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3日目 縄文杉に会いに行く
ツアーに参加して、ついに縄文杉へ!縄文杉までは、片道で以下の距離を歩き尽くす必要がある。
- 片道11km
- トロッコ道 - 8.5km
- 山道 - 2.5km
ほんの少しだけ傾斜のついたゆるやかなトロッコ道を淡々と進み、そこからぐっと山道を登り、その奥地に縄文杉は待っている。

しかし、山道の前にまず何よりも集合時点までの道のりが険しい。
- 3:30 起床
- 4:00 宿出発
- 5:00 バス移動
- 6:00 登山口から歩き始める
この過酷スケジュール、もはや山登るのより全然辛くない??
が、鶴太郎並みだよ…と書こうとして念のため調べてみたところ、鶴太郎氏は19時就寝23時起床という異次元にいた。さすがにそんな高みにいらっしゃる鶴太郎氏には足元にも及ばないが、こちらもおかげさまで歩いても歩いても8:30とかで朝活最高峰すぎて笑っちゃった。
あいにくのお天気だったけれど、手持ちのポンチョ、100均のカッパ下(あらゆるサイトで見かける「レインウェアは絶対に上下別のものにせよ」という教えに背くのを恐れて2日目に買っておいた)、そして折りたたみ傘で挑む!

持ち物リストに入っていたので念のためAmazonで買っておいた防水リュックカバー、めちゃくちゃ必須アイテムで本当に買ってよかった。これがなかったらリュックも中身も確実に終わっていた。屋久島旅行での買ってよかった大賞受賞。
でも、雨で不快かというとそんなこともなかった。山が喜んでいるような、恵みの雨という言葉が本当に似合う気持ちのよい雨だった。たまに滝行レベルで降ってたけど…。


山道はそんなに長くないし、とにかく往復22kmに耐えられるか?というくらいしか心配していなかったのだけれど、いざ歩き始めてみると、何よりも辛かったのが眠気。
特に、単調な道が延々と続くトロッコ道!雨の音、葉と土の匂い、目に入る緑、鳥のさえずりが相まって、強制入眠動画か…?ってくらいのヒーリングの乱れ打ちになすすべもなくノックアウト。もう眠くて眠くて、しかも雨だから日光を浴びて体が起きる、というようなこともなく、ガイドさんの話を聞きながら半分寝て、歩きながらまたうつらうつらして、この日の全行程のなかで一番の闘いがわたしのなかで巻き起こっていた。後から聞いた話だと、帰路に同じ状況で意識を失ってレールに頭打ったり歯欠けたりする人がいるらしい。歯を守れて本当によかった…。

屋久島は、九州サイズの花崗岩がちょっと海面から顔を出している、というのがその正体で、水には恵まれているけれども土はあまりなく、植物が育つのがゆっくりなので「緑の砂漠」とも呼ばれるらしい。けれども、そうやってゆっくりじっくり、数百年、数千年の時間をかけた樹々の迫力は圧倒的と言うしかなく、山に足を踏み入れてからと言うもの、自分が小人になって緑の世界に迷い込んだような不思議な感覚だった。
岩に根を張ったり、根っこがそのまま洞窟になったり、太陽の方に何十本も枝を生やしたり、倒木を土壌に大きな木が育ったり。
寡黙に、ただその圧倒的な存在だけで、エネルギー!!!パワーー!!!って感じで叩きつけてくる、途方もない生命の力強さよ…。(きんに君?)


