先日美学会に行った。
https://bigakukai076.bigakukai.jp/day01/
今井慧「画像は表象ではない——描写の哲学の新たな展開とデフォルメ」という発表を聞いた。
口頭発表であり、資料も未公開なので内容は詳しく触れない。タイトルにある通り、画像が表象であるという立場を批判し、代用主義と呼ばれる立場を擁護する発表だった。キャラクター論への応用でもある。
代用主義は、絵に関する哲学上のユニークな立場である。ゴンブリッジ、ウォルトン、ロバート・ブリスコなど、少数の支持者がいる。わたしは代用主義に共感しているが、代用主義はマイナーな立場なので、議論が整理されていない。
ざっくりとだけ、表象主義/代用主義に関する紹介を行なおう。
表象主義の立場によれば、画像は表象の一種である。表象とはだいたい次のようなものである。
- 表象は、世界の中に存在する対象をあらわす(stand forする)。対象を指示し、一定の性質を帰属させる。それによって、対象に関する一定の内容を伝達する。表象は情報伝達の手段であり、その内容は真偽いずれかである。
表象の典型例は言語である。画像に関する表象主義によれば、絵や写真は、言語と同じ表象である。
反対に、代用主義によれば、画像は表象ではない。画像は表象機能を持つこともあるが、持たなくてもいい。画像にとって中心的な機能は、表象ではなく、代用なのである。
代用主義者の先駆であるゴンブリッジの有名な例は、おもちゃの馬である。おもちゃの馬の機能は、特定の馬を表象し、特定の馬に関する情報を伝えることではない。馬のかわりにまたがって遊ぶことである。代用物の例としては、他に、疑似餌、代用肉、案山子などをあげることができる。代用主義によれば、画像も同じ代用物である。
代用物は、対象と同じ機能を部分的に果たすことで、対象を機能的に代替する。これがざっくり代用物の定義でもある。
動画
あわせてファン研究グループによる次の動画を見た。松浦優氏の講演である。
動画は長いので、同じ著者による以下の文章をあげた方がわかりやすいかもしれない。
素肉は肉より出でて、しかし肉には非らず──ヒューマノジェンダリズム批判序説 | 【公式】攻殻機動隊グローバルサイト
松浦は、二次元キャラクターを性愛の対象とする人々は、現実の人間の代わりに二次元キャラクターを愛するわけではないという話をしている。
この講演は、キャラクター論の面でも、表象主義の批判という点でも、いくらか今井発表と響き合うものである。ただし、講演内容は、代用主義と直接的につながるものではないけれど、代用主義について整理するために良い題材なので言及させてもらおう。攻殻機動隊のページの方は、素肉(台湾料理の代用肉)の話をしていて、これは例としてわかりやすい。
松浦は、「素肉は、肉の代わりではない」「二次元キャラクターは、人間の代わりではない」という主張を提示している。この主張は、一見すると、代用説とは反対の立場に見えるかもしれない。
しかし、「素肉は、肉の代わりではない」という主張は、動機に関する主張であり、素肉が代用物であることを否定することには当たらない。「素肉は、肉の代わりではない」というのは、素肉を食べる人は、肉が食べられないから代わりに素肉を食べているとはかぎらないという意味である。これは動機を問題にしており、素肉が代用物であり、代用機能をもつことはむしろ話の前提だろう。話が混乱するのは、「代用」という言葉にふたつの意味があるせいだ。
- 劣った代用物: AはBよりも価値が劣っているが、部分的にBと同じ機能をもつ。
- ニュートラルな代用物: AとBは部分的に重なり合った機能をもつ。
「代用」という言葉は、狭い意味では、劣った代用物の意味で用いられる。しかし、必ずしもそのように使う必要はない。肉よりも素肉を愛好する人々がいるという状態であっても、ニュートラルな代用物の意味でなら、素肉は代用物である。素肉が肉の代用物であるというのは、素肉と肉は、部分的に同じ機能をもつという程度の意味である。もっと言えば、場合によっては、肉が素肉の代用物であるとも言えるのである。じっさい、素肉のかわりに肉を食べたり、人間が案山子の代役をつとめるという状況は起こりえることだろう。
表象と代用
美学会で話しているときも、上のような混乱が見られたのだが、代用主義の話をするときは、「代用」は「ニュートラルな代用」の意味しかないので、そこに注意すべきだと思う。
その上で、これは表象関係と代用関係の違いを示す良い例だとも思う。表象関係において、表象するものと表象されるものは、同じレベルにはない。両者は著しく異なるものである。「ラーメン」と書かれた紙と、ラーメンはまったく異なるものであり、比較の俎上に載せられることさえない。表象関係は異種間関係(記号と対象)だが、代用関係は同種間関係(機能的同型)なのである。両者は比較可能なレベルにあり、場合によっては、代用関係が逆転することもある。
「画像は表象ではない」という言い方だと、ポイントはわかりづらい。しかし、代用主義が問題にしているのは、次のような主張だと考えると、一段わかりやすくなるかもしれない——画像と対象の関係は、記号と対象の関係に見られるような異種間関係ではなく、同種間の機能的同型関係なのである、と。
文献
代用主義について体系的に整理した文献はほとんどない。萌芽的なアイデアはゴンブリッチの「棒馬考」にある。
ウォルトンの代用主義については、以下の論文がまとまっている。
ウォルトンとグッドマン - Kendall Walton, 表象は記号か - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
ブリスコは以下の論文(長い上に難しいのでおすすめではない)。
ロペスはウォルトンを批判するかたちで、代用主義を批判している。
あまり知られていないところだと、アルヴァ・ノエが以下の本で画像に関する代用主義を擁護している。