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豊橋市二川地区の映画館

(写真)二川座の映写室。

2023年(令和5年)1月、愛知県豊橋市二川地区を訪れました。かつて二川地区には映画館「二川銀映」があり、建物の一部が現存しています。「豊橋市二川地区を訪れる」からの続きです。

 

※2025年10月にはこの記事から「豊橋市二川地区を訪れる」を分割しました。

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3. 豊橋市二川地区の映画館

3.1 二川座(1932年頃-1944年頃)

近代の二川町では製糸業が発展し、1932年(昭和7年)頃には劇場兼映画館の二川座が開館しました。2階席や花道もあり、収容人数は300人。戦局が悪化した1944年(昭和19年)頃に廃館となったようです。商家「駒屋」の北、山本医院の東には、二川座の映写室とされるコンクリ製の構造物が残っています。

(写真)二川座の映写室。

 

映写室とされるコンクリ製の構造物はいささか不自然な場所にあります。

豊橋百科事典』には「(二川座は)駒屋瀬古に面して東向きに建っていた」とありますが、映写室西側の穴から西に向けて投影していたとすると、この映写室は西向きです。また、駒屋西側の路地(駒屋瀬古)までの距離は10m弱しかなく、300人収容の劇場としては短すぎます。さらに、一般的に映写機はホール後方の中央部に置かれるものですが、この映写室は道路ぎりぎりの場所にあります。

(写真)二川座の映写室。(左)西側に投影用の穴が見える。(右)煉瓦やブロックで埋められた出入口。

 

戦後の住宅地図には映写室がある場所に山本邸が描かれており、映写室は山本医院の経営者の所有物であると考えられます。現在の山本医院の建物を建てる際などに、何らかの理由で映写室を移設してまで残したのでしょうか。

(写真)二川座が面していた通り。奥は商家「駒屋」。

(写真)二川市街地における二川銀映と二川座の跡地。地理院地図

 

3.2 二川銀映(1959年10月-1970年頃)

所在地 : 愛知県豊橋市大岩町東郷内41(1970年)
開館年 : 1959年10月
閉館年 : 1970年頃
豊橋市二川地区市民館」南西20mに映画館の建物の一部が現存。

戦後の映画館名簿には豊橋市大岩町の映画館として二川銀映が掲載されています。日本の映画館客数が減少に転じた年である1959年(昭和34年)10月に開館し、1970年(昭和45年)頃まで営業しています。

(写真)二川銀映が最後に掲載されている『映画便覧 1970年版』。

(写真)二川銀映が描かれている1963年の全商工住宅案内図帳。豊橋市中央図書館所蔵。

 

当初は定員450でしたが、やがて北側を詰めて200に減らし、詰めた部分にはパチンコ店、フードセンター、薬局が入ったとのこと。1970年(昭和45年)の映画館名簿によると、経営者は植村光治郎、支配人は植村肇。木造平屋の建物であり、定員は202人でした。

(写真)『ふたがわ発掘クラブ通信』二川・大岩地区まちづくり協議会、2003年10月、第7号。豊橋市二川地区市民館図書室所蔵。

 

豊橋市二川地区市民館で二川銀映について聞いてみましたが、職員の方も館長も知らないとのこと。そこで東海道沿いにある福井荒吉商店で店主(70代?)に話を聞いてみました。

点滅信号の北にある辻の北東側には『銀映』があった。映画館の建物の一部が残っており、ビニールシートなどで覆われている。跡地のすぐ南側には所有者だった方の自宅がある

(写真)二川銀映跡地に二川フードセンターと王水堂が描かれている1984年のゼンリン住宅地図。愛知県図書館所蔵。

 

その後、二川銀映の跡地付近で写真を撮っていると、たまたま元経営者の方(60~70代)が帰宅されたので話を聞けました。

私の家は、戦後に豊橋市内の東田から二川にやってきて映画館を建てた。収入の半分を映画会社に持っていかれてしまうので儲からない商売だ。三河湾に浮かぶ篠島には母の在所があり、海水浴場側に映画館があった。現在は畑になっている

銀映を閉館させた後、建物の北側をスーパーとしていたが、やがて取り壊した。南側も取り壊して家を建て、中央部だけを倉庫として残してある

(写真)二川銀映の建物の一部。

 

二川銀映の建物の変遷はややこしいので図にしました。もとは建物のほぼ全体がホールであり、1961年(昭和36年)の航空写真に見えている附属建物部分には便所と通路があったと思われます。定員450から定員200に縮小した段階で、ホール前方を区切ってフードセンターなどのテナントに。映画館の閉館後もテナントは営業していましたが、その後テナント部分と建物南側を取り壊して、中央部分だけを倉庫として残しているようです。

(写真)1961年の二川銀映。地図・空中写真閲覧サービス (図)二川銀映の建物の変遷。



豊橋市街地のスカラ座の話、西尾市の西尾劇場の話なども聞けました。昨今のシネコン事情もご存じであり、「昔から営業を続けている映画館はほとんどない。シネコンのコ〇ナグループでさえも、発祥地の江南コ〇ナは閉館してしまった。豊川コ〇ナは客が少ないが大丈夫だろうか」と心配そうでした。

(写真)二川銀映の建物の一部。

(写真)二川銀映の建物の一部。

(写真)二川銀映が面していた通り。

(写真)二川銀映の話を聞いた福井荒吉商店。

 

豊橋市二川地区にあった映画館について調べたことは「豊橋市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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