何もしゃべらず意思を持たない植物が、たしかに生きているのだということを生々しいほどに実感した。あまりに生命力が脈打ちすぎていて、ここでミャクミャクくんは生まれたのかもしれない…。この有無を言わさぬ、生命、生命、生命、って感じ。人間とは根本から違う種族、太刀打ちできない異様な生っぽさが感動を超えて怖いまであった。これが自然への畏怖というものなのかもしれない。
屋久島に生える杉の中でも、「屋久杉」は樹齢1000年以上のものを指す。なんとなく縄文杉だけが飛び抜けて大きいのかと思っていたけれど、山の奥の方に進むにつれて、結構それに次ぐサイズでかなり大きい杉がぼこぼこ生えていた。


コブがついていたり、変わった形の木が多いのは、真っ直ぐで材木として使いやすい良い木は、薩摩藩の時代に軒並み年貢として納めてしまったかららしい。
そうやって大きな木が伐採されたり、台風や雷や病気でポクッと倒れたりすると、その虎の威を狩って陣地を確保していた取り巻き達が巻き込まれて一緒にだめになったり、一方その空いたスペースに新世代のニューホープが日光を浴びてぐーっと伸びて覇権を握ったり、木の世界でも世代交代とか出世争いが起こるらしい。人間の権力争いか?

写真だらけになってしまうのだけれど、それでも伝え切れないくらい、自然って本当すごいな〜〜と惚れ惚れするような木や景色がたくさんあった。






おちゃめで素敵!
そして、ようやく姿を現した、念願の縄文杉!
推定樹齢2,000〜7,000年くらい。初めてこの木を見つけた人は、あまりの大きさに杉ではなく岩だと思ったらしい。縄文杉発見のニュースの見出しは「生き続ける縄文の春」。

霧がかった姿はもはや神々しくて、大きさだけでは説明できない物言わぬ威厳がある。世界にどれだけの革命や戦争や地殻変動が起きようとも、ただただずっとここにいて、ずっと静かに生きていた、そして生き続ける、って凄すぎないか…?神様がいるかどうかは知らないが、キリストよりも仏陀よりも前から続く生命、もはや神様と同等の存在のように思えてしまう。
長い一日を通して、日常生活ではそうお目見えしないような神秘的な生き物たちにたくさん出会えた。わたしが生まれる前も死んだ後も生きている木。当たり前のことだけど、この世界にはまず自然があって、その中に人間がいるんだなあ。
最後の1泊は、島内に新風を巻き起こしているらしいsamana hotelに宿泊。お洒落で居心地のよい、好みドンピシャの素敵すぎホテルに大興奮。アルカリ性の上質な温泉が有名で、大雨に打たれた登山後のお風呂があまりに気持ち良すぎて「ハア〜〜〜」って声出た。


夜、露天風呂から見える真っ黒な海の、かなり広範囲が白くぼや〜〜っと発光していて、なんだろう?と恐る恐る眺めていたら、それが月明かりの反射だということに気付いた。
その景色を見た途端、周囲の潮風に吹かれてザワザワと揺れる真っ黒な木も、微動だに動くもののない街も、昼間の明るさとは結びつかないほどなんだか突然とてつもなく恐ろしく思えて、ああこの島の夜は人間の領分じゃない、人間はお天道様と共に生きるんだ…と直感した。東京は賑やかで夜そのものを怖いと思うことはまずないけれど(なんなら夜道の人間がよっぽど怖い)、人工的でない、本物の夜に、自分のなかの野生の本能的なものが身震いしていた。
4日目 お土産購入、そして日常へ
最終日はゆっくり朝ごはんを食べて、お土産を買って、優雅に帰還…のはずが、チェックインがギリギリすぎて空港内アナウンスで呼び出される失態も犯したが、無事鹿児島経由で羽田へ帰還。せっかくのJAL&ANAなのに今回もバックパック機内持ち込みのド根性スタイルだったが、帰りは8.4kgの重みに耐えかねて預入した。素晴らしいサービスだよ本当に…。

行きの空港で見かけて衝動買いした、今回の旅で初めて持って行った写るんです。日割りも考慮して吟味を重ね、慎重に選び抜いた27回のシャッターチャンス、るんるんで現像に出したらほとんど真っ暗だったのだが…?可哀想に…。

写るんですリバイバル最盛期に波に乗り損ねたせいで、「写るんですは、結構明るいし大丈夫でしょ!という時でも割とフラッシュを焚くべき」というコツを知り損ねたことが敗因。とはいえ、iPhoneでパシャパシャ湯水のように撮りまくるのとは対極の、いまだ!という瞬間を大事に切り取っていく感覚、なんだか新鮮ですごくよかったので、今後の旅行でも持っていきたい。

