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高岡市の映画館(1)

(写真)御旅屋通りと旧高岡日劇会館ビル。

2024年(令和6年)12月、富山県高岡市を訪れました。かつて高岡市街地には多数の映画館がありました。現在はミニシアター「御旅屋座」があります。「高岡市の映画館(2)」に続きます。

 

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1. 映画館名簿

1.1 『日本映画事業総覧 昭和5年版』

1930年(昭和5年)の映画館名簿には富山県に13館が掲載されており、富山市高岡市は3館ずつでした。

(写真)『日本映画事業総覧 昭和5年版』国際映画通信社、1930年

 

1.2 『全国映画館総覧 1955年版』

『全国映画館総覧 1955年版』には設立年(開館年)も記されています。高岡市街地には7館、伏木市街地には1館がありましたが、8館中6館が戦前に遡る映画館というのは大きな特徴です。

富山市は1945年(昭和20年)8月2日の富山大空襲で市街地の99.5%を焼失するという壊滅的な被害を受けましたが、高岡市は空襲を受けずに終戦を迎えたため、劇場・映画館の建物がそのまま残っていたことと、地場産業の鋳造業が戦後復興期や高度成長期にかみ合って都市としての発展が著しかったことが理由だと思われます。

(写真)『全国映画館総覧 1955年版』時事通信社、1955年。

 

1.3 『映画便覧 1963年版』

1958年(昭和33年)には全国の映画観客数がピークを迎え、1960年には全国の映画館数もピークを迎えます。この頃の高岡市街地には8館の映画館があり、伏木市街地には2館の映画館がありました。後に高岡市域となる西礪波郡福岡町、戸出町、東礪波郡中田町にも1館ずつあったため、映画黄金期の高岡市には13館の映画館があったと言えます。

(写真)『映画便覧 1963年版』時事通信社、1963年。

 

1.4 『映画館名簿 1991年版』

1973年(昭和48年)、御旅屋通り商店街の日本劇場がビル化して高岡日劇会館となりました。高岡日劇会館は複数の映画館のほかにパチンコ店やサウナなども入る総合娯楽ビルであり、1970年代前半頃にはいくつかの地方都市で類似する総合娯楽ビルが建てられています。

1980年(昭和55年)には郊外型映画館として米島シネマ(後の高岡ピカデリー)が開館し、同年頃には東洋ビルに東洋劇場も開館しています。1970年代から1980年代には多様な形態の映画館が混在していた点が高岡市の映画館環境の特徴です。

(写真)『映画館名簿 1991年版』時事映画通信社、1990年。

 

1.5 『映画館名簿 2010年版』

1993年(平成5年)10月23日、高岡駅南口の高陵自動車学校跡地に高岡サティが開店し、富山県初のシネコンであるワーナー・マイカル・シネマズ高岡(WMC高岡)が開館しました。全国的に見ても早い時期に開館したシネコンであり、日本初の本格的シネコンとされるWMC海老名やWMC東岸和田の開館からわずか6か月後のことでした。

2002年(平成14年)9月、後に北陸新幹線新高岡駅が開業する地点のそばに高岡TOHOプレックス(後のTOHOシネマズ高岡)が開館しました。人口約40万人の高岡都市圏に2サイト14スクリーンは供給過剰であり、2009年(平成21年)にはWMC高岡が閉館が閉館しています。前年の2008年(平成20年)にはWMC東岸和田も閉館しており、最初期のシネコンは後発の洗練されたシネコンとの競争に苦しんだようです。

その後、高岡市の映画館はTOHOシネマズ高岡のみの時代が10年以上続きますが、2020年(令和2年)にはミニシアターの御旅屋座が開館しています。富山市のミニシアターであるほとり座の提携館として開館した映画館であり、人口15万人の地方都市としては恵まれた映画館環境となっています。

(写真)『映画館名簿 2010年版』時事映画通信社、2009年。

 

高岡市の映画館について調べたことは「高岡市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(富山県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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