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今池の映画館(2)

(写真)今池アカデミー劇場に由来するアカデミー通。

2025年(令和7年)1月、愛知県名古屋市千種区今池を訪れました。今池名古屋市東部における繁華街であり、かつて映画館街として知られていました。「今池の映画館(1)」からの続きです。「今池の映画館(3)」に続きます。

 

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(地図)今池の映画館。※キノシタホールは枠外上。

1. 今池の映画館

1.1 今池スター劇場(1957年5月13日頃-1972年1月30日頃)

所在地 : 愛知県名古屋市千種区今池町1-12(1972年)
開館年 : 1957年5月13日頃
閉館年 : 1972年1月30日頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「今池スター劇場」。1963年の映画館名簿では「スター劇場」。1966年・1969年・1972年の映画館名簿では「今池スター劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はナゴヤキネマ・ノイが入る「今池スタービル」。

映画黄金期の1957年(昭和32年)、今池で5番目の映画館として今池スター劇場が開館しました。オープニングは大映の時代劇『銭形平次捕物控 人肌蜘蛛』と日活の『東京の人』。上映案内では「大人55円」の文字が目立つため、安価な入場料が売りの二番館だったと思われます。

経営者は後に川瀬興行/中映株式会社を設立する川瀬元一郎であり、中村区のオーモン劇場、南区のスバル映劇・南陽劇場・シバタ劇場、三重県桑名市の桑名キネマなども川瀬の経営館でした。1950年代末から1960年代初頭頃、すでに映画人気がピークから下りつつある頃に多くの映画館を開館させていますが、その地域では他館より遅くまで営業を続けた映画館が多いのも川瀬の経営館の特徴です。

(写真)今池スター劇場の開館日と思われる日の上映案内。『名古屋タイムズ』1957年5月13日。

(地図)1973年の住宅地図における今池スター劇場(左上)。

 

閉館日は1972年(昭和47年)1月30日だと思われ、最終日の上映作品はいずれも松竹作品『生まれかわった為五郎』、『初笑いびっくり武士道』、『体験旅行』の三本立です。スター劇場は今池において最も早く閉館した映画館であり、川瀬興行/中映株式会社の他館とは異なる動向の理由が気になります。

(写真)今池スター劇場の最終日と思われる日の上映案内。『名古屋タイムズ』1972年1月30日。

 

1973年(昭和48年)前半にはスター劇場の跡地に今池スタービルが開館しました。今池スタービルは飲食店が中心の商業ビルですが、広告には「総合レジャービル」という表現が用いられています。1960年代から1970年代初頭には映画館数の減少が顕著でしたが、1973年(昭和48年)を境に減少率が鈍化しており、各地で建設が模索されていた総合レジャービルが一因ではないかと思われます。

今池スタービルを建てたのは今池スター劇場の経営者だった中映ですが、竣工当初の今池スタービルに映画館は入りませんでした。このビルの2階に名古屋シネマテークが開館するのは1982年(昭和57年)のことですが、経営者は中映ではなく、名古屋市内で自主上映会を行っていたナゴヤシネアストが貸室部分に入る形でした。

なお、今池スタービルの東側を南北に延びる通りは今池スター通と呼ばれていますが、各年版の住宅地図から判断すると、今池スター通の由来は今池スター劇場ではなく今池スタービルではないかと思われます。

(写真)今池スタービルの竣工に関する広告。『名古屋タイムズ』1973年5月1日。

(写真)今池スタービル。

 

日本の盛り場の代名詞は"東京の銀座"といわれている。しかし昨今は若者の街として新宿が脚光をあびつつある。名古屋の夜の遊びのメッカともいうべき今池を"名古屋の新宿"と呼ぶ人も多い。これは今池という町が何の気どりもなく、気軽に買い物が出来普段着のまま出かけ、飲食、レジャーをたのしむことができるからである。
「千種・今池ルポルタージュ 気さくな庶民の街」『名古屋タイムズ』1973年5月1日。

(写真)今池商店街に関する広告。「千種・今池ルポルタージュ 気さくな庶民の街」『名古屋タイムズ』1973年5月1日。

 

1.2 アカデミー劇場(1952年3月21日-1974年)

所在地 : 愛知県名古屋市千種区千種通2-31(1996年)
開館年 : 1952年3月21日
閉館年 : 1974年(休館)
『全国映画館総覧 1955』によると1952年3月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「アカデミー劇場」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1985年・1988年・1990年の映画館名簿では「今池アカデミー劇場」。1991年・1992年の映画館名簿には掲載されていない。1994年・1995年・1996年の映画館名簿では「今池アカデミー劇場(休館中)」。1997年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン名古屋今池駅南店」。

1952年(昭和27年)3月21日にフランス映画『夜は我がもの』で開館したのが今池アカデミー劇場です。当初は洋画の二番館であり、その後東映の上映館となったようです。今池アカデミー劇場の経営者は古川博三郎の今池土地建物ですが、今池土地建物は栄の松坂屋西側でも洋画館の名古屋ロマン座を経営していました。

