
(写真)準備された文献。
2025年(令和7年)2月22日(土)、三重県亀山市の関宿で開催された「ウィキペディアタウン亀山Vol.2」に参加しました。「関宿を訪れる」からの続きです。
1. イベント概要
1.1 亀山市立図書館の変化
私は亀山公園にあった亀山市立図書館の旧館を2度訪れたことがありますが、旧館は郷土資料の書架がカウンター内に設置されていて自由に見ることができないなど、調査研究に図書館を利用する者としては不満も抱く図書館でした。
2023年(令和5年)1月にはJR亀山駅前に亀山市立図書館の新館が開館しました。新館は郷土資料が開架に並べられ、郷土資料の中でも「鉄道」、「茶」(亀山茶)などは個別の見出しや視覚的に訴えるレイアウトで紹介されるなど、旧館とははっきりとした違いを感じました。亀山市立図書館は基本理念として「学びの場からつながる場へ」を、基本方針のひとつに「知との出会いとその蓄積の場の創出」を掲げており、旧来型の図書館とは異なる様々な取り組みを行っているようです。

(写真)郷土資料コーナーの「茶」の見出し。

(写真)亀山市立図書館。
1.2 1年前のウィキペディアタウン
2024年(令和6年)2月24日には第1回目のウィキペディアタウンとして亀山市街地で「ウィキペディアタウン亀山」が開催され、Wikipediaに「亀山神社 (亀山市) - Wikipedia」「野村一里塚 - Wikipedia」「忍山神社 - Wikipedia」の3記事が作成されました。私は亀山神社のグループでファシリテーター役として参加しています。
新館の入館者数は旧館時代とは歴然とした差があり、若い利用者が多いなど来館者の層も全く異なっているようです。ウィキペディアタウンは地域情報の発信を行うワークショップですが、新たな来館者への刺激になればと思います。ちょうど1年ぶりに第2回目のウィキペディアタウンとして開催されたのが今回のイベントです。
2. まちあるき
今回のイベントは午前中の会場が関市街地の東海道関宿、午後の会場が亀山市街地の亀山市立図書館でした。ウィキペディアタウンではWikipediaの説明を聞いてからまちあるきを行うことが多いのですが、今回は午前と午後で会場が異なるという理由で、集合してすぐに関宿のまちあるきを行い、午後に図書館内でWikipediaの説明を聞くという形でした。
関宿は東海道に沿って横長の町並みが形成されている宿場ですが、集合場所の裏通り沿いを歩いて様々な説明を聞き、表通り(東海道)沿いを歩いて集合場所に戻るというコースでした。町屋が建ち並ぶ街道の裏手には寺社が並んでいます。

(写真)瑞光寺で石造物の解説を聞く参加者。

(写真)まちあるき中の参加者。
3. Wikipedia編集
各自で関宿から亀山市立図書館に移動し、午後は亀山市立図書館の多目的室が開場となりました。まずは講師である青木和人さん(福井県立大学地域経済研究所教授)からWikipediaの説明を聞き、「関の小万」「関の山車」「関宿」の3グループに分かれてグループワークを行いました。
3.1 アカウント作成ができない状況
私は関宿グループに入り、作業の進行を円滑に進めるためのファシリテーター役を務めました。他の2グループにも熟練編集者が入ってファシリテーター役を務めています。なお、参加者の中にはアカウントを作成せずに参加している方が複数いましたが、会場の公衆無線LAN(Wi-Fi)はIPアドレスが編集ブロックされていてアカウント作成ができない状態でした。
アカウント作成権限を有する漱石の猫さんが一般参加者として参加していたため、最終的にはアカウント作成自体はできましたが、講師扱いではない一般参加者のアカウント作成者権限に頼らなければいけない状況はできる限り避けるべきです。また、グループによってはアカウント作成の段階で時間を大きく浪費してしまった上に、Wikipedia編集作業の本質とは遠い部分であれこれ指示されることでいらいらしてしまった年配の参加者もいたようです。
この2年ほどで、「会場のWi-Fiが編集ブロックされていてアカウント作成や編集ができない」という状況に出くわすことが増えています。ウィキペディアタウンの講師を行う方は管理者権限またはアカウント作成者権限が必須なのかもしれません。

