
アンリ・ルソーの現存する絵画は約200点。1969年、女性美術評論家ドラ・ヴァリエがルソーの全作品目録をまとめたのは、彼の死から60年後のことだった。
ルソーは40歳を過ぎてから絵筆を握り始めた遅咲きの画家である。もともとはパリでボンボンを売り、税関吏として働いていた庶民だった。華やかなベル・エポックのパリで、彼は印象派とも異なる、素朴で幻想的な絵を描いた。
アンリ・ルソーの画業と人生

アンリ・ルソーは1844年、フランス西部ラヴァルに生まれた。父はブリキ職人。7歳のときに父の事業が失敗し、貧しい少年時代を送った。
若い頃は法律事務所で働いた後、徴兵されるが兵役免除を得て、1871年にパリ市入市税関に就職。以後22年間勤め上げる。
最初の妻・クレマンスとの結婚

1869年に最初の妻クレマンスと結婚。1897年に描かれた《黒い服の婦人》(オルセー美術館)は、最初の妻クレマンスをモデルにした肖像画である。ルソーは日曜日に妻を連れて、植物園を頻繁に訪れた。のちのジャングル画は、この植物園から想像を膨らませて描いたと思われる。
家庭を持ちながら独学で絵を学び、1884年頃から本格的に制作を始める。翌年、初めてサロンに応募するが落選。その後はアンデパンダン展(誰でも出展できる美術展)に毎年のように出品を続け、次第に「ドゥアニエ(税関吏)ルソー」として知られていく。
1906年頃には、若い画家ロベール・ドローネや批評家ウーデと親交を結び、アポリネール、ピカソ、ヴォラールといった前衛芸術の中心人物たちが彼に注目するようになった。
40歳を過ぎて絵描きに

42歳で描いた《カーニバルの夕べ》(1886年)は、現存するルソーの最初期の作品のひとつ。その前年のアンデパンダン展に出した《イタリアの踊り》《日没》は、「6歳児の落書きのようだ」と酷評され、捨ててしまったのか行方不明。もし見つかれば、世紀の大発見となる。アンリ・ルソーは嘲笑にもめげず、黙々と絵を描き続けた。
税関吏(ドゥアニエ)として働く「日曜画家」

ルソーは24歳でパリに出て結婚し、パリ市の税関に勤めた。パリへ運ばれる物資を監視する番人で、城門で立ち番をする仕事である。その職場を絵に描いた。《税関の屯所》(1890年、コートールド美術研究所)は、勤めていた職場を描いた作品。
当時、パリはまだ城壁で囲まれており、城門の門番として物資の出入りを監視するのがルソーの仕事だった。一日働いて一日休む勤務形態の合間に絵を描いた。

その後、城門勤務からセーヌ河岸を巡回する職に変わり、1888年には《サン=ニコラ河岸から見たシテ島、夕暮れ》(世田谷美術館)を描く。
1893年、50歳を前に税関を退職。年金とアルバイト、そして路上での絵の販売で生計を立てたが、絵はほとんど売れず、画材屋に借金を重ねる貧しい暮らしだった。
ルソーが好んだのは、印象派の画家たちが集うカフェや社交界ではなく、パリ郊外の静かな風景だった。そこにある“現実から切り離された時間”が、のちの密林画にも通じている。
ルソー、ジャングル画を描き始める

《熱帯嵐の中のトラ》1891年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー
《熱帯嵐の中のトラ》(1891年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)は、ルソーが初めて描いたジャングル画である。嵐に揺れる密林の中、獲物に飛びかかるトラ。だが当時の批評家たちは「奇妙で滑稽」と酷評した。実際、ルソーは熱帯に行ったことが一度もなく、植物園や博物館での観察と想像だけで描いていた。それでもルソーは、描き続けた。現実を知らないからこそ、夢のように濃密で幻想的な“ジャングル”を生み出せたのだ。
《飢えたライオン》と評価の転機

1905年の《飢えたライオン》は、ルソーの転機となった作品である。サロン・ドートンヌに出品されると、マティスらフォーヴィスムの画家たちの隣に展示され、「野獣派の仲間」として注目を浴びた。この絵では、稚拙と見なされた筆致の中に、生命の激しさと緊張感が宿っている。ルソーは“ナイーブ”であることを武器に変えた。
ピカソが慕ったアンリ・ルソー