ちなみに、結構体力を使った旅だったので、帰ってきた次の日から即仕事はめちゃくちゃ体も心もしんどいのでは…?と心配していたのだが、いざ蓋を開けてみると、なんだか行く前よりめちゃくちゃ元気!!やる気みなぎってる!!どうして?!?
屋久島の生命のエネルギーに感化されてわたしまでHPが回復されたのか、なんだか体も心もエネルギー補給されて、やたらと肩ブンブン振り回せました。屋久島すごい。
屋久島ごはん記録
波の華(黒豚しゃぶしゃぶ)

畳に小上がり、低めのちゃぶ台、扇風機の生ぬるい風、朗らかなおじいちゃんおばあちゃん。ふと気を抜くと、「夏休みにおばあちゃん家に遊びに来てる?」とたびたび錯覚してしまう魔力を持った魅惑の名店。

屋久島の新鮮な野菜と黒豚のしゃぶしゃぶ、出汁が優しく、脂は甘いのにあっさりしていて、本当に美味しかった〜〜。屋久島でも美味しいごはんを見つけ出す高性能アンテナとリサーチ力を存分に駆使し、上陸後1発目の食事から大当たりで感動。

いその香り(海鮮居酒屋)



屋久島好きの友達がおすすめしてくれた島随一の人気居酒屋。屋久島で獲れる色んな魚を色んな食べ方ができるお店で、屋久島ならではの魚にチャレンジできて楽しかった。地魚の煮込みを頼んだら、何らかの魚の人間サイズのバカデカ頭がドン!と出てきて終始目が合いながら気まずい気持ちで食べた。グロテスクすぎて写真は載せられないな…。
焼肉れんが屋

縄文杉ツアーの後は、焼肉祝勝会しかありえないでしょう!ということで、ヘロヘロの体で命からがら来店(ちなみに、↓の記事で高尾山→焼肉ルートを共にした友達ともちろん同一人物。山と肉を切り離すことができない我々。)

あまりの美味しさとコストパフォーマンスに、このお肉が、こんな価格で?!というビズリーチ的発言が止まらなかった。どうしても腹十二分目まで食べちゃうよ…。ドキドキしながらヤクシカ・エゾシカ食べ比べセットにも初めてトライした、あっさりしていてクセはなくて、2つの違いはよくわからなかった。昨日あんなに可愛いとか言ってたのに、非情でごめん…。
かもがわレストラン(海鮮丼)

屋久島は本土からの輸送費や燃料費がかかるからか、観光地価格だからなのか、体感では東京と変わらないくらいあらゆる物価が高めだったのだけれど、この贅沢な海鮮丼はなんと1,200円。なんで?!

屋久島で絶対食べたい、でもタイミングが合わないと食べられない念願の首折れサバ(前日夜に食べるつもりだったけどシケでだめだった)、ラッキーなことに昼から出会えた〜〜!普通は刺身で食べられないと言われているサバ(ゴマサバ)を、水揚げしてすぐに首を折って血抜きすることで鮮度を保っているから、この名前らしい。
鯛とかに近い感じなのだけれど、びっくりするくらい身が甘く、そして食感がブリブリしている…!あまりに贅沢な味を噛み締めながら、友達とずっと「ブリブリだね…」「ブリブリだね…」と言い合った。いつか絶対にまた巡りあいたい。
島海味kitchenシリウス(創作居酒屋)

何個も店舗を展開していて人気のようで、かなり賑わいを見せていた創作居酒屋。屋久島らしい食材を使っためずらしいメニューが多くて、どれも美味しかった。特にもちもちチヂミ〜〜。
屋久島ジェラート・そらうみ

パッションフルーツ系の屋久島ならではのフレーバーが揃ったジェラート屋さん。わたしが選んだのは、塩ミルク+グァバミルク+マンゴー。さいっこうだった。みずみずしい自然の甘味がぎゅっと詰まっていた。また食べたい!
八万寿茶園(抹茶ソフトクリーム)

