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足尾町を訪れる(3)赤沢・掛水

(写真)わたらせ渓谷鐵道足尾駅登録有形文化財

2024年(令和6年)3月、栃木県日光市足尾町を訪れました。「足尾町を訪れる(1)通洞」「足尾町を訪れる(2)松原」からの続きです。「足尾町を訪れる(4)下間藤・上間藤・赤倉」に続きます。

 

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1. 赤沢(あかさわ)

1.1 赤沢の町並み

足尾町通洞・松原・赤沢の3大字は一体的な市街地が形成されており、渋川の西側が通洞・松原、渋側の東側が赤沢です。通洞・松原は商店や社宅群が卓越している一方、赤沢には小学校や郵便局などの公共施設、本妙寺蓮慶寺などの寺院、花街や劇場などがありました。

明治時代の足尾鉱毒事件で問題となったのは硫酸銅などの成分ですが、渋川を流れる水も硫酸銅の成分を含んでおり、渋味が感じられたことが名称の由来だそうです。

(写真)勧工場の建物。

(写真)説明看板「足尾まちなか写真館 旧足尾警察署」。

(写真)銅街道。亀村旅館付近。

 

2. 掛水(かけみず)

2.1 掛水の社宅群

通洞・松原・赤沢の市街地から東に約500m歩くと、足尾駅の南側に掛水の市街地が広がっています。足尾駅前通りを境に、西側が一般の民家など、東側が足尾鉱業所の社宅とはっきり分かれており、一戸建ての重役役宅(所長・副所長・課長)や二連長屋の役宅(係長・係員)などがあるのが掛水社宅群の特徴です。

(写真)掛水社宅群。

(写真)所長役宅。

 

2.2 古河掛水倶楽部

掛水社宅群の東端には迎賓館の古河掛水倶楽部があり、4棟の建物が登録有形文化財に登録されています。

県道沿いには一般社団法人古河市兵衛記念センターによって足尾銅山記念館が建設中でした。足尾鉱業所事務所の外観を模した建物となり、古河機械金属の創業150周年にあたる2025年(令和7年)5月に開館予定だそうです。

(写真)2025年5月開館予定の足尾銅山記念館。

(写真)足尾銅山電話資料館。

 

掛水市街地の民家の庭、駐車場、道路などには10頭以上のサルがおり、サルが入らないように注意して玄関を開けてほしいとの注意書きが貼られている民家もありました。

(写真)掛水市街地のサル。

 

3. 赤沢・掛水の映画館

3.1 金田座/足尾映画劇場(明治30年代後半-1953年頃)

所在地 : 栃木県上都賀郡足尾町赤河2554(1953年)
開館年 : 明治30年代後半
閉館年 : 1953年頃
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「金田座」。1953年の映画館名簿では「足尾映画劇場」。1954年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「蓮慶寺」南東70mにある「日光市足尾保健・高齢者生活福祉センター銅やまなみ館」廃墟。

1903年明治36年)頃、金田徳松によって赤沢に金田座(かねたざ)が建てられました。説明看板「足尾まちなか写真館 旧金田座」には「1903~1945」とあるので、1945年に建物が建て替えられたのでしょうか。戦後の「映画館名簿」にはまず金田座として、次いで足尾映画劇場として掲載されており、1953年(昭和28年)で掲載が途絶えています。

(写真)足尾映画劇場が最後に掲載されている『全国映画館総覧 1953』時事通信社、1953年。

 

金田座/足尾映画劇場の閉館年についてはっきり言及している文献はありませんが、複数の文献に(足尾映画劇場ではなく)金田座として登場します。

(写真)説明看板「足尾まちなか写真館 旧金田座」。

(写真)村上安正『銅山の町足尾を歩く 足尾の産業遺産を訪ねて』わたらせ川協会、1998年。

(地図)左上に金田座が描かれた赤沢の地図。日光市足尾地域おこし協力隊『足尾のこと教えてください! その3 ~商店・映画館・芸者のこと』日光市地域振興部足尾行政センター、2019年。

金田座/足尾映画劇場の跡地には日光市足尾保健・高齢者生活福祉センター「銅やまなみ館」の建物がありますが、この施設は2023年(令和5年)1月1日をもって閉鎖されています。

(写真)日光市足尾保健・高齢者生活福祉センター「銅やまなみ館」廃墟。

 

3.2 足尾東映(1958年頃-1969年)

所在地 : 栃木県上都賀郡足尾町2658(1964年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1969年
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「足尾末広映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「足尾東映末広映劇」。1964年の映画館名簿では「足尾東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「鋳銭座跡碑」南20mの敷地。

足尾町で最も遅く、1958年(昭和33年)頃に開館した映画館が足尾東映です。ヤマザキYショップや鋳銭座跡の南にある更地の場所にありました。

(写真)足尾エビスが最後に掲載されている『映画便覧 1964』時事通信社、1964年。

(写真)足尾東映跡地の更地。左奥の建物は金田座足尾映画劇場跡地。

(写真)足尾東映跡地の更地と銅街道。

 

松原の銭湯 松の湯近くではシルバーカーを押して歩いてた女性(80代?)に話しかけられました。

この建物はもともと風呂屋だった。内部はガレージになっているが、描かれてる絵は風呂屋時代のもの。向かいには3階建ての旅館もあった
映画館は通り(昭和通り)の向こう(赤沢、足尾東映のこと)と手前(松原、足尾キネマのこと)に1館ずつあった。足尾町はすっかり人口が減って、人間よりサルのほうが多いようだ。クマも出るようになった

とのことです。

『足尾のこと教えてください! その3』には桐生市から足尾町に嫁いだ女性のインタビューが掲載されていますが、インタビューされている女性こそが私に話しかけてくれた女性でした。1966年(昭和41年)に結婚して足尾町にやってきたとのことで、足尾映画劇場は既に閉館していたのでしょう。

女性と話していた時にはクマの話に驚いたのですが、既述の通り掛水の集落内にはサルの軍団がおり、「人間よりサルのほうが多い」という言葉はあながち間違っていないかもしれません。

 

なお、足尾東映があるブロックの南西端には小野崎写真館がありますが、小野崎写真館は足尾鉱業所御用達の写真館であり、小野崎一徳は存命中に『古河足尾銅山写真帖』(1895年)を出版しているほか、近年にも『足尾銅山 小野崎一徳写真帖』(新樹社、2006年)が出版されています。

(地図)1966年の航空写真における松原と赤沢の映画館。地図・航空写真閲覧サービス

 

足尾町の映画館について調べたことは「栃木県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(栃木県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

 




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