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福光町の映画館

(写真)福光劇場の建物。

2024年(令和6年)12月、富山県南砺市福光地域(旧・東礪波郡福光町)を訪れました。

かつて福光町には映画館「福光劇場」と「寿座」があり、福光劇場の建物は現存しています。「南砺市福野地域を訪れる」「福野町の映画館」からの続きです。

 

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1. 福光町を訪れる

1.1 福光市街地

福光市街地には人口1万人程度の市街地としては稀有な規模の防火建築帯が形成されています。

商店街の近代化を目的として、1978年(昭和53年)に福光町商店街協同組合連合会が結成され、道路の拡幅に合わせた建て替えが進められました。各商店が3階建となり、中核施設としてショッピングセンターベルも開店しています。

なお、この間の1979年(昭和54年)には福光大火が発生しています。全半焼は116棟、焼損面積は14,214m2と、1970年代の大火としては稀に見る規模の大きさでした。ただし、福光大火を契機として防火建築帯が形成されたわけではなく、たまたま商店街の近代化と同時期に大火が発生したようです。

再開発ビルの1階と2階にショッピングセンターベルがあり、再開発ビルの3階は福光町営住宅という珍しい形態でした。

 

2003年(平成15年)にはショッピングセンターベルが完全閉鎖されますが、2010年(平成22年)には福光会館という名称で復活し、1階には南砺市立中央図書館、2階には会議室や多目的ホールが入る複合公共施設となっています。

(写真)東町商店会(ハミングロード東町)。

 

商店街から南側の路地に入った場所に、1階・2階とも前面が格子となっている町家がありました。福光麻布を扱っていた舟岡屋(舟岡商店)とあり、2000年(平成12年)まで営業していたようです。伊勢の町家で見られる軒雁木板のような部位が見られますが、雪国ならではの役割があるのでしょうか。

(写真)舟岡家。

(写真)福光麻布と舟岡家の説明看板。

 

1.2 南砺市立中央図書館

ショッピングセンターベルを転用した福光会館には南砺市立中央図書館が入っています。南砺市の発足後に中央図書館として計画された図書館であり、福光市街地単独の人口規模を考えると大きな施設です。

(写真)図書館が入る南砺市福光会館。

 

太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月、版画家の棟方志功は東京から福光町に疎開しました。福光町立図書館で司書や館長を務めた石崎俊彦の支援を受けており、南砺市立中央図書館には棟方志功が1947年(昭和22年)に書いた「休館日」の木製看板があります。南砺市棟方志功の顕彰活動を行っており、2023年(令和5年)には南砺市立美術館が青森県立美術館と連携の覚書を取り交わしています。

(写真)1947年に棟方志功が書いた「休館日」看板。

 

衆議院議長綿貫民輔は東礪波郡井波町出身であり、南砺市名誉市民に推挙されています。2021年(令和3年)には綿貫民輔の事務所から蔵書の寄贈を受け、著書などを一緒に置いた綿貫民輔コーナーが設置されています。

(写真)綿貫民輔コーナー。

 

2. 福光町の映画館

2.1 寿座(戦前-1968年頃)

所在地 : 富山県西礪波郡福光町東町(1968年)
開館年 : 1945年以前
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「寿座」。1966年・1968年の映画館名簿では「福光東映寿座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は福光大橋西詰南南西40mの「ことぶき駐車場」。

福光町を流れる小矢部川の左岸(西岸)には寿座が、右岸(東岸)には福光劇場がありました。寿座とはいかにも芝居小屋にありがちな名称ですが、戦前に建てられた劇場だったかどうかは判然としません。晩年の映画館名簿には福光東映寿座として掲載されています。

(写真)『映画便覧 1968年版』。

 

映画館名簿や郷土資料からは寿座の所在地が東町であることしか分かりません。そこで東町商店会(ハミングロード東町)の田辺鮮魚店の店主(70代?)に聞くと、

田辺鮮魚店の西側の路地を南に進み、喫茶タンゴの奥の通路を東に入った先にあった。跡地は駐車場になっている」とのことでした。

(写真)寿座の跡地のことぶき駐車場。

 

跡地にはことぶき駐車場という月極駐車場があります。現在は鮮魚店の店主に示された路地や通路を通らずにアクセスすることができますが、往時はきちんとした堤防道路が整備されていなかったのではないかと思われます。

(写真)小矢部川六地蔵とことぶき駐車場。

(写真)寿座に向かう路地。

(写真)寿座に向かう路地。

(写真)寿座に向かう路地。

 

ことぶき駐車場の北側には六地蔵の堂がありました。この場所は地蔵淵と呼ばれる小矢部川の船着場だったようです。現在の堂は2002年(平成14年)に改築されたものですが、寿座があった時代も同一地点に前身の堂があったようです。

(写真)六地蔵

(写真)六地蔵

(写真)六地蔵の説明看板。

(写真)地蔵渕の舟つなぎ場跡。

 

2.2 福光劇場(1957年頃-1978年頃)

所在地 : 富山県西礪波郡福光町荒木5556-1(1978年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1978年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1978年の映画館名簿では「福光劇場」。1979年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「焼肉おばちゃん」が入る建物として現存。

1958年(昭和33年)から1978年(昭和53年)の映画館名簿には福光劇場が掲載されています。映画館名簿には荒木5556-1という番地が掲載されており、現在の航空写真を見るとこの場所には巨大な建物がありますが、郷土資料などではそれ以上のことがわかりません。

(写真)『映画館名簿 1978年版』。

 

南砺市役所近くを歩いていた女性(80代?)に聞いてみると、「あの建物はかつて映画館だった」とのことでした。

建物の一角では焼肉おばちゃんが営業しています。店に入ると店主の女性(70代?)と常連の男性(70代?)が会話していました。

店主に話を聞くと、「この建物が映画館だった頃から営業している。よく焼きそばを客席まで運んだ。この店が開店したのは映画館ができてしばらくしてからである」とのことでした。

(写真)福光劇場の建物。

(写真)福光劇場の建物。

 

映画館の客席だった建物の奥はガレージとなっており、舞台だったと思われる一段高くなった床面もあります。鉄骨の梁と柱が見えますが、映画館の閉館後に2階部分の増築のために設置されたのでしょう。

(写真)福光劇場の建物。

(写真)福光劇場の建物。

 

焼肉おばちゃんの店舗はもともと映画館のロビーだった場所と思われます。カウンター6席とテーブル席1卓のみの小規模な店で、店主一人で切り盛りしていると思われます。豚肉、キャベツ、もやしが入った焼きそば(500円)を鉄板で調理してくれました。

福光劇場の閉館は46年前の1978年頃であり、店主は30歳頃だったでしょうか。焼肉おばちゃんという店舗名は現在の店主ではなく先代店主に由来するのだと思われます。

(写真)焼肉おばちゃん。

(写真)焼肉おばちゃん。

(写真)焼肉おばちゃん。

 

福光町の映画館について調べたことは「富山県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(富山県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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