《女性の肖像》(1895年、ピカソ美術館)は、ピカソが骨董屋で5フランで買った絵である。当時の5フランは映画の入場料ほどの価値しかなかったが、ピカソはこの絵に強く惹かれ、ルソーの作品を4点も所蔵し、死ぬまで手放さなかった。

ピカソは1908年、自身のアトリエ「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」でルソーを招き、“アンリ・ルソーを讃える夜会”と呼ばれる宴を開いた。アポリネールやドローネ、詩人たちが集い、老画家を讃えたという。藤田嗣治も「本物の画家はピカソとルソーだけだ」と語り、その精神の純粋さに感動している。
晩年の孤独と創作の頂点

ルソーの晩年は、貧困と孤独に彩られていた。妻クレマンスを亡くし、再婚したジョゼフィーヌとも死別。友人も少なく、生活は困窮していた。絵の代金を得るためにポートレートを描き、街角で似顔絵を売ることもあった。それでも制作の手を止めることはなく、むしろ年齢を重ねるほどに想像力は広がっていった。

その頂点が、1910年に描かれた《夢》である。《夢》はパリで発表された際、多くの批評家から嘲笑されたが、ピカソやアポリネール、ドローネら前衛芸術家たちはその中に“無意識の力”を見出した。ピカソはルソーを自宅に招き、“税関吏ルソーの夜会”と呼ばれる宴を開いた。貧しい老画家を囲み、詩人や画家たちが称賛の言葉を贈った。彼らはその無垢な創作精神に、誰も到達できない自由を見たのだ。
最期の時

1910年、ルソーは足にできた傷を放置したことから敗血症を患い、入院生活を送る。病床でも絵筆を手放さず、友人の見舞いを受けながら静かに生涯を閉じた。享年69。葬儀にはわずかな友人しか集まらなかったが、その中にはアポリネールやドローネらがいた。
死後、ルソーの評価は急速に高まった。ピカソ、マティス、カンディンスキー、そしてシュルレアリスムの画家たちが、「無意識の具現者」を見出したからである。稚拙と嘲られた線は、やがて「純粋な創造の原型」として再評価された。
ルソーは生涯、幻想と現実の境界を歩き続けた画家だった。植物園から想像した密林、街角で見た庶民、夢の中の裸婦。どれもが、心の中でひとつにつながっている。
アンリ・ルソー有名な絵・代表作
《カーニバルの夕べ》

- 原題:Un soir de carnival
- 英題:Carnival Evening
- 別題:カーニバルの晩(カーニバルの夜)
- 制作:1886年
- 寸法:116×89cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵: フィラデルフィア美術館
《カーニバルの夕べ》(1886年)は、アンリ・ルソーが42歳で描いた最初期の代表作である。月夜の森を背景に、道化師と女性が静かに佇む幻想的な情景が描かれている。画面上部の夜空と下部の夕暮れの森が同居し、現実と夢の境界が曖昧に溶け合う構図となっている。細く伸びる樹木や単純化された家々は透明な静けさを生み、広がる空は時間の永遠性を示唆する。祝祭の仮装をした二人を包むのは沈黙した森であり、月は祝祭の喜びと孤独の両方を照らしている。夜の訪れは祝祭の終わりであり、同時に「夢の始まり」でもある。ルソー独特の詩的な幻想世界の原点がここにある。
《私自身、肖像=風景》

- 別題:私自身、肖像=風景
- 制作:1890年
- 所蔵:プラハ国立美術館(チェコ)
《私自身、肖像=風景》(1890年)は、アンリ・ルソーが46歳頃に描いた代表的な自画像である。場所はパリのカルーゼル橋のたもと、背後にはエッフェル塔やパリ万博の旗、セーヌ川、気球が描かれ、ルソーの愛する風景がすべて詰め込まれている。手にするパレットには亡き妻クレマンスと、のちに再婚するジョセフィーヌの名前が記され、絵全体が“人生と愛の地図”のようだ。黒服のルソーは帆船よりも大きく立ち、世界を手中に収めるように刷毛を掲げる。遠近法の欠如は稚拙さではなく、「自分の確信」で世界を測る表現である。空を漂うバルーンのように軽やかで、日曜日の朝のように幸福感に満ちたこの絵は、ルソーが「絵の中で旅をした画家」であったことを物語っている。現実と夢が溶け合い、彼自身が風景そのものとなった、詩的な自己宣言の一枚である。
《ラ・カルマニョール》

