
(写真)寿劇場の建物。
2025年(令和7年)3月、広島県庄原市東城町(旧・比婆郡東城町)を訪れました。かつて東城町には映画館「偕楽座」「東城ラッキー劇場」「寿劇場」があり、東城ラッキー劇場と寿劇場は建物が現存しています。「東城町を訪れる」からの続きです。
1. 田中文庫コレクション展
東城まちなか交流施設 えびすでは郷土史家である田中一弘さんの「田中文庫コレクション展」が開催されていました。田中さんがネットオークションで入手した東城ラッキー劇場と偕楽座のチラシが主であり、両館でどのような作品が上映されていたのかがよくわかります。偕楽座は東映作品の上映館であり、東城ラッキー劇場の上映作品は日活・東宝・洋画と多岐に渡っていたようです。

(写真)田中文庫コレクション展。

(写真)東城まちなか交流施設 えびす。
田中一弘さんは2022年(令和4年)5月と2023年(令和5年)7月にも東城まちなか交流施設で展示を行っており、展示図録として冊子『帝釈峡観光史(抄)』『帝釈峡観光史(抄)Ⅱ』を作成しています。庄原市立図書館などの公共図書館には所蔵されていませんが、東城駅などに冊子が設置されています。





2. 東城町の映画館
東城町に3館あったのは1962年(昭和37年)が最後ですが、同年の映画館名簿によると3館ともに入江豊による入江興行の経営でした。
なお、同年の広島県には比婆郡東城町のほかに、広島市立町(経営者は今井広)、三次市(高野玄郎)、庄原市(桧垣捨夫)、安芸郡音戸町(角本光広)、高田郡吉田町(桧垣光子)、高田郡向原町(益田秀夫)、高田郡白木町井原(益田秀夫)、高田郡白木町市川(益田秀夫)にもラッキー劇場という名称の映画館がありましたが、益田秀夫の3館以外は経営者が異なっています。この名称の映画館がこれだけ多いのは広島県だけであり、どのような経緯でこの名称の映画館が集まったのか気になります。

(写真)東城町の映画館として3館が掲載されている『映画便覧 1962』時事通信社、1962年。
2.1 寿劇場(1948年-1962年頃)
所在地 : 広島県比婆郡東城町19(1963年)
開館年 : 戦前、1948年(建て替え)
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「寿劇場」。1963年の映画館名簿では「寿劇場(休館中)」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「JR芸備線東城駅」駅舎南南東180mに現存。
JR芸備線東城駅の南には東本町があり、東本町から分岐する路地として昭和町があります。東城駅の開業は1930年(昭和5年)のことであり、昭和町は駅開業に合わせて形成された通りだと思われます。昭和町が橋向に突き当たる前の東側には寿劇場の建物が現存しています。

(写真)現在の航空写真における寿劇場。
航空写真でも建物の巨大さが分かりますが、芸備線の線路側からだと瓦屋根の大きさが実感できます。もともと劇場前広場だったと思われる場所には別の建物が建てられており、入口のある昭和町からは建物の一部しか見えません。

(写真)寿劇場の建物。東側の芸備線線路を挟んで。

(写真)寿劇場の建物。西側の昭和町から。左手前は有栖川神社。

(写真)寿劇場の建物。南側の橋向から。
閉館後には建物がスーパーマーケットに転用され、2階部分の床面や鉄骨柱が増設されています。

(写真)寿劇場の建物。

(地図)寿劇場跡地にショッピングパークと書かれた地図。『第二節 昔の町並み 今の町並み』東城小学校創立百周年記念誌刊行委員会、刊行年不明。
昭和町に面した建物正面には有栖川神社があり、由緒略記には寿劇場も登場します。1947年(昭和22年)11月から1948年(昭和23年)6月には昭和町で火災が頻発したことで、同年9月5日に寿劇場の北西角に祀られたとのことです。この記述では不明確ですが、寿劇場は同年に再建された映画館であり、戦前には昭和館という名称だったようです。有栖川神社の社殿は木造ではなく石造なのが印象的。
由緒略記
此の東本町昭和町大橋通駅前は芸備線東城駅開設以来新しく発展し爾来商業殷賑を極めてありしが昭和二十二年十一月丗日東本町中央元ヨナゴ会館より出火類焼数戸続いて同廿三年四月丗日昭和町寿劇場より出火更に同年六月丗日駅前日通生産組合工場等火災頻発するに及び各町内一同相計り鎮火の神を奉斎し併せて町内繁栄商業発展の守護神を合祀し敬神の誠を致さむとし花谷山愛宕山より愛宕神社を川東聖神社摂社より稲荷神社を又町内処々に斎きまつる水神社を招奉り元寿劇場跡の西北隅一角を吉き所清々しい処と選定の八幡村森小学校奉安殿を購い移し千木高知る神殿を造営し昭和廿三年九月五日を吉日と卜し各町内の人々は申すも更なる東城町内の崇敬者相集い奉鎮の祭典を執行し爾後は町内守護の神社と奉斎するものなり社号有栖川神社は町内総代会により東城町の由緒深き清流の名をうつせるものなり