名古屋駅前で古川為三郎が経営していた名古屋メトロ劇場なども含めて、洋画館は英語などを用いた気取った名前が付けられることが多いようです。昭和30年代の洋画館は邦画館よりも観客数が少なく、客層がサラリーマン・教員・学生などのインテリに偏っていたという特徴がありました。

 

映画館名簿には1990年版まで今池アカデミー劇場が掲載されていますが、「1974年に休館となり、その後は地元の劇団に細々と貸し出されていた」とする新聞記事があります。1990年代中頃の映画館名簿には「休館中」という注意書き付きで掲載が復活しますが、注意書きが外れることなく再び掲載されなくなっています。

(写真)今池アカデミー劇場の開館日の上映案内。『名古屋タイムズ』1952年3月21日。

(写真)1956年のアカデミー劇場。『キネマと白球』風媒社、2022年。

(写真)1957年のアカデミー劇場。

(地図)1973年の住宅地図におけるアカデミー劇場(中央)。

 

アカデミー劇場の北側を東西に延びる道路はアカデミー通と呼ばれており、アカデミー劇場に由来するようです。映画館の建物は2000年代以後に取り壊され、2019年(令和元年)には跡地にセブンイレブンが開店しました。大きな通りに面していないコンビニですが、周辺に多数ある商業ビルから多くの客を集めています。

(写真)今池アカデミー劇場跡地のコンビニ。2025年1月。

(写真)アカデミー通と書かれた今池南4番通のアーチ。2025年1月。

1.3 今池フジ劇場(1954年12月30日-1981年6月26日頃)

所在地 : 愛知県名古屋市千種区千種通2-28(1980年)
開館年 : 1954年12月30日
閉館年 : 1981年6月26日頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「今池富士劇場」。1957年・1958年・1959年の映画館名簿では「今池東映劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1981年の映画館名簿では「今池フジ劇場」。1982年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「名古屋外語・ホテルブライダル専門学校」。

1954年(昭和29年)暮れに開館したのが今池フジ劇場です。開館日の広告には「寄席と映画」とあり、女剣劇中野弘子一座や漫才師の桜山梅夫の名前、映画として『力道山の鉄腕巨人』が記されています。

1950年代後半には今池東映劇場という名称であり、1960年代以降は今池フジ劇場に戻りました。日活上映館だった時代が長いようですが、1970年代になると平和会館が日活上映館となり、今池フジ劇場は成人映画上映館となりました。

(写真)今池フジ劇場の開館日の上映案内。『名古屋タイムズ』1954年12月30日。

(写真)今池フジ劇場が今池東映に改称した際の広告。『名古屋タイムズ』1955年11月1日。

(写真)1957年の今池東映劇場。

(写真)1959年の今池東映劇場。『キネマと白球』風媒社、2022年。

 

1981年(昭和56年)6月26日が営業最終日と思われ、上映案内には『若妻浮気責め』、『痴漢覗きの快楽』、『女教師狂った欲情』の作品名が記されています。

(写真)今池フジ劇場の閉館日と思われる日の上映案内。『名古屋タイムズ』1981年6月26日。

 

今池フジ劇場が面していたのはウェルビー通であり、東120mにあるサウナ施設のウェルビー今池に由来しています。今池に映画館街が築かれたのと同時期の1960年(昭和35年)に今池ヘルスセンターとして開店した老舗であり、ウェルビーという称号になったのは1992年(平成4年)のことです。

今池フジ劇場の跡地には名古屋外語・ホテルブライダル専門学校の巨大なビルが建っています。

(写真)今池フジ劇場跡地の専門学校(中央のビル)。2025年1月。

(写真)今池フジ劇場があるウェルビー通のアーチ。2025年1月。

 

1.4 平和会館(1958年-1990年11月30日頃)

所在地 : 愛知県名古屋市千種区今池1-9-17(1990年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 1990年11月30日頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年の映画館名簿では「平和会館」。1966年・1969年の映画館名簿では「今池平和会館」。1973年・1976年・1978年の映画館名簿では「日活平和会館」。1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「今池にっかつ平和会館」。1990年・1991年の映画館名簿では「ロッポニカ今池」。1992年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は立体駐車場「ワイドパークビル」南東側。

三菱UFJ銀行今池支店の南を東西に延びるのが今池銀座通であり、今池の他の通りに先駆けて1956年(昭和31年)に発展会が設立されたようです。今池銀座通に面する今池マートというスーパーの2階に平和会館がありました。

(地図)1985年の住宅地図における日活平和会館(中央)。

 

後に日活平和会館/にっかつ平和会館に改称、1988年(昭和63年)にはにっかつの他の直営館と同様にロッポニカ今池に改称していますが、今池の映画館の中では文献における言及が少ない映画館です。新聞の上映案内では1990年(平成2年)11月30日の「本日休館日」という案内が最後であり、きちんとした予告せずに閉館したように見えます。

(写真)ロッポニカ今池の閉館日と思われる日の上映案内。『名古屋タイムズ』1990年11月30日。

(写真)ロッポニカ日活跡地の立体駐車場。2025年1月。




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