勇気を出してまるまる1週間の夏休みを取得して、ずっと行きたかったオーストラリア旅行を敢行。10月、季節は初夏。わたしが人生で出会ったオーストラリア人は、サンプル数が少ないとはいえ例外なく100%全員が信じられないくらいハッピーで優しい聖人たちで、この人たちが育まれた地はどれだけ素晴らしいのだろうと夢見て早5年ほど。
旧友たちとの再会も目論んでシドニーは必須。友達はメルボルンとウルルに行ったことがあったので、せっかくなので行ったことのない街をもうひとつかふたつ見てみようという話になり。パース、ブリスベン、タスマニアと色々候補は出たものの、生来の計画性のなさと怠惰ゆえにどうしてもリサーチのやる気が出ず、なんとなくゆったりしてそうなケアンズでいっか!という雑チョイスで旅路決定。行き当たりばったりでも、きっとオーストラリアの懐の広さでどうにかなることでしょう♩と神に祈り、そしてどうにかなった、ありがとうオーストラリア。長くなったので、まずはケアンズ編。
- キュランダ鉄道でうたた寝
- はじめまして、コアラ
- 無人のリバーウォーク、野生の黒い七面鳥
- 船酔いとうっかりミスは身を滅ぼす
- グレートバリアリーフで未知との遭遇
- 海辺ラン、プールサイド・バカンス
- 海辺ランPart 2、最終日は買い物のためにある
- 総括
キュランダ鉄道でうたた寝


早朝便で到着し、早々に活動を開始してキュランダ鉄道へ。「世界の車窓から」のオープニングでずっと使われていた場所らしいのだが、残念ながらまったく身に覚えがない。レトロな鉄道に乗って、何時間もかけて渓谷や山をゆったり進んでいく。

自然を楽しむとはいえ、基本は変わらぬ風景。こちとらLCCの深夜便で劣悪な睡眠を貪り、全身バキバキのなか朝から動いているわけで、どんぶらこと揺られながら、もちろん寝た。むしろ、ものすごく気持ちよく寝た。プールの後とかまつぱの最中とかに匹敵する、あの説明のつかない深くて気持ち良すぎる短期集中の惰眠。あれを彼の地で味わうことができた贅沢。
はじめまして、コアラ
一応キュランダ鉄道の目的地はキュランダ村というところで、ここで半日くらいの自由時間の後にまた同じ鉄道に乗って帰還する。昔はヒッピーの街として栄えていたようなのだが、今は悲しいほどに過疎っていて全然人がおらず、それでもヒッピー的な寂れた無人のお店や看板やアートは異様な形で残っていて、正直かなり不気味だった。誰もいないのに、どこもかしこもマリファナの匂いで充満している。公園の電線に片方だけの靴が大量に吊るさっていて、めちゃくちゃ怖い。今回の旅で初めて知ったのだが、通説によるとドラッグ販売のサインらしい。実際、公園には売人っぽい人が怪しく屯していた。
そんな好印象とは程遠いキュランダ村。電車を早めることもできないので早々に時間を持て余し、予定になかった動物園を訪問。はじめてコアラと対面した。


ほとんどのコアラが寝ていたが、起きてむしゃむしゃと笹を摂取する食いしん坊コアラや、撫でながら写真を撮らせてくれるファンサコアラなどがいて、動物があまり得意でないわたしもめろめろに。カンガルーやワラビーやクオッカなどにも会えて、THE・オーストラリアを堪能。
無人のリバーウォーク、野生の黒い七面鳥
さらに時間を持て余し、シメとして川沿いのウォーキングコースをお散歩。ジャングルのような緑濃い熱帯林なのだが、こちらもほぼ無人。恐ろしすぎるよ。
現地の観光サイト的なものに「森を歩いている時に藪からガサガサという音がしたら、それは野生の七面鳥よ、ふふっ」的な穏やかならない記述があり、大の鳥嫌い(さらに今年は都内でカラスに後頭部を二度襲われるという悲劇を経験済み)のわたくしは内心ビビりつつも「またまた〜」と油断していた。
だが、森を歩いていたら、藪からガサガサという音がして、野生の七面鳥が出現した。

一言一句が綺麗に予言通り。黒いボディに赤い首。人間に危害を与える感じではないが、デカいし、ビジュアルが特殊すぎる。川沿いのお散歩中に、奇しくも5羽くらい遭遇した。ちょっと多すぎではないか。オーストラリアは総じて素晴らしい国だったが、唯一好きになれないのが、どの場所もとにかく鳥が多かったこと。さらに、さすがオーストラリアだけあって、見たことのないオリジナルの鳥で溢れていた。鳥好きには天国かもしれない。
船酔いとうっかりミスは身を滅ぼす
翌日はケアンズの目玉イベントであるグレートバリアリーフでのシュノーケルへ。一日かけてグリーン島→ポンツーン(沖合の人工島)の両方に行けるツアーに参加して、わくわくの出港・・・を迎えて早10分、とんでもない船酔いに襲われ、常に嘔吐5秒前くらいの瀬戸際に追い込まれる。友達もまったく同じ状況で、一言も喋れないどころか目も開けられない指も動かせないくらいの限界の人間が隣り合ってふたり。やばすぎる。もともと酔いやすい船だと聞いていたので、慌てて酔い止めを飲むが時すでに遅し。海に潜る前にお空に昇天するところだった。ぎりぎり人権を保ったまま終盤はかろうじて意識を取り戻して陸に上がることができたが、ここで早くも体力と気力の半分を喪失。

