数日前、僕は終電に乗っていた。最寄りまではあと一駅。満員の終電に乗って帰るという経験も、大学に入るまでは経験しなかったことだなと、上京一年目の僕はつまらないことでしみじみとしていたのだった。騒がしいドアの方に目をやると、電車に乗りかけた50代ほどの男性が大声で「◯◯駅停まる?」と訊いていた。それに対して駅員は、これまた大きな声で「停まりません!」とシャウトするものだから、話題に上っているその駅が彼と同じく最寄りである僕は非常に焦り出した。確かにこの路線は快速やらのシステムが複雑で、停まると思っていたら停まらなかったというようなことはこれまでも経験しているので、なるほどと頷きながら降りようと試みるも、僕が立っていたのは満員電車の中央。扉が閉まるまでの残り数秒で抗ってもきっと降りられないだろうと、そして無理にチャレンジして目の前で扉が閉まったりなんかしたら、周りの乗客から哀れみの目を向けられて次の駅まで恥ずかしい時間を過ごすのだろうと考え、降りるのは諦めた。頑張って歩いて帰れば良いじゃないかと。閉まる扉にご注意する僕の目の端には、おそらく僕と全く同じ境遇にある別の青年が、電車を降りようとするも降りられなかった様子が映っていた。未来を見るというと特殊能力のようだが、僕と同じく夜道を歩き続けるという彼の数分後の未来は、僕にも見ることができた。
あの駅から歩くと自宅まで何分かかるのか。家に帰るのは何時になるのか。そもそもスマホでの帰宅経路検索の結果はこの列車に乗るよう指示してきたはずなのに何がおかしかったのか。遅延があって1本ずれたものに乗ってしまっていたとかそういうオチか。そんなことを考える僕を乗せた列車は夜の東京を駆け、数分後に停車した。辿り着いたのは僕の最寄り駅だった。やはり未来を見るなどというのは到底無理なのだと、改めて気付いた瞬間でもあった。
あのおじさんが帰れたのかどうか今でも気になっている、天井には気付かないです。こんにちは。冒頭の件は、決してあの駅員、ひいては鉄道会社を避難するものではございませんのでご注意ください。*1
さて、本題に入りましょう。昨日の夜10時、謎解きの帰りにおしゃべりしていたら急遽テーマを変えることを思い立ったので爆速で筆を進めています。そのテーマは──
「裏に隠れた人間味を感じてしまうとつまらなくなってしまう説」*2です。
では、お話ししていきましょう。
人間味を感じるとつまらない!?エンタメに対する感性がヤバい!
- 天井のプロフィール
- こんなことを感じたきっかけは?
話題が二転三転してごめんなさい。アフィカス*3 的なことをやろうとしたら、はじめが自己紹介になってしまいました。してなかったのでちょうど良いですね。
【プロフィールは?】
天井には気付かない。AnotherVision7期。公式略称は「天井」。第70回駒場祭公演『パスティール』では制作陣の一員として参加。公式Twitter(@swirl103537416)では日々の呟きを垂れ流している。
【彼女は?】
調べてみましたが、どうやらいないようでした…。
これからの人生に注目ですね!
