翌月中には更新を心がけてきたこの日記、ここ数週間は兎にも角にも引っ越し先の家探しに頭も心もみっちみちに占拠されてしまい、現在進行形でまったく余裕がないのである。賃貸とはいえ我が根城たる家のあり方について考えることは、恐ろしいくらいに自分の人生と向き合うこととイコールである模様。ここ数年は凪の生活を送ってきたこともあり、連日昼夜、交感神経バキバキで迷い悩んでおり、かつてないほどに生を実感している(なんだそれ)。友達や家族に「引っ越しってそんなに重く考えることじゃないと思うよ!」と笑い飛ばされながら。もはや家探しが強迫観念と化して24時間のうち95%くらい家のことを考えているが、9月はそうなる前の日々なので平和でした!
今月のあれこれ
ふたつの美術展(「トーベとムーミン展」と「藤本壮介展」)
美術館に行けるときは心に余裕があるときだな〜〜と思う。精神安定のバラメーター。当時は別に余裕がないつもりはなかったが、社会人になって3〜4年は休日に美術館に行くことなんて滅多になかった。そんななか2回も六本木に足を運べた9月、秋です。
トーベとムーミン展、平日なのにめちゃくちゃ混んでいた。トーベが多才だったことと、素敵な人だったんだなあということがじんわりと伝わってきた。


藤本壮介展は、六本木で夕方から友達の結婚式があり、どう見ても結婚式の髪と服で前乗りして滑り込み。建築っていい仕事だな〜〜と強く思った。


たくさんの素晴らしい作品や展示を見たけれど、何よりも一番じんときたのはご本人が大学時代から書き続けているというスケッチブックの膨大な量。最初の頃は失礼ながら抜群に上手いとは言えないデッサンの変化、綴られた思索の跡、大量のインプットの記録。長い歳月をかけて真摯に建築に向き合い続け、どれだけ思考と実践を積み重ねてきたかということ。それを証明する圧倒的な物量。天賦の才もあるかもしれないけれど、なんと努力の人なのだろう。こんなに長い間、何かひとつのことに打ち込むことの素晴らしさと羨ましさ。そりゃこれだけ努力すれば何者にもなれるよ!と勇気をもらって胸が熱くなった。
1年ぶりに新しいファンデを開拓
去年たくさんのサンプルを試し倒した末に辿り着いたマイベストファンデ・IPSAがついに底を尽き、新たな相棒を探しに大海原(こと三越)に身を乗り出し、前のめりで購入したNARS。十分に多角的に検討したうえで購入したつもりが、なんだか脂性肌のわたしには合わなかったかもな〜〜とやや後悔の日々。毎日のお化粧でちょっと気分が下がるのは長期的にQOLをゴリ下げる予感がぷんぷんしており、どうしようね!
悩みに悩んだ末にHOKA Bondi 9を購入👟
ついに念願のランニングシューズを購入!悩みに悩んだ過程を別エントリにしました。この靴を買った記念に、9月1週目から重い腰を上げて週2ランを再開。が、まだ1mmも痩せずに人生最高体重を更新し続けている。旅行も絶対にこの靴を履いて、1日2〜3万歩くらいを余裕で歩き倒し、会う人会う人に試し履きさせて布教の日々。いいものに出会うととにかく人に薦めたくなる性が芽生えたのは大人になってからのこと。
一度水準を上げてしまうと下げられないもの、世間的には金銭感覚とか生活水準が代名詞な気がするけれど、個人的にそれに負けず劣らず重要なのが靴の履き心地。これまでのNew Balance時代も十分足を甘やかしているつもりで、実際延々歩けるくらいにフィットしていたのだが、最近ひさしぶりにその靴を履いたら、途中で足の裏が痛くなってきて動揺した。New Balanceをパンプスの立ち位置に転落させるHOKA、何者…?あまりのポテンシャルに骨抜きにされすぎて、自分の足の行く末がちょっと末恐ろしい。
今月の食事情
清澄白河のjiuでおしゃディナー