そんな修羅場の序盤、ホテルのセーフティボックスに、ふたりのありとあらゆる貴重品を入れて、そのままボックスのドアを閉めずに出掛けてきてしまったことが判明。脳裏にフラッシュバックする、ドア開けっぴろげのセーフティボックスの情けない風景。すべての貴重品が一箇所にまとめられて、まだ見ぬ泥棒的な人物に「これで全部です!」と自らお膳立てしている謎の状況。あほすぎる。吐き気と不安と絶望で目の前が霞むのを感じながら、沖合に近付くにつれて電波も弱まっていくなか、ホテルに電話して、クリーニングは不要なので部屋に絶対に立ち入らないでほしい旨をパッションイングリッシュで伝えてなんとか事なきを得た。あそこで電話ができなかったらかなりやばかったかもしれない、ありがとうahamo(ただしここ最近、普通の東京の市街地でもあまりに電波が繋がらないことは許していない)
グレートバリアリーフで未知との遭遇

気を取り直してシュノーケリング。と思いきや、グリーン島は結構な強風が吹き付け、さらに雨も降っていた。そして寒い。結構イメージと違ったが、晴れたり雨が降ったりするなか気合いで泳ぎ、浅瀬とはいえ色んな種類の魚を至近距離で見れた。海に潜ると、当たり前だけど陸とあまりに様子が違いすぎて、まったく違う生態系の完成された世界にいつもショックを受ける。これが本当のカルチャーショック。

沖合の深い海に浮かぶポンツーンでは、ついにグレートバリアリーフに接近。海の底にびっしりと広がる珊瑚礁、立派かつあまりに途方もなくて、集合体恐怖症の気のある身にはちょっと衝撃だった。所々に本物の青い珊瑚礁がいた。
ちなみにケアンズにはなぜか日本人スタッフがたくさんいて、英語が必要ないくらいだったのだが、ポンツーンで提供されるランチビュッフェのメインはなんとJapanese Curry Rice。これがはちゃめちゃに美味しかった。本当に日本の家庭のカレーで、あまりの美味しさに、まるまる一皿おかわりしてしまった。
海はもちろん深いのだが、珊瑚礁がずっと続いているのだから果てしなく海底も見えているわけで。底が見えない恐ろしさはもちろんあるのだろうけど、海に底がある、それが延々に続いている、という当たり前の事実がなぜだか心底恐ろしかった。自分が生きているのとは別の世界がより大きなスケールで存在していることに、理屈ではなくて本能で圧倒されたというか。
さらにかなり水質が綺麗で波も少ないからか、プールにいるみたいに思えてきて、オセアニアの大洋にぽつんと浮かんでいるというのに、なんだか現実味がなかった。
ということで、念願のグレートバリアリーフは感動よりも衝撃の方が大きかった。自分がこんな気持ちになるとは思わなかった、これも生の体験だなあ。


意外にも一番魅了されたのは、無数の触手が同じ方向に揺れるイソギンチャク。水流に揺蕩う動きの、本物のシンクロナイズドスイミング。自然の不規則の動きに、吸い込まれるような美しさと不思議があって、海に浮かんでぼーっと眺めていた。
海辺ラン、プールサイド・バカンス
シュノーケリングの日の晩は、大人の判断でちょっといいホテルに宿泊。長い旅行で小休止を持つためにも、宿を楽しむためにも、丸一日なんにも予定のない日を作ったのは振り返ると英断だった。学生時代にはこんなこと思いつきもしなかった。


洒落たカフェでゆっくりブランチを楽しみ、Cairns Art Galleryという地元のアーティストの作品を集めた小さな美術館で、アボリジニや先住民系のルーツを持つ作品を鑑賞。

ケアンズの海辺には、大人も子供も楽しめるEsplanede lagoonという屋外公共プールがある。そこでローカルの人々が穏やかにちゃぷちゃぷしている。その周辺には、海沿いのボードウォーク、自転車用道路、公共のジム遊具、誰でも使えるIHなどが整備されており、夕方には早々に仕事や学校を終えた人々がゆるやかに集い、それぞれが穏やかに家族や友達と時間を過ごしている。走ったりお散歩したり寝転んだり筋トレしたり、なんだこの絵に描いたような平和な日常は。それぞれに色々なことはあるのだろうが、それでも生活を支える街の底の厚さに、福祉〜〜!と叫びたくなった(どういう感情?)あまりにも出来すぎていて、なんだか街がバービーの世界みたいに見えてきた。