(写真)講師の青木さんの説明。

(写真)準備された文献。
3.2 編集記事
イベント全体の編集記事は以下の通りです。なお、「関の山車」グループはWikipedia本体(いわゆる「標準名前空間」)への投稿には至らず、ファシリテーターの下書きページ内での編集にとどまりました。このグループでは上述したアカウント作成の問題があったようです。この題材を新規作成することに無理がなかったか、また講師扱いされずに善意で参加しているファシリテーターに過度な負担がかかっていなかったか、検証が必要だと思います。
関の小万 - Wikipedia - 新規作成。
関宿 - Wikipedia - 加筆。
関の山車 - 利用者ページで作業されたが未投稿。
地蔵院 (亀山市) - Wikipedia - 加筆。
深川屋 - Wikipedia - 加筆。

(写真)編集中の参加者。


(写真)編集中の参加者。
3.3 Wikipedia「地蔵院 (亀山市)」
江戸方から京方に向かって関宿を歩いた際、東海道の正面には地蔵院の瓦屋根が見えます。地蔵院は関宿の景観における重要な要素ですが、歴史節の記述が不十分で書きかけ感のある記事だったため、グループワークと並行して既存記事の加筆を行いました。
創建時の記述のみだった歴史節を、創建、近世、近代の小節に分け、それぞれの小節について『関地蔵院案内記』などから加筆を行いました。他グループが新規作成した関の小万の記述も添えています。
本堂、愛染堂、鐘楼という3棟の重要文化財があるなど、火災が頻発する宿場にありながら歴史ある建築物が多く残った境内も地蔵院の特徴です。新たに境内節を設置し、建築物に加えて石碑「明治天皇関行在所」の画像なども追加しました。なお、第1回ウィキペディアタウンでは建築物「明治天皇亀山行在所遺構」のある亀山公園を見学しており、第1回と第2回のウィキペディアタウンがリンクする史跡でした。

(写真)境内節を設置したWikipedia「地蔵堂 (亀山市)」。
個人的に興味深かったのは慶応元年(1865年)に2代目歌川国輝が製作した浮世絵『末廣五十三次 関』です。この浮世絵には二層の屋根を持つ「地蔵堂」が描かれており、上層の屋根は入母屋屋根となっているほかに、2階部分には回廊のような表現も見えます。
地蔵院の現行本堂が建てられたのは元禄13年(1700年)であり、浮世絵内の「地蔵堂」は地蔵院現行本堂と考えて間違いないと思われますが、現行本堂は寄棟造かつ一重であり、浮世絵は実際の建物と全く異なる姿で描かれているのです。浮世絵の「地蔵堂」は現行本堂とは異なる建物なのでしょうか。それとも、2代目歌川国輝が現地を訪れずに製作した結果としてこのようにおかしな姿になったのでしょうか。


(左)『末廣五十三次 関』に描かれた地蔵堂。(右)現在の地蔵院本堂。

(写真)二代目歌川国輝『末廣五十三次 関』1865年。
3.4 Wikipedia「深川屋」
銘菓「関の戸」を製造販売する深川屋(ふかわや)も既にWikipedia記事があった題材です。イベント開始前時点の節構成は「概要」と「関の戸」の2節であり、節構成に難があったほか、ウェブ出典しか用いていないという欠点がありました。
そこで、節構成を「歴史」「建物」「商品」の3節に修正した上で、それぞれの節について『鈴鹿関町史 上・下』『目で見る 鈴鹿・亀山・関の100年』『関地蔵院案内記』などから加筆しました。深川屋も地蔵院と同様に関宿のランドマーク的存在の町屋であり、Wikipedia記事「関宿」の加筆と並行して編集する意義があったのではないかと思います。

(写真)深川屋。