これ自分でやっときながらなかなか苦手だったので通常営業に戻ります。
皆さんは、それまで夢中になっていたことが急につまらなくなったり、熱が冷めてしまったりすることがありませんか。なくても読み進めてください。僕の語彙力がないため上手く説明できませんが、それに似た感覚を覚えたことが幾度となくあります。詳しく説明します。
【パターン1 ライブ】
僕はいわゆる「邦ロック」という音楽ジャンルが好きで、ときにライブハウスにも足を運びます。興味を持ったのは中学生の頃でした(自分語りが始まった!)。その頃はまだCDを買ったりYouTubeでM Vを観たりと、家の中で楽しんでいましたが、高校に入ってからは地元のライブハウスにも行くようになったわけです。ライブ会場がドームとかホールなら話は別ですが、小さなハコでは観客と演者の距離がとても近く、終演後に演者とお喋りする機会まであったりします。
で、ここで、です。
バンドマンと同じ高さの床の上でお話をしてしまった瞬間、僕は「自分と彼が同じ世界に生きている」ことを知ってしまうわけです。それまでは、イヤホンを通して鼓膜を心地よく震わせてくれる存在であり、黄色い光に包まれた暗い舞台の上の存在であり、長い前髪の隙間から時に瞳を覗かせる存在であり、観客である自分とは遠く離れた世界から音楽を届けに来てくれた存在であったあの人が。自分と同じ世界を生きているのです。
これを悟ってしまったとき、自分はなぜライブを観にきているのかが分からなくなってしまいました。うまくは説明できません。とにかく「自分と同じ世界にいるから」です。ある種のカリスマ性が失われたと捉えることもできるでしょう。
【パターン2 謎解き公演】
アナビのアドベントから出しているブログなので謎解きの話に触れます。きのう、アナビの同期と共にとある謎解き公演に参加してきたのですが、そこで僕は「緊張しませんでした」。
ファミマで発券したチケットを握り締め、県の中心にある文化会館の会議室に一人で辿り着き、何歳も年上の方々と謎を解いた中学生の頃とは、もちろん違うことが多々あります。一人じゃなかったとか、謎解きの経験が増えたとか。しかしそれでも説明はつきません。高校時代、友達と行った公演もバリ緊張しましたし、それまでに一応両手の指の本数を超えるほどは公演に行っていたので、場慣れしていないでもありませんでした。
では、何故か。
今年の駒場祭での謎解き公演『パスティール』の制作に携わったことで、製作者と自分が「同じ世界にいる」ことが分かってしまったのです。それまでは、席に誘導し注意事項を伝えてくれる存在であり、登場人物や裏方としてゲームを支えてくれる存在であり、解けなかった謎を解説し驚きと悔しさを与えてくれる存在であり、解き手である自分とは遠く離れた世界から謎を届けに来てくれた存在であったあの人が。自分と同じ世界を生きているのです。裏にあるものが見えてしまったみたいな、そんな感覚です。
さて、このような状況でいかにしてエンタメを楽しむかということを考えていくわけでございます(古い演説みたいな言い回しになってしまった)。
考えてみればそもそも、近年では「(同じ世界を生きているという意味で)相手と同じ立場」であることの価値が高まっているようです。「会いに行けるアイドル」というコンセプトを掲げるAKB48の出現から何年が経ったでしょうか。アイドルの世界においては、ステージ上というフィールドに留まらず、握手会やチェキといったフィールドが存在しています。相手と同じ立場であることに気付くことはマイナスとして働くのではなく、今やプラスとして機能することが正常になっているのです。たぶん。相手と「同じ立場」であり「別の立場」でもあるという共存が、面白さの一つとして考えられているのでは? と。僕は頑固なのでこれが上手く飲み込めないのですが…。
そうなると、コンテンツを与える側が「人間味を感じさせない」とか、享受する側が「立場の差を常に意識する」とかいう方向性ではなく、そこに見えてしまう同じ種族としての人間味をお互いが素直に認めてしまおうという話になるわけです。さらにそれを楽しもう、と。
謎解きにおいては、制作経験者は「制作者やスタッフの立場からの視点」を獲得すること、そうでない場合でもライブと同じで「スタッフに話しかける」ことなどによって、同じ世界に生きていることを実感できるわけです。
こういった、立場の差を感じないことによる楽しみというのは、受け入れられる方と受け入れられない方がいると思いますが、あくまで僕の一説です。僕自身その楽しみを受け入れられていないので、このブログは自分を納得させるために書いたとも言えます。
エンタメの享受の仕方が変遷する中で、自分が何かに向けて持っている熱を絶やさないように、こんな思考をしてみてもいいのかなというご提供でした。
それでは、クリスマスまで、良い日々を。