以下の内容はhttps://ayc.hatenablog.com/entry/2024/01/20/184723より取得しました。


下仁田町の映画館

(写真)本宿倶楽部ブームタウン劇場の建物。

2024年(令和6年)1月、群馬県甘楽郡下仁田町を訪れました。「下仁田町を訪れる(1)」「下仁田町を訪れる(2)」「下仁田町を訪れる(3)」からの続きです。

※2024年10月には内容に大幅な修正を加えました。

 

ayc.hatenablog.com

ayc.hatenablog.com

ayc.hatenablog.com

1. 下仁田町の映画館

1.1 本宿倶楽部ブームタウン劇場(1949年-閉館年不明)

所在地 : 群馬県甘楽郡下仁田町本宿
開館年 : 1949年
閉館年 : 不明
映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「長楽寺」南南西170mに現存。

日本すきま漫遊記の「本宿倶楽部ブームタウン劇場」によると、下仁田市街地から8km北西にある本宿集落には本宿倶楽部ブームタウン劇場という劇場・映画館があったようです。

(写真)本宿倶楽部ブームタウン周辺の航空写真。Googleマップ

 

NPO法人RACが刊行する雑誌『レスタウロ』第16号(2005年6月)には、「下仁田本宿地区のまちづくりにおける旧本宿クラブ・ブームタウン劇場の修復活用の意味」が掲載されています。

下仁田町公民館図書室には自費出版の書籍『西牧村 本宿回想記』(薫一子、2023年)があり、本宿倶楽部ブームタウン劇場について多くのページを割いていました。現状ではどこの公共図書館にも所蔵されていない文献であり、ネットで購入できるような性格の文献でもないため、閲覧は困難です。

(写真)本宿倶楽部ブームタウン劇場の建物。2024年10月。

(写真)本宿倶楽部ブームタウン劇場の建物。2024年10月。

1.2 下仁田キネマ(1958年頃-1965年頃)

所在地 : 群馬県甘楽郡下仁田町381-1(1965年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1965年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「下仁田キネマ」。1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「下仁田キネマ映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は下仁田駅北東30mの駐車場。

(写真)下仁田町の映画館として下仁田東宝映画劇場と下仁田キネマ映画劇場の2館が掲載されている『映画便覧1965』時事通信社、1965年。

(写真)1957年の下仁田町都市計画図。下仁田キネマを意味する「映」。下仁田町歴史館の展示物。

 

1.3 歌舞楽座/下仁田東宝(明治時代-1972年頃)

所在地 : 群馬県甘楽郡下仁田町363(1972年)
開館年 : 明治時代
閉館年 : 1972年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「下仁田東宝映画劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「下仁田東宝」。1963年・1965年・1966年の映画館名簿では「下仁田東宝映画劇場」。1969年の映画館名簿では「下仁田東宝映劇」。1970年・1971年・1972年の映画館名簿では「下仁田東宝」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「群馬銀行下仁田支店」南東50mにある4軒分の建物。

2014年(平成26年)1月には下仁田町歴史研究会が「明治30年下仁田町古地図」を製作しています。この地図には仲町本通り、停車場通り、新通の中央に歌舞楽座なる巨大な建物が描かれています。

なお、『北甘楽郡郷土誌』(精美堂、1917年)によると、歌舞楽座の株式会社としての設立年は1914年(大正3年)であり、上記の古地図が対象としている明治30年代にはまだ設立されていなかったことになります。明治30年代に既に歌舞楽座があったのかどうか疑問が残ります。

(写真)明治30年下仁田町古地図。下仁田町歴史館の展示物。

 

下仁田町歴史館の2階には、古代から現代までの下仁田町の歴史に関する展示があります。1916年(大正5年)の下仁田町商工業名鑑案内地図にも歌舞楽座が描かれていました。歌舞楽座の東側には西村座という施設も見えますが、『北甘楽郡郷土誌』によると西村座は1911年(明治44年)に創立した劇場のようです。

(写真)1916年の下仁田町商工業名鑑案内地図。下仁田町歴史館の展示物。

(写真)1916年の下仁田町商工業名鑑案内地図における歌舞楽座。下仁田町歴史館の展示物。

 

舞楽座の写真も展示されています。桝席や花道を有する芝居小屋だったようです。緞帳が下りているので廻り舞台を有していたかどうかはわかりません。

(写真)歌舞楽座の写真。下仁田町歴史館の展示物。

 

下仁田町歴史館には1924年大正13年)の上信電気鉄道沿線名所案内も展示されていました。作者は吉田初三郎の弟子でもあった鳥瞰図絵師の金子常光です。金子常光の経歴は定かでなく、没年すら判明していません。

下の図の中央、横書きで「下仁田町」と描かれている場所付近に歌舞楽座があったはずですが、歌舞楽座という文字は見当たりません。

(写真)1924年の上信電気鉄道沿線名所案内。下仁田町歴史館の展示物。

(写真)1924年の上信電気鉄道沿線名所案内。下仁田町歴史館の展示物。

戦後の映画館名簿には下仁田町下仁田東宝が掲載されています。晩年の映画館名簿によると下仁田東宝の所在地は下仁田町363であり、この番地は歌舞楽座の場所と一致します。明治時代から戦前に存在した歌舞楽座が、戦後になって映画館化して下仁田東宝に改称した、と考えてよさそうです。

(写真)1957年の下仁田町都市計画図。下仁田東宝を意味する「映」。下仁田町歴史館の展示物。

(写真)下仁田東宝跡地の民家。

 

下仁田町の映画館について調べたことは「群馬県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(群馬県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com




以上の内容はhttps://ayc.hatenablog.com/entry/2024/01/20/184723より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14