭次が跡を継ぎましたが、家富昭次は宍戸錠田村高廣、森美貴、桂小金治とは家族ぐるみの付き合いがあったとのことです。

(写真)館林町に電気館のみが掲載されている『日本映画事業総覧 昭和5年版』国際映画通信社、1930年。

(写真)1977年の館林キネマ。『館林の町並みと建造物』館林市、2018年。

(写真)館林キネマ跡地の館林観光バス駐車場。

 

2.3 帝国館/館林クラブ(1922年頃-1990年)

所在地 : 群馬県館林市本町2-15-3(1990年)
開館年 : 1922年頃(帝国館)、1949年
閉館年 : 1990年
『全国映画館総覧 1955』によると1949年開館。1925年・1927年の映画館名簿では「帝国館」。1930年・1934年・1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「東宝館林クラブ」。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「館林クラブ」。1992年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「日本生命館林営業部」建物東側と駐車場。

(写真)1954年頃の館林クラブ。『館林の町並みと建造物』館林市、2018年。

(写真)1977年頃の館林クラブ。『館林の町並みと建造物』館林市、2018年。

 

1962年(昭和37年)の「館林市商工案内図」には館林映画興行が経営する館林クラブと館林キネマのみが描かれており、清流映画が経営する館林大映劇場や館林清流映劇は描かれていません。

(写真)館林クラブと館林キネマが描かれている「館林市商工案内図」1962年。

(写真)館林クラブ跡地の日本生命

2.4 清流小劇場(1974年-1997年)

所在地 : 群馬県館林市大手町7-26(1997年)
開館年 : 1974年
閉館年 : 1997年
1975年・1980年の映画館名簿では「清流小劇場」。1985年の映画館名簿では「館林清流映劇2」。1990年・1992年の映画館名簿では「館林清流映画館2」。1994年・1995年・1997年の映画館名簿では「館林シネマ」。1998年の映画館名簿には掲載されていない。館林大映劇場跡地に建ったホテル1階。跡地は「鷹匠武家屋敷武鷹館 長屋門」南側。

1973年(昭和48年)には清流映画が経営する館林大映劇場が閉館し、1974年(昭和49年)4月には跡地にビジネスホテルのホテル清流が竣工しました。52室を有する館林市初のビジネスホテルとのことで、1階部分には映画館の清流小劇場が入りました。

(写真)清流小劇場が入っていたホテル清流の広告。『清流新聞』1974年6月5日。

(写真)ホテル清流、隣接地にある清流映画劇場の広告。『清流新聞』1974年2月1日。

 

ホテル清流の跡地は更地となっており、石碑「十五週年記念」のみが映画館の痕跡を示しています。道路沿いには長屋門が移築されていますが、更地部分にも建物を建てる予定があるのでしょうか。

(写真)清流小劇場跡地の更地。

 

2.5 館林清流映劇(1958年-1997年)

所在地 : 群馬県館林市大手町7-26(1997年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 1997年
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「館林清流劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「館林清流映画劇場」。1973年の映画館名簿では「館林清流映劇」。1975年・1980年の映画館名簿では「館林清流映劇」。1985年の映画館名簿では「館林清流映劇1」。1990年・1992年の映画館名簿では「館林清流映画館1」。1994年・1995年・1997年の映画館名簿では「館林マンガ館」。1998年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「鷹匠武家屋敷武鷹館 長屋門」北側。

館林清流映劇は館林大映劇場とともに清流映画が経営していた2館の片方です。1974年(昭和49年)以降は清流小劇場との2館体制で営業を続け、1997年(平成9年)に閉館しました。跡地は長屋門北側の駐車場です。

(写真)館林マンガ館(館林清流映劇)と館林シネマ(清流小劇場)が掲載された『映画館名簿 1997年版』時事映画通信社、1997年。

(写真)館林清流映劇跡地近くに移築された長屋門

 

館林清流映劇やホテル清流があったブロックの南側には、中央部がクランク状になった清流通りがあり、「手打 中華そば 森田屋支店」「割烹 やき鳥 美鈴」「井岡理容室」などの看板が商店街の面影を残しています。

(写真)館林清流映劇の南側にある清流通り。

(写真)館林清流映劇の南側にある清流通り。

 

館林市の映画館について調べたことは「群馬県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(群馬県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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