- 原題:La Carmagnole
- 制作:1893年
- 寸法:20.5×75.0cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:ハーモ美術館(長野県)
《ラ・カルマニョール》(1893年)は、アンリ・ルソーが描いた幅わずか75cmほどの小品で、フランス革命時代の輪舞「カルマニョール」を題材にしている。青空の下、赤いフリジア帽をかぶった14人が手をつなぎ、祭りのように円を描いて踊る。服の色も表情も動きも異なるが、彼らは一つの輪となって共に躍動している。そこには“同調”ではなく、違いを保ったまま響き合う“共振”の世界がある。輪舞の姿は人間社会そのものの象徴であり、ルソー流の「最後の晩餐」とも言える。画面の周囲には踊りを見つめる者や求婚する者も描かれ、観る者自身も祝祭の一部となる。小さな画面に、人間の多様さと調和の歓びが凝縮されている。
《戦争》

- 原題:La Guerre
- 制作:1894年
- 寸法:114 × 195 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵: オルセー美術館(パリ)
《戦争》(1894年)は、アンリ・ルソーが税関を退職した直後に描いた野心作であり、1871年のパリ・コミューンの惨劇を暗示している。死体の山、肉をついばむカラス、血のように赤く染まる雲。画面全体が破壊の匂いに包まれる中、剣と松明を掲げる白い少女が空を駆ける。彼女はローマ神話の戦争の女神ベローナであり、背後の黒馬とともに人間の狂気を象徴している。多くの批評家がこの絵を反戦画と読むが、ルソーが描いたのは善悪を超えた「本能としての戦い」である。そこには怒りでも悲嘆でもなく、破壊そのものの陶酔が漂う。白い少女は自由の象徴ではなく、人間の奥底に眠る暴力の喜びを体現しているのだ。倫理が生まれる以前の“生の衝動”を描いたこの作品は、恐ろしくも純粋なエネルギーを放ち、今もなお見る者の内側に原初的な震えを呼び覚ます。
《眠るジプシー女》

- 原題:La Bohemienne endormie
- 英題:The Sleeping Gypsy
- 制作:1897年
- 寸法:129.5 x 200.7 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵: ニューヨーク近代美術館
《眠るジプシー女》(1897年)は、アンリ・ルソーの生涯を代表する最高傑作であり、幻想と静寂が完璧な調和を見せる一枚である。砂漠の真ん中、黒人の女性がマンドリンを傍らに眠り、月光に照らされている。その傍らに、ライオンが音もなく立ち、匂いを嗅いでいるが襲うことはない。現実ではあり得ないこの共存は、月夜と砂漠という“宇宙の無関心”の中で自然に成り立つ。月光は冷たくも優しく、孤独を包み込む。ライオンも人間も、自然という巨大な沈黙の前では等しく小さな存在である。ルソーはこの沈黙の中に、人間の不安と安らぎ、現実と夢の境界を描き込んだ。砂漠は虚無ではなく、やさしい受容の場であり、月光はその上を流れる“夢の河”。そこでは、眠る者と野獣が一つに溶け合い、世界が静かに息づいている。ルソーの芸術が到達した「究極の静けさ」がここにある。
《エッフェル塔》

- 原題:La tour Eiffel
- 制作:1898年
- 寸法:52.4 × 77.2 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:ヒューストン美術館(アメリカ)
《エッフェル塔》(1898年)は、アンリ・ルソーが税関を退職後、本格的に画業へ専念していた時期に描いた風景画である。パリの象徴であるエッフェル塔を主題にしながらも、塔は国家の記念碑ではなく、日常の風景の一部として穏やかに佇む。夕陽に染まる空と川、遠くに灯る街の明かり、静かに流れる時間。そこに描かれるのは近代の誇示ではなく、暮らしの呼吸である。形は単純で遠近もぎこちないが、その不器用さがかえって自然の調和と安らぎを生む。塔は威厳を放つのではなく、人々の暮らしを見守る灯のように立ち続けている。ルソーの風景は現実を写すのではなく、「心の中のパリ」を描いた詩であり、静けさの中に流れる音のない音楽である。
《飢えたライオン》

