
(写真)代官町商店街。
2023年(令和5年)3月、愛知県名古屋市東区代官町と筒井町を訪れました。
※2025年2月には本記事から「代官町・筒井町を訪れる」を分割しています。
2. 代官町の映画館
1943年の映画館名簿
戦中の1943年(昭和18年)の映画館名簿で名古屋市東区を見てみると、竪代官町に京枡映画劇場、音羽館、敷島映画劇場が掲載されています。

(写真)『映画年鑑 昭和18年』日本映画協会、1943年。国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開。
1960年の映画館名簿
日本の映画館数がピークを迎えた1960年(昭和35年)の映画館名簿を見てみると、竪代官町に京枡大映と代官町映劇が掲載され、筒井町に筒井町東映が掲載されています。

(写真)『映画便覧 1960年版』時事通信社、1960年。国立国会図書館デジタルコレクションで個人送信サービス。
2.1 敷島劇場(1937年頃-戦時中)
所在地 : 愛知県名古屋市東区竪代官町(1943年)
開館年 : 1937年頃
閉館年 : 戦時中
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「東宝敷島劇場」。1943年の映画館名簿では「敷島映画劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
1890年(明治23年)、4代目滝兵右衛門(タキヒヨーの創始者)によって竪代官町(代官町商店街)の南東部に愛知織物会社(通称「丸織」)が設立され、1000人以上の女工が働く織布工場が建設されました。1918年(大正7年)には東区千種町高見(現・千種区高見)に丸織の新工場が完成し、1932年(昭和7年)には代官町の工場が完全に閉鎖されています。
1万8000坪の丸織工場跡地は土地区画整理の対象となり、1937年(昭和12年)頃に映画館の敷島劇場が開館しました。1945年(昭和20年)の名古屋空襲では代官町の東部が焼失し、敷島劇場も被災して閉館したものと思われます。

(写真)愛知織物竪代官町工場がある1929年頃の代官町・筒井町。「筒井町商店街の変遷」『ひがし』東区郷土史研究会、2004年、第10号。

(写真)敷島劇場が描かれた1941年の代官町商店街。『東区の歴史』東区総合庁舎建設後援会、1973年。
2.2 代官町映劇(音羽座、1926年-1962年頃)
所在地 : 愛知県名古屋市東区竪代官町3(1960年)
開館年 : 1926年、1952年9月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年9月開館。1930年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年の映画館名簿では「音羽館」。1953年・1955年の映画館名簿では「ひまわり座」。1958年・1960年の映画館名簿では「代官町映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はスーパーマーケット「マックスバリュ代官店」駐車場。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線高岳駅または車道駅。
代官町でもっとも早くから映画館として営業していたのが音羽館であり、戦後にはひまわり座、代官町映劇と改称しています。代官町商店街の西端部、名古屋市電の平田町電停に近い場所にありました。1941年(昭和16年)の商店図を見ると、商店街の通りを挟んで正面には公設市場があったようです。

(写真)音羽館と京映劇場が描かれた1941年の代官町商店街。『東区の歴史』東区総合庁舎建設後援会、1973年。

(写真)「名古屋の窓口 代官町映劇」『名古屋タイムズ』1956年3月6日。名古屋市鶴舞中央図書館に閲覧用端末あり。

(写真)代官町映劇跡地のマックスバリュ。

(写真)代官町映劇跡地のマックスバリュと代官町商店街。
2.3 京映劇場(京枡座、1941年7月-1964年頃)
所在地 : 愛知県名古屋市東区竪代官町4(1964年)
開館年 : 1941年7月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1941年7月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年・1946年・1947年・1950年・1953年の映画館名簿では「京桝映画劇場」。1955年の映画館名簿では「東宝京映」。1958年・1960年の映画館名簿では「京桝大映」。1963年・1964年の映画館名簿では「京桝日活」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はスーパーマーケット「マックスバリュ代官店」建物東側。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線高岳駅または車道駅。
代官町映劇とともに代官町の西端部にあったのが京映劇場であり、戦前は京枡座という名称でした。1953年(昭和28年)の名古屋タイムズに掲載されたイラストでは、ひまわり座(後の代官町映劇)から1軒挟んで京映が描かれています。

(写真)ひまわり座と京映が描かれた代官町商店街。『名古屋タイムズ』1953年2月17日。『名古屋なつかしの商店街』風媒社、2014年にも掲載されている。
1956年(昭和31年)に名古屋タイムズに掲載された連載「名古屋の窓口」では、代官町筋は空襲を受けなかったので(建物の更新がなされずに)中途半端であるという記述が気になります。

(写真)「名古屋の窓口 京映劇場」『名古屋タイムズ』1956年4月2日。名古屋市鶴舞中央図書館に閲覧用端末あり。

(写真)京映劇場跡地のマックスバリュ。
3. 筒井町の映画館
3.1 筒井町東映(八千代館、1926年-1962年頃)
所在地 : 愛知県名古屋市東区筒井町2-1(1968年)
開館年 : 1937年8月
閉館年 : 1968年
『全国映画館総覧 1955』によると1937年8月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年の映画館名簿では「八千代館」。1943年・1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「東松竹」。1953年・1955年の映画館名簿では「東松竹映画劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「筒井町東映」。1966年・1968年の映画館名簿では「筒井町映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「コーポラ建中」。東区最後の映画館。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線車道駅。
筒井町商店街は建中寺の門前にある商店街であり、歴史的には代官町商店街よりも古いようです。山門の前には境内と連続性がある建中寺公園があり、その南は広場のように拡幅された短い道路があります。この道路の南東にあったのが筒井町東映であり、代官町の各映画館よりも拠点性のある映画館だったと思われます。

(地図)戦後の筒井町東映と同一地点に八千代館が描かれている『名古屋市居住者全図 昭和4年調昭和8年調』名古屋市鶴舞中央図書館、1938年。名古屋市鶴舞中央図書館所蔵。

(写真)「名古屋の窓口 東松竹映画劇場」『名古屋タイムズ』1956年4月9日。名古屋市鶴舞中央図書館に閲覧用端末あり。
戦前のこの映画館は八千代館という名称であり、戦後には東松竹映画劇場、筒井町東映、筒井町映画劇場と変遷します。
1956年(昭和31年)の『名古屋タイムズ』の連載「名古屋の窓口」には東松竹映画劇場として掲載されています。(栄の映画館街ではなく)千種区の今池、北区の大曽根の各映画館街がライバルだったことがわかり、名古屋市電があった時代でも集客に苦戦していたようです。1957年(昭和32年)の連載「映画館めぐり」には筒井町東映として掲載されています。


(写真)「映画館めぐり 筒井町東映」『名古屋タイムズ』1957年9月12日。名古屋市鶴舞中央図書館に閲覧用端末あり。

(写真)1957年の筒井町商店街。左端が筒井町東映。『名古屋今昔写真集』樹林舎、2007年。

(写真)筒井町商店街。中央奥が筒井町東映跡地のマンション。


(写真)筒井町商店街の街灯。
代官町・筒井町にあった映画館について調べたことは「名古屋市北東部の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。