以下の内容はhttps://ayc.hatenablog.com/entry/2024/07/10/200051より取得しました。


上矢作町下の映画館

(写真)恵那地域の特産品である恵那栗。

2024年(令和6年)7月、岐阜県恵那市上矢作町下(しも)を訪れました。

かつて下には劇場・映画館「熊野会館」がありました。「上矢作町小田子の映画館」からの続きです。「上矢作町の映画館」に続きます。

 

ayc.hatenablog.com

ayc.hatenablog.com

1. 上矢作町下を訪れる

上矢作町下は上矢作町小田子(こだこ)の北側にある大字です。下にある熊野神社は下と小田子の双方の鎮守であり、下にある玉泉寺もやはり下と小田子の双方に檀家を持つなど、小田子とは関係が深いようです。

1889年(明治22年)には下・小田子・漆原が合併し、3村から一字ずつを取った恵那郡下原田村が発足。下原田村の中心は下にあったようですが、1920年大正9年)の下村発電所の開設とともに、中心が小田子に移っていった経緯があるようです。

(写真)下を流れる上村川。

 

1.1 上矢作町下の集落

上村川の河岸には広い水田が広がっており、ビニールハウスではトマトやいちごが栽培されているようです。

(写真)上村川の河岸に農地が広がる下。

 

下の集落は旧道に沿って細長く伸びており、ざっくり言えば東側の山裾にあるまとまりが谷下集落、西側の川沿いにあるまとまりが澄ヶ瀬集落のようです。

同じ矢作川の上流部でも、愛知県豊田市の山間部には入母屋屋根の民家が多くみられますが、上矢作町では入母屋屋根を見かけませんでした。谷下集落でも澄ヶ瀬集落でも、揚羽蝶の家紋を蔵飾りとしている蔵を見かけましたが、本家と分家の関係でしょうか。

(写真)谷下集落。揚羽蝶の家紋を用いた蔵飾り。

(写真)澄ヶ瀬集落。揚羽蝶の家紋を用いた蔵飾り。

 

1.2 矢作水力と下村発電所

「電力王」福沢桃介は木曽川水系における電源開発で知られていますが、1919年(大正8年)には矢作水力株式会社を設立して矢作川水系でも電気事業を行っています。

矢作水力が初めて建設した発電所が下の下村発電所であり、1920年大正9年)12月31日に運転を開始。その後は飯田洞、押山、真弓、上村、島の各発電所も運転を開始し、現在の上矢作町域には矢作水力によって計6の発電所が建てられています。

(左)福澤桃介先生寿像。(右)下村発電所水圧鉄管

 

上矢作コミュニティセンター前には、1932年(昭和7年)5月に建てられたコンクリート製の「発電所記功碑」、1930年(昭和5年)に上村発電所に建てられて近年に移設された銅像「福澤桃介先生寿像」があります。発電所記功碑には福澤桃介の題字で「弧矢利天下」(こしててんかをりす)と書かれており、『易経』に由来する格言のようです。

(写真)「弧矢利天下」と書かれた発電所記功碑。

 

2. 上矢作コミュニティセンター図書室

1990年(平成2年)開館の上矢作コミュニティセンターには、床面積約150平方メートル、蔵書数約1万冊の図書室が設置されています。2004年(平成16年)の合併時点で上矢作町の人口は約2500人であり、蔵書数が人口1人あたり4冊というのは標準的な規模だと思われます。

(写真)上矢作コミュニティセンター。

 

2.1 図書室の館内

(写真)上矢作コミュニティセンター図書室の館内。新着図書コーナー。

(写真)上矢作コミュニティセンター図書室の館内。

 

図書室のカウンター部分には恵那市中央図書館からの巡回図書が置かれていました。郷土資料はカウンター内の書架にありますが、職員は基本的に図書室内ではなく事務所にいるようで、勝手にカウンター内の郷土資料を手にとってもいいようです。

(左)恵那市中央図書館からの巡回図書。(右)郷土資料。

 

3. 上矢作町下の映画館

3.1 熊野会館(1952年-1961年頃)

所在地 : 岐阜県恵那郡上矢作町(1961年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1961年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の映画館名簿では「熊野会館」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「熊野神社」境内の空き地。最寄駅は明知鉄道岩村駅

1961年(昭和36年)の『映画便覧』のみに掲載されている映画館として熊野会館があります。経営者は旭興行、支配人は金田強であり、所在地は上矢作町とだけ記されています。

熊野会館については『上矢作町史 民俗編』で丁寧に紹介されています。前身は戦前から下の熊野神社境内にあった宮本座であり、興行の際には野天の客席にむしろを敷く標準的な農村歌舞伎舞台だったようです。

戦後の1952年(昭和27年)には本格的な芝居小屋の熊野会館となりましたが、舞台を取り壊して新たに建物を建てたのか、舞台はそのままに客席部分の建物を建てたのかは不明確です。客席は桝席もしくは桝のない板敷きだったと思われますが、やがて椅子席となって映画も上映されています。

なお、上矢作町本郷の上村劇場も旭興行が経営しており、オートバイに映画フィルムを積んで両館の間を運んでいたとのことです。

(写真)熊野神社

 

2023年(令和5年)7月撮影のGoogleマップ航空写真には熊野会館の建物が写っていますが、同年10月撮影のGoogleストリートビューでは既に更地となっています。『上矢作町史 民俗編』によると宮本座の建物は間口7間(約12.6m)×奥行8間(約14.4m)だったとのことですが、航空写真を見る限りでは熊野会館もほぼ同等の大きさの建物だったようです。

(写真)熊野神社境内に熊野会館が写っている航空写真。Googleマップ

 

2024年(令和6年)7月現在、熊野神社の境内西側にはがらんとした更地が広がっています。熊野神社の社殿の中には熊野会館電気工事と書かれた木札があり、1977年(昭和52年)4月8日の日付と上矢作町文化財保護委員会と書かれています。

(写真)熊野神社境内。奥半分は熊野会館跡地。

(写真)熊野会館に言及している札。

 

上矢作町下の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com




以上の内容はhttps://ayc.hatenablog.com/entry/2024/07/10/200051より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14