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三河山鍬次郎翁之像を訪れる

(写真)三河山鍬次郎翁之像。

2020年(令和2年)1月、愛知県豊田市の毘森公園にある石碑「三河山鍬次郎翁之像」を訪れました。

※本記事は2020年1月に投稿した「豊田市の映画館」から2025年1月に分割した記事です。

 

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1. 三河山鍬次郎

1.1 経歴

挙母劇場の経営者は三河山鍬次郎(倉知鍬次郎)であり、相撲取りだった三河山鍬次郎自身が木戸に座っていたとのこと。1932年(昭和7年)9月の第8回挙母町議会議員選挙と1936年(昭和11年)9月の第9回選挙で町議会議員に当選しています。

死去を報じる1953年(昭和28年)7月26日の『加茂時報』記事によると "総理大臣からも弔花があった" とのことですが本当でしょうか。毘森公園には1954年(昭和29年)に建立された「三河山鍬次郎翁之像」があります。三河山鍬次郎の死去後には倉知功が引き継いでいます。

(写真)三河山鍬次郎翁之像。

 

2. 石碑「三河山鍬次郎翁之像」

1868年(明治元年)6月、挙母町の大澤鍬次郎として生まれ、19歳の時に倉知家の養嗣子となった。挙母町議会議員、日本相撲協会目代(地方における貢献者)などを務めた挙母町の名士であり、1953年(昭和28年)7月18日に死去した。

 

2.1 碑文

建立之辞

日本相撲協会目代三河山鍬次郎翁は明治元年六月挙母の里小坂大澤栄吉氏の三男に生れ天資壮快剛毅果断温情に富む十九才の時倉知家の養嗣子となり挙母藩無外一刀流海老名三平氏の門に入り武芸を磨き技能衆に英づ長ずるに及び社会正義観強く公私の別を明かにし行を慎しみ後進の戒めとし悪には善を以て導き弱は之を扶け質実剛健な気風馴致と国民体位向上の為に相撲道を奨励する傍ら社会文化の向上を志し堅実な興行を家業とし推されて町会議員となり永年間地方自治の発展教育の改善民生安定朝に夕に敬神崇祖の念を昂揚し思想善導に勉むる等其の功績偉大であつた昭和二十八年七月十八日齢八十八才にして病に斃る闔郷皆感恩し其の徳を慕い像を建て翁の遺徳を讃仰顕彰し微文を叙し謝意を表す

昭和二十九年八月 発起人代表 倉知桂太郎

(写真)三河山鍬次郎翁之像。




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