
(写真)八千代座。
2024年(令和6年)8月、熊本県山鹿市の芝居小屋「八千代座」を訪れました。「八千代座資料館 夢小蔵を訪れる」、「山鹿市を訪れる」、「山鹿市の映画館」に続きます。
1. 八千代座を訪れる
山鹿市は熊本県北部の内陸部にある自治体であり、江戸時代には豊前街道の宿場として栄えました。
明治時代に入ると1870年(明治3年)に山鹿温泉大改築、1896年(明治29年)に山鹿鉄道創立、1910年(明治43年)に八千代座建築が行われ、時期は離れているものの、この3事業が山鹿における「明治三大改革」とされています。
今日においては、さくら湯、八千代座、山鹿灯籠民芸館が山鹿市街地における3大観光スポットであり、これらが徒歩5分圏内に集まっていることで散策しやすい町でもあります。

(写真)八千代座の建物。

(写真)八千代座や活動日昇館が描かれている『山鹿温泉案内』山鹿町役場、1935年。
1.1 八千代座の館内
劇場内の平土間には桝席があり、桝席の両側には下手桟敷・上手桟敷があります。客席に匹敵する床面積を持つ舞台は廻り舞台を備え、舞台正面には老松が描かれています。天井には色鮮やかな商店広告が並び、純和風の芝居小屋ながら天井にはシャンデリアが吊られています。
八千代座の数日後には愛媛県喜多郡内子町の内子座を訪れました。八千代座の廻り舞台は直径8.45m、内子座の廻り舞台は直径8.2mと、廻り舞台の規模はほぼ同等なのですが、館内に入ると八千代座のほうが広い印象を抱きました。

(写真)枡席と舞台。

(写真)2階から見た劇場内。
八千代座は客席と舞台以外の部分が広いのも特徴です。客席手前の内木戸からは左右両側に通路が伸び、かつて右側には東売店がありました。客席と舞台の間からも左右両側に通路が伸びて便所がありました。
舞台両側の舞台袖には大道具室や小道具があり、舞台奥には複数の楽屋があります。これらの多くの場所が見学可能となっており、この時代の芝居小屋の構造を把握することができます。

(写真)廻り舞台。
1桝5席の桝席が9列あり、木組みで仕切られています。旧金毘羅大芝居の木組みは横方向が太いのですが、八千代座の木組みは縦方向が太く、観客は木組みの上を縦方向に移動することになります。統一された様式はないのでしょうか。八千代座、旧金毘羅大芝居、内子座、永楽館、康楽館、呉服座などの桝席の写真を見てみると、木組みの幅や密度などが異なっているのが分かります。

(左)花道とすっぽん。(右)桝席。

(写真)上手桟敷。

(写真)臨検席から見た桝席。
1.2 八千代座の歴史
八千代座の竣工は1910年(明治43年)12月であり、現存する芝居小屋では秋田県鹿角郡小坂町の康楽館と同年ですが、外観が純和風建築の八千代座と和洋折衷の康楽館ではかなり印象が異なります。江戸時代から宿場として栄えていた山鹿、鉱山町として明治時代以後に躍進した小坂という町の性格の違いが理由でしょうか。
なお、「現存する日本最古の芝居小屋」は天保6年(1835年)竣工の旧金毘羅大芝居(金丸座、香川県仲多度郡琴平町)であり、「移築されずに現存する日本最古の芝居小屋」は1901年(明治34年)竣工の永楽館(兵庫県豊岡市)です。


(左)8つの「チ」字と1つの「ヨ」字が入った提灯。(右)八千代の文字が入った釘隠し。

(写真)シャンデリア。
八千代座は長らく芝居小屋として演劇の興行を行っていましたが、戦後には2階の桟敷席に映写機が設置されて映画も上映されるようになり、映画黄金期の1960年代には『映画館名簿』にも掲載されています。演劇や映画の斜陽化とともに、1973年(昭和48年)をもって閉館となり、1980年代には建物の老朽化が進みました。
しかし、1980年代後半には市民の間で保存と活用の機運が高まったことで、1988年(昭和63年)には重要文化財に指定され、1989年(平成元年)には一般公開が始まりました。1996年(平成8年)から2001年(平成13年)には平成の大修理が行われ、約7億5000万円をかけて竣工当時の姿に復原されました。

(写真)舞台裏。

(写真)小道具置場。

(写真)楽屋。
いったんは閉館したが市民の間で機運が高まって保存・活用がなされているという点で、旧金毘羅大芝居、永楽館、八千代座、内子座の沿革には共通点があります。いずれも市街地の中心部にあり、現在は町の象徴として一般公開がなされています。

(写真)奈落。