(写真)有栖川神社の由緒略記。

(写真)有栖川神社。
昭和町は東本町から分岐して橋向に至る通りです。橋向を東に進んで線路を渡ると、大映京都撮影所所長を務めた武田一義の生家があり、昭和館のマッチ箱などが飾られていたとのこと。昭和館時代の経営者は武田一義の祖父だったそうです。なお、大映作品『地獄花』(1957年)は東城町の帝釈峡などでロケが行われています。

(写真)昭和館のマッチ箱。田中一弘『帝釈峡観光史(抄)Ⅱ』田中一弘、2023年。公共図書館には所蔵されていない。
寿劇場のすぐ北側にはバー ピルゼンの看板が掲げられた建物があります。かつては昭和町を代表する料理屋の時雨茶屋だったとのことですが、和風建築の躯体に近代建築要素が加えられた独特な外観が気になります。

(写真)寿劇場があった昭和町。右端が寿劇場。

(写真)バー ピルゼン。
2.2 東城ラッキー劇場(1956年頃-1969年頃)
所在地 : 広島県比婆郡東城町135(1969年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1969年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「東城ラッキー映劇」。1958年の映画館名簿では「東城ラッキー劇場」。1960年の映画館名簿では「東城ラッキー」。1963年の映画館名簿では「東城ラッキー映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「東城ラッキー劇場」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「三楽荘」東北東60mに現存。
『目で見る三次・庄原の100年』には「1955年頃」という東城ラッキー劇場の写真が掲載されています。右手の館内に花輪がみえることから開館時の写真でしょうか。1955年(昭和30年)公開のジョン・ウェイン主演作『男の魂』、1921年(大正10年)のチャップリン監督作『キッド』の上映案内も見えます。

(写真)1955年頃の東城ラッキー劇場。『目で見る三次・庄原の100年』郷土出版社、1996年。
田中一弘さんに「東城ラッキー劇場の跡地がどこか知らないか」と聞くと、「三楽荘から禅仏寺に向かう路地の中ほどにラッキー劇場の建物が現存している」とのこと。東城ラッキー劇場は寿劇場と同様に2階の床面が増設され、ガレージ兼民家となって現存しています。通りから約10m奥まった場所に建物があるのも寿劇場と同様であり、この時代の映画館建築によくみられる特徴です。

(写真)東城ラッキー劇場の建物。

(写真)東城ラッキー劇場の建物。


(写真)東城ラッキー劇場の建物。

(写真)東城ラッキー劇場がある路地。正面奥は禅仏寺。
2.3 偕楽座(1907年11月5日-1985年)
所在地 : 広島県比婆郡東城町東城(1985年)
開館年 : 1907年11月5日
閉館年 : 1985年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「偕楽座」。1969年の映画館名簿では「東城偕楽座」。1970年・1973年・1975年の映画館名簿には掲載されていない。1976年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「東城偕楽座」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「生熊酒造」北東60mの駐車場。
明治20年代から大正中期まで、西方寺の山門正面に芝居小屋の松涛座があり、約200人を収容できたようです。
1907年(明治40年)11月5日には芝居小屋として偕楽座が開場。廻り舞台や花道を有する立派な劇場であり、こけら落としには加藤利長座長の日の出一座が来演、その後も歌舞伎の中村鴈治郎、中村福助、中村扇雀、人形浄瑠璃の竹本文十郎(※どのような人物か不明)らが来演したようです。

(写真)偕楽座。『東城町史 第6巻 近代現代通史編』1997年。
戦後には映画館に転向し、他の2館と同様に入江豊が経営しました。東城町の3館の中では戦前に建てられた唯一の建物だったものの、入江豊から継いだ入江文人が2代目館主となり、最も遅くまで営業した映画館となりました。
偕楽座は1985年(昭和60年)に閉館し、1987年(昭和62年)には入江文人が死去。田中一弘さんは「約40年前、経営者が亡くなったことで取り壊されたのではなかったか」とのことなので、閉館からそれほど経たずに解体されたのでしょう。最後まで営業していた映画館が最初に解体されたのは老朽化が進んでいたからでしょうか。

(写真)偕楽座跡地の駐車場。射場。
偕楽座は射場と呼ばれる路地に面しており、射場は成羽川を渡る射場橋に続いています。西側は通りが鉤の手状になっています。

(地図)偕楽座が描かれた地図。『第二節 昔の町並み 今の町並み』東城小学校創立百周年記念誌刊行委員会、刊行年不明。
東城町の映画館について調べたことは「広島県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(広島県版)」にマッピングしています。