- 原題:Le lion ayant faim se jette sur l'antilope
- 英題:The Hungry Lion Throws Itself on the Antelope
- 別題:飢えたライオンは身を投げ出してカモシカに襲いかかる
- 制作:1905年
- 寸法:200 cm × 301 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:バイエラー財団(スイス)
《飢えたライオン》(1905年)は、アンリ・ルソーが描いたジャングル絵画の中でも最大級の傑作であり、ルソーの名を広く知らしめた作品である。夕陽の光に染まる密林の中、ライオンがカモシカの頸に噛みつき、周囲ではヒョウやフクロウが静かに見守る。命の奪取という劇的な瞬間を描きながら、画面は不思議な静寂に包まれている。この作品が発表された1905年のサロン・ドートンヌでは、マティスらのフォーヴ派が誕生し、ルソーもその“野獣たち”の一員として注目を浴びた。ライオンは森の王ではなく、暴力と支配の象徴であり、犠牲と沈黙の構図を体現する。背景の濃緑は閉ざされた社会の圧力を、赤い血の色は人間の欲望を映す。自然の絵に見えて、実は文明の暴力と倫理を問う寓話的な一枚である。静けさの奥に潜む緊張が、ルソー芸術の核心をなしている。
《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》

- 英題:Liberty Inviting Artists to Take Part in the 22nd Exhibition of the Societe des Artistes Independants
- 制作:1905-06年
- 寸法:175.0×118.0 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:東京国立近代美術館
《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家たちを導く自由の女神》(1905–06年)は、アンリ・ルソーが描いた壮麗な祝祭画であり、理想と夢が最も明るい形で結晶した作品である。審査のない展覧会「アンデパンダン展」を讃えるために制作され、自由の女神が青空を舞い、トランペットを高らかに吹き鳴らして芸術家たちを導く。地上では旗がはためき、人々が作品を抱えて行進する。画面は茶褐色の大地、緑の木々、青い空の三色で構成され、革命のトリコロールを生命の詩として再解釈している。空に浮かぶ女神は人々の十倍もの巨体だが、威圧ではなく慈愛を湛え、夢のスケールを体現する存在だ。ルソーはこの絵で、国家や権威ではなく「生きることそのもの」を祝福した。筆をトランペットに変え、彼は青空へ向けて“自由のファンファーレ”を鳴らす。見上げれば、そこには今も祝福の青が広がっている。
《蛇使いの女》

- 原題:La charmeuse de Serpents
- 制作:1907年
- 寸法:167 cm × 189.5 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:オルセー美術館(パリ)
《蛇使いの女》(1907年)は、アンリ・ルソーの幻想的ジャングル画の頂点に位置する作品である。月明かりの下、湖畔に立つ黒いシルエットの女性が笛を吹き、その音色に導かれて蛇たちが静かに舞う。依頼主は画家ロベール・ドローネーの母で、彼女のインドでの思い出話をもとに描かれたという。切り紙のように平らで整然とした葉が生み出すリズムは、密林全体をひとつの楽譜のように変える。フルートの音が風となり、蛇の体温とともに闇を伝う。奏者の正体は人か精霊か夜そのものか——観る者はその謎に引き込まれ、やがて絵の中の音に体をゆだねる。ルソーが描いたのは熱帯の風景ではなく、“夢の劇場”であり、恐怖と魅惑のはざまで鳴り響く永遠の旋律だった。
《フットボールをする人々》

- 原題:Les joueurs de Football
- 英題:The Football Players
- 別題:フットボールに興ずる人たち
- 制作:1908年
- 寸法:100.3 x 81.1 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵: ソロモン・R・グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)
《フットボールをする人々》(1908年)は、アンリ・ルソーが晩年に描いた数少ない“動き”のある作品である。舞台は秋の森の空き地、黄金の葉に囲まれた静寂の中で、4人の男たちがラグビーボールを抱えて遊ぶ。ルソー自身が中央でボールを持つ人物だといわれる。実際にこの前年、パリで初の国際ラグビー試合が行われ、ルソーもその熱気に触れたのだろう。人物たちは真正面を向き、動きよりも静止の緊張感に包まれている。だが、その“ぎこちなさ”こそがルソーにとってのリアリズムだった。スポーツを勝敗の競技としてではなく、人間の「遊ぶ力」として描いた彼は、競争よりも共存を見つめている。観る者もまた、彼らと同じ輪の中で戯れているような一体感を覚える。森の中の祝祭として描かれたこの光景は、芸術が人間の無垢な歓びを取り戻すための“遊戯”であることを静かに語っている。
《ジュニエ爺さんの馬車》

