
(写真)北野神社の玉垣。
2025年(令和7年)1月、愛知県名古屋市中区大須2丁目にある北野神社を訪れました。
1923年(大正12年)に中村遊廓が設置されるまで、大須に北野新地(1858年~1977年頃)や旭廓(1877年~1923年)がありました。北野神社(旧称は北野天満宮)はこれらの近くにあり、境内には妓楼の楼主などから寄進された玉垣や石造物が多数存在します。
1. 境内
かつて大須観音が尾張国中島郡大須庄(現・岐阜県羽島市)にあったことは広く知られていますが、大須観音のもととなった真福寺とその塔頭宝生院は、北野天満宮の別当時として創建された寺院です。徳川家康の清洲越しによって名古屋城下に移転し、明治維新期の神仏分離によって大須観音と分離されて今日に至っています。
境内は約12m四方の正方形であり、建物1棟から2棟分程度のとても小さな境内ですが、旭廓や周辺住民から寄進された多数の石造物などがあります。簡単な境内図(境内マップ)を作成しました。

(写真)独自に作成した北野神社の境内図。

(地図)1960年の住宅地図。中央に北野神社。
1.1 北野神社
本殿脇には「御神殿 浅井鉞次郎」とありますが、浅井鉞次郎(あさいえつじろう、1902年頃~1979年)は北野神社内にあるいくつもの石造物の寄進者として登場する人物です。
浅井鉞次郎は1922年(大正11年)に豊田佐吉から独立して個人創業し、1926年(大正15年)に合名会社浅井商店を設立。1935年(昭和10年)には碧海郡刈谷町にある豊田自動織機製作所自動車部がA1型試作乗用車を完成させ、その後のトヨタグループ3億台の第一歩を踏み出しましたが、この際にもフレーム材の納入を行ったとのこと。
浅井産業は主に特殊鋼を扱う問屋であり、豊田自動織機製作所→トヨタ自動車工業のほかには神戸製鋼などと取引があったようです。1956年(昭和31年)に浅井産業株式会社に改組。浅井鉞次郎は1968年(昭和43年)に社長を退任し、1979年(昭和54年)に死去しています。1980年(昭和55年)には浅井産業によって『追想 浅井鉞次郎』という書籍が刊行されていますが、名古屋市図書館や愛知県図書館には所蔵がありません。

(写真)北野神社の境内。2023年9月。

(写真)北野神社の拝殿から見た本殿と幣殿。
1.2 稲荷神社
境内南側には稲荷神社があり、赤色の鳥居や「正一位稲荷大神」と書かれたのぼりによって、北野神社とははっきり異なる印象を受けます。多数の参拝者の動きを確認しましたが、北野神社と稲荷神社のどちらから参拝してもいいようです。

(写真)稲荷神社の六連鳥居。

(写真)稲荷神社の拝殿から見た本殿。
2. 鳥居
2.1 正面鳥居
北野神社拝殿前の鳥居は1937年(昭和12年)9月の建立であり、寄進者は「名古屋市中区日出町 喜むら 木村た弥」。

(写真)正面鳥居。
2.2 稲荷神社拝殿前鳥居
稲荷神社の拝殿に近接して赤鳥居があります。1915年(大正4年)11月25日の建立であり、寄進者は「本家長寿楼 林長十郎 妻らく」。同年頃には全国各地に大正天皇の即位を記念した建物などが建てられていますが、この鳥居も「御即位紀念」とあります。

(写真)稲荷神社拝殿前鳥居。

(写真)稲荷神社拝殿前鳥居。
3. 石造物
3.1 社号標
「村社北野神社」と書かれた社号標は、1902年(明治35年)3月に「浅井錠太郎 浅井鉞次郎」を願主として建立されたもの。浅井錠太郎は浅井鉞次郎の父親でしょうか。浅井鉞次郎は1902年(明治35年)頃に生まれており、浅井錠太郎が息子の誕生を記念して社号標を寄進したものと思われます。

