
(写真)関宿の町並み。
2025年(令和7年)2月22日(土)、三重県亀山市の関宿を訪れました。「ウィキペディアタウン亀山Vol.2」に続きます。
1. 関宿を訪れる
1.1 芝居小屋跡地
あらゆる年代の映画館名簿を閲覧しましたが、戦前・戦後を通じて鈴鹿郡関町(現・亀山市関町)に映画館は存在しなかったようです。一方で、郷土資料を閲覧すると、戦前の関町には末広座という芝居小屋があったことが確認できます。

(写真)末広座に言及している『鈴鹿の関の昔ばなし』久野陽子、1990年。

(地図)劇場が描かれた「鈴鹿の関附近鳥瞰図」『関地蔵院案内記』関地蔵院、1943年。

(地図)「鈴鹿の関附近鳥瞰図」『関地蔵院案内記』関地蔵院、1943年。
関の小萬碑がある福蔵寺の東側、巨大な三重製茶本社工場が末広座の跡地です。なお、この場所は関宿の中心地に近いことから、徳川家康の時代には御茶屋御殿、江戸時代には代官所と、歴史的にも重要な施設の所在地だったようです。

(写真)末広座跡地の工場。

(写真)末広座跡地の工場。
1.2 寺社の石造物
瑞光寺墓地には寛延3年(1750年)寄進の経塚(経典を入れておく蔵)が、弘善寺境内には宝暦6年(1756年)寄進の経塚があり、いずれも関宿の大庄屋だった市川善左衛門による寄進だそうです。火災による焼失を防ぐためにこのような形態になったようです。
なお、関神社の境内手前側には「熊野三所大権現御広前」と刻まれた常夜燈があり、この石造物も同時代の「元文4年11月吉兆日」(1739年)の建立です。関神社で最も古い石造物は社殿右側脇の常夜燈であり、こちらは元禄2年(1689年)の建立。知らない町では古い石造物を探すのが楽しい。


(左)瑞光寺の経塚。(右)弘善寺の経塚。
1.3 近代建築など
旧八千代湯
関宿には看板建築の要素を持つ建物として、1985年(昭和60年)廃業とされる旧八千代湯があります。東海道から法林寺に向かう路地入口の西側であり、旧八千代湯の東側は急坂となっています。
関宿の重伝建地区選定は廃業前年の1984年(昭和59年)のことであり、その後には様々な町屋で伝統的な景観に合わせた改修が行われていますが、旧八千代湯は廃業時期の関係もあって異色な建物として残っているようです。

(写真)旧八千代座。


(写真)旧八千代座。
洋風意匠の建物
桶重の東隣には縦長の半円アーチでできた洋風意匠の窓を有する町屋があります。2階壁面が黒漆喰なこともあって窓が目立つし、十字型に入れられた格子も独特です。階高(建ち)が高いので昭和初期でしょうか。

(写真)洋風意匠の窓を有する町屋。

(写真)洋風意匠の窓を有する町屋。
関地蔵院の前にある会津屋の右隣にも、縦長の半円アーチでできた洋風意匠の窓を有する洋館屋という町屋があります。こちらの2階壁面は水色で塗られており、窓には細かい格子が入っている点で上記の町屋とは異なります。

(写真)洋館屋(中央)と会津屋(左)。
1.4 町屋の意匠
庇下に幕板を持つ町屋が一定数あるのも気になりました。平入2階建の町屋が多いということ以外はそれぞれの町屋で意匠が異なっていて、よりきちんと観察しながら歩くと楽しそうです。


(写真)幕板。
最もお洒落な軒丸瓦・飾り瓦があったのは明治初期竣工の吉野屋です。1階は出格子、2階は漆喰塗の虫籠窓という典型的な関宿の町屋ですが、モミジの葉が刻まれた軒丸瓦には流水紋もあしらわれており、両端部には鯉の滝登りの様子の飾り瓦が配置されています。

(写真)鯉の滝登りの飾り瓦。


(左)深川屋の軒丸瓦。(右)桶重の軒丸瓦。