
(写真)萬年寺の本堂。
2025年(令和7年)1月、愛知県名古屋市中区大須3丁目にある萬年寺(ばんねんじ、万年寺とも)を訪れました。なお、訪問後にはWikipedia記事「萬年寺 (名古屋市)」を作成しています。
1. 中村正平の頌徳碑
1.1 碑文の読解
萬年寺の境内には、旭廓(しんち/あさひくるわ)の設置に寄与した中村正平の頌徳碑があります。3文字の題名が記されているのですが読めません。
中村正平は天保8年(1837年)に名古屋城下の袋町に生まれ、性病の蔓延を憂いて遊廓の設置に尽力したようです。自身は三国楼の楼主を務め、1889年(明治22年)12月2日に死去しました。1901年(明治34年)12月、覚王山日泰寺を創建した日置黙仙の撰文によってこの石碑が建立されています。


(写真)中村正平の頌徳碑。
『大須大福帳』(平野豊二著、双輪会、1980年)には、北野新地時代、旭廓時代それぞれの妓楼の地図が掲載されており、どちらにも城代町に「三国家」が描かれています。
太平洋戦争後の戦災復興計画に基づき、戦後すぐの時期には若宮大通と伏見通が開通しています。両大通りの交点である若宮南交差点の南東のブロック南端部に三国楼(三国家)があったようです。
なお、大須では1920年(大正9年)8月に建立された富士浅間神社の正面鳥居の寄進者のひとりとして「三國屋金八」という名前が出てきます。
1.1 碑文
三国楼主故中村正平翁天保八年生於本市嚢町
幼好禅理受学〇三禅師天〇伝麦夙憂黴毒害人
身乞官此地開遊廓欲防病根之内染酷心焦慮遂
徹素志先移自居漸次為一花巷以得新地之称寔
明治七年也櫂為巷長監督廓務爾来転居茲地者
年一年加為金城第一之栄街可謂翁之宿績也二
十二年初秋翁罹重病同年十二月二日遂逝享年
五十有三痤骸市之萬年寺后有志胥謀樹研弔翁
書小履歴以為紀念
明治三十四年十二月建設之
龍桑巓題額
可睡黙仙撰文
伊藤馨書
※「〇」部分の漢字は判読できず。一定数の誤読があることはご容赦ください。

(写真)中村正平の頌徳碑。

(写真)隣接地にある裏門前公園。