
(写真)糞置遺跡から出土した土器。
2024年(令和6年)6月22日(土)、福井県福井市で開催された「遺跡deウィキペディア in 糞置遺跡」に参加しました。
1. イベント概要
1.1 主催者
福井県では図書館員有志などからなるチーム福井ウィキペディアタウンがウィキペディアタウンの開催に取り組んでおり、地域情報の発信と合わせて図書館の資料の活用という点も重視しています。今回の主催者は福井県立図書館と福井県教育庁埋蔵文化財調査センターです。
www.library-archives.pref.fukui.lg.jp

(写真)イベントの告知チラシ。
1.2 スケジュール
午前中の会場は福井市文殊公民館です。埋蔵文化財調査センターの学芸員から糞置遺跡に関する講義を聞いた後、学芸員の説明を聞きながら遺跡の跡地周辺を歩きました。
午後は福井県立図書館に移動し、私(かんた)がWikipediaに関する講義をした後に、発掘調査報告書などを用いてWikipedia記事「糞置遺跡」を編集しました。Wikipediaにおける講師は私と伊達深雪さんであり、いずれも京都府北部地域で活動するedit Tangoのメンバーです。
(動画)edit Tangoの活動紹介動画。
2. イベントの流れ
2.1 糞置遺跡の講義
午前中は福井市文殊公民館に集まり、埋蔵文化財調査センターにおいて各時代を専門とする学芸員から糞置遺跡の講義を聞きました。
糞置遺跡は何度も発掘調査が行われている遺跡であり、最初に発掘調査が行われたのは1950年代中頃、次いで1973年度(昭和48年度)と翌年度に北陸自動車道の工事に伴う発掘調査が行われ、直近では2016年度(平成28年度)と翌年度に北陸新幹線の工事に伴う発掘調査が行われています。
もともと周辺には東大寺領の荘園である糞置荘があり、天平年間(729年から749年)の絵図が残されている点、現代においても古代と変わらない景観が残されている点が貴重だとされています。荘園の糞置荘に関する発掘調査の過程でたまたま糞置遺跡の遺構・遺物が出土したようで、複数回の発掘調査によって時代の穴が埋まって遺跡としての流れが見えてくる点も興味深かったです。

(写真)糞置遺跡の講義。

(写真)糞置遺跡の講義。
ウィキペディアタウンは毎週のように日本のどこかで開催されています。
古墳を主題としたイベントとしては、2017年(平成29年)から2018年(平成30年)にかけてのWikipediaTown in 沼津の連続イベント(高尾山古墳 - Wikipediaなどを編集)、2022年(令和2年)7月に石川県七尾市で開催された「ウィキペディアタウン七尾 in やたごう」(矢田丸山古墳 - Wikipediaなどを作成)などがあり、複数の題材のひとつとして古墳を編集したイベントはさらにいくつかあります。edit Tangoのイベントでも何度か古墳が編集対象となったことがあり、湧田山古墳群 - Wikipediaなどを作成しています。
一方で、さらに古い時代の遺跡を主題としたイベントは、2015年(平成27年)10月に北海道茅部郡森町で開催された「第2回ウィキペディアタウンもりまち 鷲ノ木遺跡アーカイブ」(鷲ノ木遺跡 - Wikipediaを作成)のみと思われます。edit Tangoでは浜詰遺跡 - Wikipediaを作成したイベントがありましたが、浜詰地区に関する様々な題材を編集するイベントの一環でした。
古墳にしても遺跡にしても、充実した記事を書くためには考古学に関する一定の知識が必要です。参加者の知識の差が大きいと共同作業も難しく、ウィキペディアタウンとしては難しめの題材だと思われます。古墳は巨大な遺構が残っていることが多いですが、遺跡は現地を訪れても遺構や遺物が見られるわけではない点も、これまでウィキペディアタウンの対象になりづらかった理由と思われます。
今回のイベントでは実際に発掘調査にあたった埋蔵文化財調査センターの方の講義を聞き、さらに学芸員の解説を聞きながら現地を歩いたことがWikipedia編集の助けになっています。また、出土した遺物の現物も見ることができました。


(写真)糞置遺跡から出土した土器。
2.2 糞置遺跡のフィールドワーク
糞置遺跡は北陸新幹線と北陸自動車道の交差地点付近にあり、交差地点の南東の水田付近には糞置荘がありました。糞置遺跡や糞置荘の真南には文殊山があります。糞置という地名の由来は、鉄分を多く含んだ赤茶色の水に由来するという節、肥沃な土地を意味するという節などいくつかあるようです。

(写真)糞置遺跡を歩く参加者。正面は文殊山。
農地の中央には「東大寺領荘園(糞置荘)」という説明看板がありました。2006年(平成18年)10月に文殊地区によって建てられた看板だそうで、近いうちに新しい看板に取り換えられるとのことです。この地域の水田で生産されている米はコシヒカリかと思いましたが、同じく早生品種のハナエチゼン(華越前)だそうです。

(写真)糞置荘についての説明を聞く参加者。
2.3 Wikipediaの講義
午後には各自で福井県立図書館に移動し、カフェの前にある多目的ホールでWikipediaの編集などを行いました。まずは私がWikipediaの特徴やウィキペディアタウンの意義などの説明を行い、その後4グループに分かれて編集を行いました。今回用いたスライドは「2024-06-22 Iseki de Wikipedia in Kusooki Remains」という名前でSlideShareにアップロードしています。





(写真)スライドの例。スライド全体についてはSlideShareで閲覧してください。
www.slideshare.net
2.4 文献調査・Wikipedia編集
Wikipedia編集に用いる文献については、福井県立図書館が事前に準備してくださっています。軸となる文献は何度か行われた発掘調査の際の調査報告書、『福井県史』や『福井市史』の資料編などでした。

(写真)事前に準備された文献。
私も事前にWikipedia「糞置遺跡」の初版(この状態)を作成し、Wikipediaの講義後に投稿しました。糞置遺跡の発掘調査報告書やWikipedia内の優れた遺跡記事を参考にした結果、糞置遺跡に記述すべきことは大きく分けて4あると考えて節構成を行っています。その他には画像の挿入方法、出典の書き方などの参考になるような状態としています。
節構成に合わせて「地理的・歴史的環境」「遺構・遺物」「発掘調査」「遺跡の変遷」の4グループに分かれて編集作業を行いました。Wikipedia講師のうち私(かんた)は難しそうな「遺構・遺物」のグループに入り、伊達深雪さんには4グループを巡回して編集サポートなどを行う役割を担ってもらっています。

(写真)編集中の参加者。
3時間後には「糞置遺跡 - Wikipedia」が完成し、ゼロから作成したとは思えない文章量となりました。新規作成された記事の中から質の高い記事を選ぶ投票の結果、6月25日(火)23時から6月26日(水)23時には「糞置遺跡」がWikipedia日本語版メインページに掲載されています。

(写真)編集中の参加者。
イベントの様子は『日刊県民福井』(『中日新聞』福井県版)に取材され、6月23日の朝刊に記事が掲載されました。
参考:「糞置遺跡をウィキペディアに 市民参加型でページ作り 福井」『中日新聞』2024年6月23日