今年の春は雨が多くてちょっと悲しい。目次の並びを見ると、晴れやかで春だ!
3月のあれこれ
弟、悲願の大学卒業
3月の、というかもはや我が家史上一番素晴らしい出来事となった、弟の卒業。この日記にも何度か書いていたけれど、弟は二留の末に卒業or中退の岐路に立ち、その大事なラストイヤーの春学期取得単位数が0という、常人には信じられない甘ったれた危機を迎えており、家族は阿鼻叫喚、親族激震、という非常事態に、ついに最終兵器・姉が立ち上がったのだった——。
シラバス200件ほどをすべて読み、必要取得単位を計算し、科目を選んで時間割を決め、さらに毎週進捗をExcelでトラッキングする、というPM業に勤しんだ半年感。もちろん取得できる最大限の科目登録をしていたし、春学期0とはいえ数コマは落とせるくらいの若干余裕を持った計画だったので、個人的には卒業必要単位+2-3単位くらいで楽勝なのではと内心高を括っていたのだが、いざ蓋を開けてみると、必要単位126のところ、取得単位126。ギリギリやんけ…。
ある朝、出社中に弟から母とわたしに電話がかかってきて、弟が「卒業決定しました!」と報告した瞬間、電話先の母がコンマ0.3秒くらいで泣き崩れており思わず会社のロビーでもらい泣き。母は、安堵で号泣→一転してこれまでの怠惰を叱責→そして放心、という心理学の教科書に載りそうな行程を辿っていた。
母の気苦労と不安と緊張はこの数年間もはや限界を超えており、昨年から週2で神社に通って弟の合格を祈り続けるという、御百度参りを地で行く可哀想すぎる偉業を達成しており、後からその話を聞いて「新興宗教とかじゃなくてよかった…」と心から思った。大学を卒業できる!という馬鹿みたいな壺があったら、母は絶対に買っていたので。「この1年、一心に弟のことだけを祈り続けてきたから、光のことは何も祈れてないの、ごめんね」と申し訳なさそうに言ってくれたけど、全然問題なさすぎる。実際、たった1単位で天国と地獄(というより天と黄泉…?)がひっくり返っていたことを思うと、母の祈りはどこかに通じていたのかもしれない。
ということで、本人は参加したくなかったらしいのだが、わたしもここぞとばかりに喜び勇んで有休を取得し、両親としっかり卒業式に参加してきた。これはわたしの勝利でもある。なんなら前日から上京して横浜観光と最大限このハレの日を楽しんだ。両親は「卒業式、感極まって泣くかも…」などと緊張気味だったのだが、いざ式が始まると全員爆睡、気が付くと式は終わっていた。どうして?


ミーハー精進湖ドライブ
弟の卒業式でお出かけした流れで帰省。特に何も予定を入れていなかったので、そういえば!と思い、ここぞとばかりにミーハー魂を発揮して、ホットスポットの撮影地である精進湖までひとりでドライブ。

道中は相も変わらず心配になる程スカスカなのに、いざ現地周辺に着くと、北は仙台、南は鳥取まで、全国津々浦々のナンバープレートを背負った車で大混雑。わたしの地元にこんなに人が賑わう景色を見たことがない。ありがとうバカリズム…と富士山の方向に拝んだ。
最初で最後の川村記念美術館

川村記念美術館閉館&移転の噂を聞きつけて最初で最後の訪問。シンプルに千葉、遠すぎるぜ…。自然に溢れていて、ほどよく空いていて、作品群はめちゃくちゃ豪華で、何より展示室だけではなくて廊下とか道のりとか体験全体ふくめた建築と空間の使い方がとても素晴らしかった。この美術館のために、時には展示する作品をバイネームで想定しながらつくられた建築の妙!作品のために建物がある。
特に好きだったのは、歩いてゆく目線の先に正方形の窓があり、そこがちょうど地面の高さで木々の尾根が見える半地下の廊下。不思議な視点から地上を見上げる、地中動物になったみたいな感覚の楽しさ。写真NGだったので残せず残念。
お昼に食べたハンバーグで血糖値が爆上がりしたうえに花粉とのダブルコンボであまりに強烈な眠気に襲われ、血の色をした巨大な作品群に囲まれる薄暗い部屋でそのまま昇天しそうだった。ここで寝たら真っ赤な夢を見るのかなあと思った。作品の存在感もあるだろうが目の前がぐらぐらして、見れば見るほど血の色をしていて飲み込まれそうだった。


二度目にして旅程が丸被りの名古屋滞在
名古屋で開催される友達の結婚式のために前乗り。以前の旅行記で「名古屋は食べたいものが多すぎる一方、個人的にはやることがなさすぎて日数があわない」などと失礼すぎる物言いをしていたが、今回もごはんはすべて初訪問のお店、他は前回とほぼ丸かぶりのルート、という結果に。もはや同じ道を何度も歩きすぎて、名古屋に住んでるくらいの気持ちで闊歩している。

お昼ごはんはもちろんひつまぶし!ひつまぶしは何度食べても食べ飽きるということがない。軽い気持ちで入ったらかなりの金額に怯んだけれども、臆さず食べた。かなりボリューミーかつ上品なお味で、次回もまた食べたいかもしれない。

