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ジョアン・ミロ《農場(農園)》〜故郷と異郷が同時に存在する小宇宙

ジョアン・ミロ《農場(農園)》

  • 英題:The farm
  • 作者:ジョアン・ミロ
  • 制作:1921年-1922年
  • 寸法:123.8 cm × 141.3 cm
  • 技法:油彩、カンヴァス
  • 所蔵:ワシントン・ナショナル・ギャラリー

ピカソ、ダリと並ぶスペイン近代美術の三大巨匠ジョアン・ミロの初期代表作。故郷・カタルーニャ地方のモンロチにある父の農家を描いたもの。

制作に9ヶ月を要したこのシュルレアリスムの大作を抱え、ミロはパリの画廊から画廊へと持ち歩いた。

近くのボクシング教室で共に汗を流した友人ヘミングウェイは「この絵には、スペインへ行ってその土地で感じるすべてと、スペインから遠く離れていて感じるすべてがある。誰もほかに、こんなに相反した二つのものを同時に描きえた画家はいない」と讃えている。

絵画レビュー

ジョアン・ミロ《農場(農園)》

一見すると、のどかな農園の風景だ。家があり、木があり、動物がいて、道具が転がり、空は澄んでいる。それでも、この絵は、田舎のスナップ写真ではない。これは世界を丸ごと一度、解体してから丁寧に並べ直した絵だ。

まず驚くのは、情報量の多さ。鍬、バケツ、梯子、井戸、家畜、植物、建物の壁、地面のひび割れ、夜空の月。どれも主役級の存在感で、誰ひとりとして「背景」に甘んじていない。農園にあるものすべてが、「ここにいる理由」を主張してくる。

にもかかわらず、不思議とうるさくない。

ミロはこの絵で、遠近法よりも愛着の強さを優先している。大事なものは大きく、そうでもないものは小さく、という子どもの地図のようなルール。だからこの農場は、正確な空間ではなく、記憶の中の農場として立ち上がってくる。

中央に立つ一本の木は、この絵の背骨だ。根を張り、枝を広げ、地上と空をつなぐアンテナのように立っている。昼と夜、内と外、人と自然。すべてがこの木を軸に、静かにバランスを取っている。農場というより、小さな宇宙の中心装置である。

建物の描き方も異様に正直だ。壁は切り取られ、中が丸見え。秘密にする気ゼロ。「ほら、これが生活だよ」と言わんばかりに、内部構造までさらけ出している。農場は働く場所であり、暮らす場所であり、隠すもののない場所だという宣言でもある。

そして空。この澄み切った青は、リアルな空の色ではない。思考が一番クリアなときの青だ。昼でも夜でもない、時間の外側。だから月が出ていても違和感がない。ここでは、時間すら農具のひとつなのだ。

この絵を見ていると気づく。ミロは自然をロマンチックにも、過酷にも描いていない。ただ、「共に生きているもの」として描いている。人間も動物も道具も植物も、すべてが対等なメンバーだ。ヒエラルキーがない。農場というより、参加型コミュニティである。「自分をつくった世界」を、これ以上ないほど丁寧に、誇らしげに描き切ったのだ。

農場は、原風景のアルバムであり、創作の出発点であり、ミロ自身の履歴書でもある。
静かだが、情報過多。素朴だが、異常に鋭い。

これは農園の絵ではない。世界とどう付き合ってきたか、その全部を並べた絵なのだ。

ジョアン・ミロの傑作絵画

ジョアン・ミロ展

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