渡辺料理店の予約チャレンジに敗北し、姉妹店のjiuに同期たちと初訪問。我が人生で一番高価なディナーを記録したような気がする。入店した途端、薪の匂いで包まれるという新しい体験。普段こういった創作料理的なものにまったく縁遠いので、自分にこの一食を存分に味わい切れる資質があるのかやや不安だったのだが、コース一本勝負、出てくる料理すべてがおいしくて、新しかった。
なんだろう、わたしが愛しているのは、牛丼とかラーメンとか肉じゃがとか、定期的に無性に食べたくなる、馴染み深いおいしさ。今回わかったのは、創作料理とかこだわりのコース料理といった食事は、まだ感じたことのない味わいの発見、食における新しい体験といったものに価値を見出していて、それは牛丼の対極で同じくらい輝いているということ。過去を志向するか、未来を志向するか、といったら言い過ぎでしょうか。どちらも味覚が礎になっているけれど、前者が本能で味わうものだとしたら、後者は理性や感性を総動員して楽しむものなのかもしれない。どっちが偉いとかはないけれど、おいしいに幅があると、たのしい。
初めてのアフガニスタン料理
気付けば会うたびにエスニックを攻めているアジア周遊の集い。ムーガタ(タイ)→シンガポール→ウズベキスタンと来て、今回は東中野のアフガニスタン料理店へ。孤独のグルメにも登場したことがあるらしい。

とても素敵なお店だった。お店中に食事と窯の温かくていいにおいが満ちていることとか、座敷はカーペットが敷かれて現地仕様になっていることとか、ほんのり温かいくらいの暖色の照明が心地いいこととか、アフガニスタンなんて行ったこともないのに、なぜかふるさとに帰ったような郷愁がある。おかげでこのお店で過ごした友との時間も、なんだか1.5倍増しでいい時間だったなあと温かく思える。
今月のエンタメよりぬき
辻村深月『傲慢と善良』
いつか読むべきだけど絶対喰らうから、いつか大丈夫になってから…と思っていたのに(それって一体いつ?)タイミングよく友達におすすめしてもらい、その場で買って、読み始めたら止まらなくて、血を流しながらもなんとか闇落ちはせずに読破。
もちろん抉られるのだけど、ずっともやもやしていたことを綺麗に言語化してもらえてもはや気持ちいいような感覚もあった。就活と一緒で、ある一定の年齢が過ぎてしまえば楽になれるのかもしれないけれど、その渦中では苦しみもがくしかないよなあ、という結論に至った。
朝井リョウの解説もすごく的を得ていて、特にこの文章は恋愛だけじゃなくて仕事とか目標とか普段の生活にめちゃくちゃ当てはまっていてゾッとした。このビジョンのない流れを揺蕩っているのって、超わたしじゃん……
自分の意思によるビジョンを掲げるのではなく、不正解を避け続ける減点法の人生。その人生を送っているうちは、不正解なわけではないので、取り立てて明確な不満も生まれない。だがその状態に慣れると、自分が何を不満に思うのかというアンテナまでも鈍っていく。不正解でもこれがしたい、という推進の意思を失うことは、正解であってもこれをしたくない、という反発の意思を失うことと同義なのだ。そうなると、ポジティブな方向にもネガティブな方向にも自分の意思が働かなくなり、ビジョンのない流れの中をただ揺蕩うことになる。
自分の感想ややりたいことや欲しいものが明確な人への憧れを日常のなかでふと感じることが多くあり、それはこういうところから来ているのかもしれない。すぐに強い思いを持つことは難しいかもしれないけれど、ちょっとでもやりたいことや気になることがあったら、無理に自分を騙してでも一旦掲げて行動してみる、そして失敗してみる。その先にビジョンがぼやぼやと見えてくるかもしれない、と信じたい!
映画『海がきこえる』
カルピスを飲みながら青春映画を見て夏を感じるつもりが、直前に麻辣湯にんにく増し増しをかきこんで向かったら、ただそこに存在して息をしているだけでめちゃくちゃにんにく臭かったと友達に言われて大変申し訳ない気持ち。
正直なところ、蛇足だなあと思う部分も多く、なんだか全体的にあんまりはまらなかったのだけれど、学校の空気感とか、窓から入り込む風とか、教室からグラウンドを眺める感じとか、そういうのにぎゅっと胸を締め付けられて、今ここにあの時の風が吹き込んだ気がした。それだけでも見た甲斐があった。
随所で「主人公さすがに自己中すぎでは?!」と思っていたのだが、友達が「でも、10代ってああだったよねえ」と大人の姿勢を見せていて、忘れてた!とハッとした。つい昔も今も変わらない気持ちで、若い頃とまったく同じ自分でいるような気になってしまうけれど、多分そんなことは全然なくて。社会人になりたての頃は、この先一生週5で働き続けるなんてこと到底不可能ではないかと呆然とし、定年までの数十年を思うと気を失いそうになっていたけれど、気付いたら社会人歴の方が長くなって、いまでは学生の時の生活の方が怖いくらいに思い出せない。これが大人になったということだとしたら、なんとあっけなく恐ろしいことだろう。それでも、学生じゃなくなったら人生の楽しいことは終わると思い込んでいたあの頃のわたしには想像もできなかったほどに、大人も悪くないってこと、大人になった彼らもそう思っていたらいいと思う。

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