(写真)社号標。
3.2 狛犬
拝殿脇にある一対の狛犬は、1959年(昭和34年)7月に浅井鉞次郎の寄進で建立されたもの。新しげにみえますがそれなりに古い。

(写真)向かって左の狛犬。
3.3 撫で牛
境内北東隅にある撫で牛は、1965年(昭和40年)9月に浅井鉞次郎の寄進で復元されたもの。

(写真)撫で牛。
3.4 常夜燈
狛犬とともに拝殿脇にある一対の常夜燈は、1893年(明治26年)12月の建立です。向かって左側の常夜燈は上部が新しげに見えるため、火袋や笠は後年に取り換えられたものと思われます。

(写真)向かって左の常夜燈。
本殿や幣殿の脇にも複数の常夜燈がありますが、玉垣の内側にあるため建立年を確認できません。


(写真)本殿や幣殿の脇にある常夜燈と狛犬。
3.5 手水鉢
手水鉢は1890年(明治23年)4月建立であり、発起者は「西川蕪吉」です。建立年を確認できる石造物としては北野神社内で最も古いもののようです。

(写真)手水鉢。
3.6 燭台
稲荷神社の拝殿前には燭台があります。1915年(大正4年)10月25日の建立であり、寄進者は「本家長寿楼 分家長寿楼 分家楽長寿」。

(写真)燭台。

(写真)燭台。
4. 玉垣
4.1 内側の玉垣
北野神社の玉垣としては、境内全体を囲む玉垣と、北野神社の社殿のみを囲む玉垣があります。社殿を囲む内側の玉垣は1914年(大正3年)10月建立です。
4.2 外側の玉垣
境内全体を囲む玉垣には、1917年(大正6年)2月と1918年(大正7年)4月という複数の建立年が確認できます。
外側の玉垣の文字は判読不可能なものも多数ありますが、境内外側(玉垣の表側?)には北から順に「喜の恵 槿助」「長寿楼」「栄◯ たみ子」「喜の恵 百合弥」「分家楽長寿」「福岡楼 我三」「福岡楼 小光」「東玉 吉松 森千代」「東玉 駒◯」「福の家 ◯◯」「喜の恵 喜久和」などの寄進者が確認できます。
境内内側(裏側?)には「福岡楼 小福」「新金波 志げ」「福万 万◯」「新山田 国助」「金波楼 秀◯」「奥山田 英枝」「玉の家 芳子 小奴」「東玉 ◯◯」「福岡楼 吉弥」「花村屋 部屋中」「三国屋 ◯◯」「山田屋 ◯◯」「増相生 小梅 春代」「◯の家 松若」「金波楼 ◯◯八」「三国屋 金八」「新金波 双蝶」などの寄進者が確認できます。
『大須大福帳』などに掲載されている1923年(大正12年)3月時点の旭廓の地図を見ると、金波楼や東玉は花園町、福岡楼や新金波は若松町、長寿楼は吾妻町、千寿楼や新千寿は常盤町、喜の恵(喜廼恵)や福万(福萬)や三国家や山田屋や増相生は城代町にあった妓楼のようです。

(写真)境内を囲む玉垣。


(写真)境内を囲む玉垣。(左)「喜の恵 槿助 大正七年四月」。(右)「長寿楼」。


(写真)境内を囲む玉垣。(左)「分家 楽長寿」と「喜の恵 百合弥」。(右)「福岡楼 小光」。


(写真)境内を囲む玉垣。(左)「新金波 双蝶」。(右)「三國家 金八」。
5. 北野新地/旭廓の地図
5.1 北野新地の地図

(地図)北野新地。『名古屋市史 地図』名古屋市、1916年(1968年の復刻版)。

(地図)南寺町。『名古屋市史 地図』名古屋市、1916年(1968年の復刻版)。
5.2 旭廓の地図
