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『ビデオゲームの芸術』6章「ビデオゲームと物語」

ゲームの物語について勉強する5。

ビデオゲームの哲学の古典グラント・タヴィナーのThe Art of Videogamesの6章を読む。

章要約(p. 129にある要約の全訳)

ゲーム性と物語性という構造的特徴——ビデオゲームが持つ二つの主要な娯楽機能――の間には本質的な緊張関係が存在する。インタラクティブ・フィクションは、偶然性や反復可能性といった要素を導入するため、フィクションが感情的・知的に説得力のあるドラマを生み出すような継続的な出来事の流れを伝えることは困難になる。最悪の場合、物語はビデオゲーム特有のインタラクティブ性と矛盾する仕方でプレイヤーを無能力にして、ゲーム内に存在する物語はしばしば、ゲームの本質的な内容に対するおまけのように感じられたり、無関係に感じられたりすることがある。これらの問題を認識したゲームデザイナーたちは、物語要素とゲーム要素をより緊密に統合することでこの緊張関係の解消を試みてきた。具体的には、操作不能カットシーンを削除したり、プレイヤーが自らゲームの物語内容を探求するよう促したり、さらにはプレイヤーが物語の最終的な展開の一部を決定することさえ可能にしている。これらの解決策こそが、ゲームにおける芸術的関心の多くの源泉となっており、デザイナーたちがこのメディアに内在する問題に対する芸術的な対応を生み出すことを可能にしている。

この章のテーマはビデオゲームのストーリーだ。『ビデオゲームの芸術』は、正直言ってそれほどおもしろい本ではないが(意義はあると思うが地味なので)、この章は比較的おもしろいと思う。本書の中では珍しく批評的な話が多く、「『メタルギアソリッド2』のカットシーンはひどい」といった著者のコメントもあって、思わず笑ってしまう。

ゲームプレイとストーリーの衝突

「物語」という言葉は、様々な意味で使われるが、タヴィナーは基本的に「ストーリー」の意味で使っている。タヴィナーが採用している定義は「始まり・中間・終わりを持つ展開するプロットへの寄与という観点から選ばれた一連の出来事の集合体」というものである。タヴィナー自身は「物語narrative」という語を使っているが、「ストーリー」と呼んだ方が通じやすいと思うので、以下なるべく「ストーリー」と呼ぶ。

ゲームプレイとストーリーはどのような点で衝突するのか。わかりやすいのは、カットシーンだ。ビデオゲームではストーリーを語るためによく、操作不能カットシーンを使用する。カットシーンの最中は操作不能なので、プレイヤーは黙って見ているしかない。こうした要素はインタラクティブなゲームプレイから切り離されており、ゲームプレイを邪魔しがちである。

ここには次の二方向のジレンマがある。

  • プレイヤーのゲームプレイは、プレイヤー自身が自由に選択できるがゆえに、興味深いストーリーを生み出さない。
  • デザイナーが事前にスクリプトしたストーリーは、興味深いストーリーになりえるが、プレイヤーに選択の余地を残さないために、ゲームプレイを邪魔する。

ビデオゲームにおいては、プレイヤーがゲーム世界で起こる多くの出来事、およびその順番を選択する。その結果、ゲーム内の虚構の出来事の連鎖は、全体的なストーリーに貢献しないし、解釈しがいのあるものではない。例えば、アクションゲームをプレイしているとき、次のような虚構の出来事が生み出されるかもしれない。これはストーリーとしては何も興味深いところがない。

  • 梯子を登る、縁に沿って移動する、骸骨を5体倒す、別の梯子を登る、メドゥーサを殺す、梁の上を歩く、振り下ろされるナイフを避けるためにジャンプする、パズルを解く……

また、そもそもビデオゲームの多くは、長すぎてストーリーに対する興味が存続しない。タヴィナーによれば、『Grand Theft Auto IV』のストーリーは比較的良いものだと思うが、クリアまで56時間かかったので、ストーリーを思い出すのが大変だった。

また、ビデオゲームのストーリーは分岐しがちだが、分岐すると全体的なストーリーは一貫したものにならない傾向にある。

その他、さまざまな問題が指摘される。

ゲームとストーリーの融和

後半では、ゲーム要素とストーリー要素の衝突を回避するために、近年のゲームデザイナーが採用しているさまざまな技法が紹介される。ここでの議論は、雑然としているが、「プレイヤーキャラクターが喋らない問題」が近年のゲームでどう解決されているかなど、かなり具体的な問題にまで踏み込んで論じている。

論じられている主要な解決策をふたつあげる。

  1. 開示型のストーリー
  2. 本当にインタラクティブなストーリー生成をがんばる

2は、要するに、プレイヤーが自由に遊んでも、それなりに興味深いストーリーになるように、アルゴリズムをがんばるという話だ。近年では、「プロシージャル・ナラティブ」といった技術も注目されている。タヴィナー本の出版時点では、影も形もなかった生成AIの登場によって、この方向は加速するかもしれない。個人的には、グラフィックを諦めて、テキストアドベンチャーの世界に帰れば、結構いけるんじゃないかと思っているので、現代版テキストアドベンチャーの登場にはちょっと期待している*1

1は、「環境ストーリーテリング」といった方が通りがいいかもしれない。なぜかタヴィナーの本では「環境ストーリーテリング」という言葉は使われていないが、論じられていることの実質は環境ストーリーテリングに近い。これは要するに、固定されたストーリーはあるが、発見するのはプレイヤー自身というタイプのストーリーテリングだ。プレイヤーが探索・推論などなどによって、手がかりを見つけ、何が起こったかを発見する。

これによって「自分のプレイがストーリーに貢献している感」が得られる。プレイヤーがやっていることは、ストーリーを動かすことではなく、実際には過去のストーリーを発掘してくることなのだが、いずれにせよ、ストーリーテリングはゲームプレイと結びつく。また、一本道の興味深いストーリーとも両立させることができる。

*1:冗談ではなく、この方向はありえると思う。プログラミングしない人は知らないかもしれないが、2025年7月現在、AIコード生成の世界ではすでにテキストインターフェースへの回帰が顕著な傾向になっている。googleが発表した最新のAIコーディングツール(gemini cli)はテキストインターフェースといった事態がすでに起きているのだ。なかなか一般受けはしないかもしれないが、同じことはゲームでも起きうると思う。




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