屋久島好きの友達がおすすめしてくれた八万寿茶園のソフトクリーム。抹茶の味がとっても濃ゆ〜〜くて、抹茶好きにはたまらん!という感じ。屋久島の子どもたちの休日お出かけスポットになっているのか、全日程分のキッズ達に遭遇した。縁側みたいな風通しのよい場所で、生ぬるい風を受けながら気だるげにアイスを食べるの、プール上がりの教室に吹き込む風を思い出すよ…。
お土産紹介
あご出汁・お茶
実家に新茶とあご出汁。思い出すたびにふふっとなってしまうのだけど、母は「だしソムリエ」なるものの有資格者なので…。自分に紅茶とあご出汁豚骨ラーメン!こういうご当地ラーメン、結構好きでどこに行っても買ってしまう。
たんかんジャム

ほくほくで購入したたんかんジャムたち。屋久島の居酒屋にはどこに行ってもたんかんビールやたんかんサワーやたんかんジュースが溢れていた。さぞたんかんが取れるのだろう!
何よりもこのフルーツバターたんかん、大当たりでした。以前、愛媛の友達が「みかんバタージャム」なるものをお土産にくれて、最初は果物とバターのジャム…?と想像がつかずに訝しがっていたのだが、食べた瞬間にぐうの音も出ず完落ち。さすがにカロリーやばいんだろうな〜〜と思いながらも、後半はもうジャムののったパンでも、パンについたジャムでもなく、シンプルにスプーンですくったジャムを血走った目で食べ、数日で完食してしまったのでした。美味しすぎるのが悪いんだよ…。
残念ながらその商品は東京では売っておらず、今回予期せずにそのたんかんver.に出会い、喜びに震えながら購入。変わらず美味しすぎてもうなくなっちゃった。あと何個か買っておけばよかったけれど、我が肉体のためにはこれでよかったのかもしれない…。
ヤクザルハンドタオル

代金の一部が屋久島の自然保護に役立てられるらしい、ヤクザルデザインの今治ハンドタオル。ヤクシカや海亀のモチーフもあったけれど、人生で初めてサルを可愛いと思えた旅だったので、記念に購入。赤ちゃんザル、かわいいね。
屋久島関連の本(『火を焚きなさい』『南洋のソングライン』)

本、しかも単行本を買うと荷物が重くなることは分かりきっているのに、お土産屋さんで屋久島関連の本に急激に惹かれて、買わざるをえなかった。屋久島に所縁の深い詩人・山尾三省の詩集を一冊と、失われた屋久島の民謡を追う!というクレイジージャーニー的な一冊。旅が終わった後も、本を少しずつ読み進めることで、日常の中で旅の余韻が続くような感覚が嬉しい。
おまけ:屋久島の好きだった言葉




あと、運転に必死すぎて残念ながら写真に収めることはできなかったけれど、工事区間の後に必ず立っている看板「ご協力ありがとうございました。ではご安全に・・・」
総括
いま屋久島を思うと、木々がモリモリと生い茂った神秘的な森と山々、そしてそこに漂っている、神様の気配がするような荘厳な空気が蘇る。登山旅!と言えばそれもそうなのだけれど、レジャーよりも参拝に近い、神様のいる場所の近くに足を踏み入れるような旅だった。島の人々の、自然や動植物に対する尊重と畏怖もしみじみと感じられた。

何千年も続く生命の森で、自分たちがいかに刹那的な取るに足らない存在なのか、ということもしみじみ感じられた。わたしは決して「この広い海に比べれば自分の悩みなんてちっぽけだ…」とか思えないタイプの人間で、むしろ「わたしの痛みも苦しみもたしかにここにある!」と逆に気持ちが強くなりがちなのだけれども、そうは言っても大自然の何千年何万年の時の流れの前では何の意味も持たないな…ということを言葉ではなく実感として知ることができたような気がする。行ってよかった!