我々もせっかくなので郷に従い、海辺を走り、ジム遊具で地味に筋トレをし、ホテルに戻ってプールで泳ぎまくり、なんなら見よう見まねでバタフライに挑戦して首の筋を痛めるなど、突然のワークアウトに勤しんだ。そして、へとへとになった体でプールサイドで休憩。いいぞ、これがバカンスだ。
特に欧米系の方の割合が多い気がするのだが、海外旅行あるある・ずっとプールサイドにいて寝たり本を読んだりしている人たちをお見かけすると、なんて贅沢!わたしもあのバカンスがやりたい!などと憧れつつ、現実問題、行きたいところややりたいことがありすぎて絶対に無理。プールサイドでゆっくりする時間なんて、旅程から真っ先に削られてしまう。
彼らはそれらを諦めてもプールサイド・バカンスを優先しているのか、長期滞在で観光する時間は別であるのか、永遠の謎だ。それでも今回は、何もしない日を作ったことで、ちょっとだけその境地に近付けたので一歩前進。心がゆったりと満たされる日だ。




夜ご飯は、海が見えるカジュアルなイタリアン。は〜〜〜スパークリングとジンジャービール(スーパーにも売っているオーストラリアでは定番の飲み物らしいのだが、ノンアルでこれがめちゃくちゃ美味しい)がプール後の体に沁みる沁みる。
イカのカラマリ、衝撃の柔らかさ。アマトリチャーナのリガトーニは、アルデンテのパスタにしっかり出汁が染み込んでいて、旨味が脳天を衝くほど。自分でもこう作れるようになりたい!と密かに決意。クリームソースのニョッキは、とってもソフトでやさしい食感ながら、こちらも味がしっかり染み込んでいて美味しい。我ながら組み合わせが天才すぎて、大満足の晩餐となった。


その後はナイトマーケットを冷やかして、気に入ったジンジャービールとチップスを早くも買い込んで、またもやプールサイドでごろごろ。味をしめすぎている。
海辺ランPart 2、最終日は買い物のためにある
翌日もまたもや海辺朝ランを敢行。さすがに海外にいるということでブーストがかかり、一時的に意識が爆上げされている。海辺を朝走るって、こんなに気持ちいいんだ!という発見。ただし、バードウォッチング愛好会も朝から活動していたことからもわかるように、ここにもやはり多種多様な鳥がいる。怯えながら控えめに走る。走った後はまたもやホテルのプールでクールダウン。ここまでが1セット。


朝ごはんのアサイーボウル。オーストラリアの物価はたしかに東京の1.5〜2倍くらい高くて泣けてくるのだが、ことカフェやレストランに関しては全てのフードの量が多く、量で換算すると割とトントンな気がした。
ケアンズ最終日、ショッピングモールで爆買いおばさんと化したり、beamというLUUP的なもので街を散策したり、お土産を探したり、最終日はかくあるべき、を体現。


そして空港でタップビールとHungry Jacks(バーガーキングのことらしい)を流し込み、ファイナルコールでギリギリ飛行機に飛び乗ってシドニーへ。
総括
ケアンズはかなりこじんまりとした街で、ChatGPTにご意見を伺ったところ、日本でいうと鹿児島くらいの立ち位置らしい。かなり言い得て妙だ。
わたしは旅先で垣間見えるその土地の暮らしを見るのが好き。もちろん目にするのはほんの一部で、本当のところは千差万別で何も分からないけれど。ケアンズはグレートバリアリーフの玄関口であるということ以外、観光的に派手なことはあまりないのだが、滞在終盤にゆったりとローカルの暮らしを疑似体験して、ああここには両手いっぱいの幸福がある、と思った。海と空と緑と風と花、そして太陽、それを家族や友人と日常の中で享受する普通の暮らし。

初日はキュランダ鉄道で山と森と村を見て、2日目はグレートバリアリーフと海を存分に楽しみ、3〜4日目はローカルの空気を感じながらリゾートでゆったり。3日目からはやることが特になく、移動日にしちゃえばよかったかな、もったいなかったかも、と正直なところ若干もやついた気持ちになったりもしたのだけど、ケアンズで過ごす時間の良さを実感できたのは、実はその最後の2日間だった。観光的なことは何もしていないのだけど、それとは無関係に、いまのわたしに必要な大事な日だった。
旅行の中に何にもしない日を組み込むことは勇気がいるが、想定外の発見や知らなかった感情に出会えることが旅なのだとしたら、それが生まれる余地、楽しむための余白を取っておかなければならない。余裕を持って旅程を組むことの大切さ、これは疲労困憊のセブ旅行で身をもって学んだ教訓でもある。ここで豊かな時間を過ごせたこと、忘れない。