
(絵図)猪名野神社周辺の鳥観図。吉田初三郎『伊丹市』(伊丹市役所、1953年)。
2022年(令和4年)4月、兵庫県伊丹市を訪れました。かつて伊丹市には多数の映画館がありました。
※2025年4月には本記事から「伊丹市の映画館(2)」を分割しました。
1. 映画館調査
ある自治体の映画館について調べる場合、①映画館名簿、②住宅地図、③書籍の郷土資料、④新聞記事/雑誌記事という順に調査を進めます。
①まずは愛知県図書館などが所蔵している各年版の映画館名簿を閲覧し、映画館の数、それぞれのおおまかな開館年や閉館年、それぞれの住所を把握します。②次にその自治体がある都道府県の県立図書館で住宅地図を閲覧し、正確な場所を特定します。③そしてその自治体の公共図書館で郷土資料を閲覧し、映画館の写真を含めてできる限り多くの情報を収集します。④最後にその自治体がある都道府県のブロック紙/県紙や、その自治体に関連するタウン誌で、映画館に関する記事を収集します。
1.1 映画館名簿
『日本映画事業総覧 昭和5年版』 国際映画通信社、1930年
国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されている1930年(昭和5年)の映画館名簿を見ると、川辺郡伊丹町には「寿座」と「伊丹劇場」の2館がありました。伊丹劇場は複数の文献で言及されていますが、寿座がどのような映画館だったのかはわかりません。
大正時代以前はもっぱら活動常設館(活動写真常設館)という表現が用いられていましたが、昭和初期には活動常設館と映画館という表現が混在していたと思われます。

『映画年鑑 昭和18年』日本映画協会、1943年
国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されている1943年(昭和18年)の映画館名簿を見ると、川辺郡伊丹町には「伊丹劇場」と「中央映画劇場」の2館がありました。1938年(昭和13年)に開館した中央映画劇場は後の伊丹東映劇場のことです。

『全国映画館総覧 1955年版』時事通信社、1955年
1953年(昭和28年)と1955年(昭和30年)の映画館名簿に開館年が掲載されている点で価値があります。「伊丹劇場」、「中央劇場」、「若草劇場」の3館があり、戦後になって3館目の映画館として若草劇場が開館したことがわかります。
伊丹劇場は松竹・日活・新東宝を上映。中央劇場の上映系統は邦画混合、若草劇場の上映系統は洋画混合とありますが、二番館として複数の系統を上映していた場合にこのような表現がなされます。

『映画便覧 1963』時事通信社、1963年
日本の映画館客数がピークを迎えたのは1958年(昭和33年)、映画館数がピークを迎えたのは1960年(昭和35年)です。伊丹市の人口が10万人を突破した1963年(昭和38年)の映画館名簿には「若草劇場」、「伊丹東映」、「伊丹劇場」、「御園劇場」、「伊丹日活」、「伊丹大映」の6館が掲載されています。
悠紀町、桜崎、永長町、若松町という町名は現存しないため、跡地の特定は1964年(昭和39年)の住宅地図などに頼ることになりますが、若草劇場のみは特定できていません。

『映画館名簿 1976』時事映画通信社、1975年
伊丹市の映画館の歴史は、単独館が主流だった1950年代-60年代、ビル時代の1970年代-90年代の2つの時代に分けることができます。1970年(昭和45年)頃までにはそれまでの映画館がほぼ閉館し、1976年(昭和51年)の映画館名簿には後継施設である「東映伊丹・ダイニチ伊丹」と「伊丹グリーン劇場・伊丹ローズ劇場」の2施設が掲載されています。

『映画館名簿 1990』時事映画通信社、1989年
1990年(平成2年)の映画館名簿にも「トーエイ伊丹・ダイニチ伊丹」と「伊丹グリーン劇場・伊丹ローズ劇場」の2施設が掲載されていますが、前者は1991年(平成3年)頃に閉館し、1990年代の大部分は伊丹市に映画館が1施設しかない状態が続きます。

『映画館名簿 2003』時事映画通信社、2002年
2002年9月8日にはグリーン劇場・ローズ劇場が閉館し、10月には8スクリーンを有するシネコンの伊丹TOHOプレックスが開館しています。1990年代以前の伊丹市の映画館は最大でも6館であり、一気にピーク時の館数を更新したことになります。

1.2 住宅地図

(写真)伊丹市立図書館「ことば蔵」。

(写真)「ことば蔵」が所蔵するゼンリン住宅地図。