今回も名古屋市美術館へ。ちょうどいいサイズ感で気に入っている。駅広告で気になったフォロン展、幻想的でおもしろかった。ちょっぴり一人旅を経て、夜からは一緒に結婚式に参列する同期たちと合流。仲良しの同期に「光はずっと一人を楽しむのが上手だよね」と言われて嬉しかった。言葉選びが優しいね。
蟹鍋パーティーでオーバークックに目覚める
会社の先輩のおうちで贅沢に蟹鍋パーティー、はふはふ言いながらしゃぶしゃぶした蟹を頬張る幸せ!わたしからの差し入れはふるさと納税のりんごジュース。これがめちゃくちゃ美味しいうえにお土産として最適で、どこに持っていってもとても喜んでもらえるので本当に買ってよかった。
そこで生まれて初めてオーバークックをプレイしたらあまりに面白すぎてびっくりした。小中学生の時にポケモンや逆転裁判をやり込んでいた時以来ののめり込み。なんなんですかあのゲーム…?やりこんでいる先輩の「わたし人格変わるのでよろしくお願いします」という怪しい一言で開幕し、わちゃわちゃ苦戦しつつも全員の仕事人としての魂に火がついて、結局みんなで終電を逃した。普段からあんなに働いているのにプライベートでも仕事を捌くことに快感を覚えるなんて…。


春が来た、今年初のお花見


今年もしっかりお花見をした。巡りゆく季節を愛でながら生活を営みたいぜ〜〜と常々思いながら、結局春くらいしか味わえていない。その分、春は盛大に祝うのである!築地やまののお弁当を食べて、ミスドを頬張って、モルックをして、たくさんお喋りをした。


去年の日記を振り返っていたら、去年も同じようにやまののお弁当を食べながらお花見をしていて(しかも去年は3〜4回くらいお花見しまくっていた)、そして今向き合っているのと同じ仕事で苦しんでいた。春だからといって仕事は楽にならないが、なんとなくベースの気分はちょっとご機嫌マシマシな気がする。陽があったかいな〜〜とか、風が気持ちいいな〜〜、みたいな時間に緩和される疲労がある。
おもしろ人間劇場こと職場での好きワードたち
もう社会人年次も短くないというのに、いまだにあの会社という組織独特のプロトコルにみんなが従う感じに慣れずにソワソワしてしまう。個人の感情を後回しにして、利害で集うことの圧倒的な違和感。わたしだけだろうか…。でも、それゆえに職場では悲喜こもごものドラマが生まれていて、思いも寄らない人間の色んな面や面白い言葉にふと触れることができて、人間観察好きにとってはたまらない。
- 最近出社した?という若干緊張の走る質問への模範回答「精神はいつも行ってるけど肉体はまだ行ってないですね」
- ウケてなんかどうにかなる、という力技
- めちゃくちゃ陽な後輩、先方からのTHE・皮肉なメールにさらっと「お気遣いありがとうございます」だけでねじ伏せていて強い
- ()に意思を込めるタイプの人のチャット「あの時は残念な結果でしたが(不可解な敗北)」
- 大人な物言いをしながら全然納得していなくて面白い
- 仕事を整理して負荷を減らすことのポジティブな表現「いい引き算をしたい」
- 「楽になりたい」と「いい引き算をしたい」では響きが全く違う
- 飲み会でお手洗いに抜ける時の先輩「boko(ビーオーケーオー)が少々限界なのでお暇します…」
- 初めて聞いた抜け方
- 夜のチーム会の最後に部長が放った一言「僕はこの部をたくさんのシンセサイザーがいるチームだと思っています」
- いまだにちょっと真意を測りかねていてウケる
- もはや言葉でもないけど、オンラインMTGで挨拶する時も話す時も常に合掌している人をこの前初めて見てめっちゃ面白かった
- ナマステ…?
3月の映画・音楽・本など
村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』
わたしはなんだかんだ村上春樹の文章がとても好きで、とはいえ本筋の小説は全然読めていないかも…ということに気付いて、今年は有名どころから攻めていきたいと思っている(あと今年は三島由紀夫の年にしたい)
村上春樹の最高傑作、と言われるだけあって、めちゃくちゃ面白い冒険小説だったな〜〜。暗闇の描写を読んでいると本当に暗闇の世界にいってしまうような没入感。春樹の小説の主人公は、みんなタフで、きちんとした生活をしているところが気に入っていて、どの作品も生活描写を読むのが楽しい。
みうらじゅん/リリー・フランキー『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』
生きるとか死ぬとか愛とか嫉妬とか、重めな問いをみうらじゅんとリリーフランキーが独特のゆるさで語る対談本。考え方が斜め上すぎて「みうらじゅんすぎる!w」が大方を占めていて楽しいし、かと思うとふとした時にぐっとくる言葉もたくさんあって、ずっとふたりの話をお酒飲みながら聞いていたい感じ。
人の生の言葉ってこうだった!ということを思い出した。生きることを自分の言葉で語ることの深みと可笑しみ。毎晩だらだらとTwitterを眺めてインターネットの海を彷徨うくらいなら、たまにはこれを読んだ方がいい。