- 原題:La Carriole du père Junier
- 制作:1908年
- 寸法:129 x 97 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵: オランジュリー美術館(パリ)
《ジュニエ爺さんの馬車》(1908年)は、アンリ・ルソーが親しい友人一家を描いた温かな風景画である。食料品店を営むクロード・ジュニエはルソーの近所に住み、よき支援者でもあった。この絵は店へのツケの代わりに描かれたと伝えられ、ルソー自身も馬車に同乗している。もとになった写真では曇天だったが、ルソーはそれを青空に変え、門出の明るさを添えた。白馬の前を歩く黒い小さな動物は、力や富ではなく「自由」の象徴であり、ルソーが信じた幸福のかたちを示している。写実を超えて“人生の詩”を描いたルソーは、小さな存在にも等しく祝福の光を当てた。新しい馬車、青空、家族の笑顔。この穏やかな一枚には、日常の中のささやかな歓びが永遠のように息づいている。
《詩人に霊感を与えるミューズ》

- 原題:La muse inspirant le poète
- 制作:1909年
- 寸法:146,2 × 96,9 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:バーゼル美術館(スイス)
《詩人に霊感を与えるミューズ》(1909年)は、アンリ・ルソーが晩年に描いたマリー・ローランサンとギヨーム・アポリネールの二重肖像である。ふたりの出会いは1907年、ピカソの個展『アヴィニョンの娘たち』の会場であった。制作過程をアポリネール自身が記録しており、ルソーが彼の身体を細かく測り、歌を口ずさみながら描いたと語っている。完成した作品には、詩人とミューズの間を漂う穏やかな気配が宿る。ローランサンは堂々と右手を掲げ、アポリネールはその姿に静かに微笑む。足元の花々は“詩人のナデシコ”として、二人の愛と芸術への賛歌を奏でている。色と線は争わず、自然と調和する。極貧の中で描かれ、アポリネールが300フランで買い取ったこの絵は、ルソーが生涯で到達した最も成熟した愛の詩であり、「世界はまだ愛すに足る」という静かな確信がそこに息づいている。
《両親》

- 原題:Les Parents
- 制作:1909年
- 寸法:17.0 × 20.5 cm
- 技法:油彩・板
- 所蔵:上原美術館(静岡)
《両親》(1909年)は、アンリ・ルソーが亡くなる前年、65歳頃に描いた小さな油彩画である。すでに他界していた両親を、記憶の中で再び並ばせた作品だ。コートを着た父と花を手にした母が静かに佇み、その間に置かれた花瓶が二人を結ぶ“愛の記憶”の象徴となっている。表情は硬く、ポーズもぎこちないが、その不器用さがかえって真実味と温もりを生む。厚い衣服と対照的に、わずかにのぞく顔の肌がやさしく光り、家族写真のような親密さを漂わせる。舞台のような背景の幕が、日常のカーテンへと戻る瞬間を描いたかのようだ。静けさの中に、消えゆく合唱のような愛情の余韻が残る。藤田嗣治がこの絵を大切に自宅に飾っていたことも、ルソーの誠実な人間味を物語っている。
《花束》

- 原題:Bouquet of Flowers
- 制作:1910年
- 寸法:61 × 50 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵:テート・ギャラリー(ロンドン)
《花束》(1910年)は、アンリ・ルソーが亡くなる年に描いた花の静物画であり、生涯の集大成ともいえる作品である。花瓶の純白はウェディングドレスのように輝き、その上で咲くオレンジ色の花々はまるで太陽そのものの祝福を受けて燃えている。赤いテーブルは大地のカーペット、背景のベージュは柔らかな舞台幕となり、中央の花瓶が花嫁のように立つ。音楽も鐘の音もないが、色彩そのものが静かに鳴り響き、絵全体を祝祭の空気で満たしている。明るく華やかなのに、どこか孤独を帯びたこの花は、沈まぬ太陽の化身のようだ。ルソーはこの小さな花束の中に、人生の終わりと新たな始まりの光を描き込んだ。
《夢》

- 原題:Le Rêve
- 英題:The Dream
- 制作:1910年
- 寸法:204.5 x 298.5 cm
- 技法:油彩、カンヴァス
- 所蔵: ニューヨーク近代美術館
《夢》(1910年)は、アンリ・ルソーが亡くなる年に描いた絶筆であり、25点を超えるジャングル画の中で最大の作品である。密林の中、ソファに横たわる裸婦と笛吹き、獣や鳥たちが夢のように共存する。ルソーはこの幻想的な情景に詩を添え、現実を越えた心象風景として描いた。彼は生涯フランスを出なかったが、植物園や万国博覧会で見た異国の断片をもとに、自らの“内なる楽園”を創り上げた。花も獣も動きを止め、ただ呼吸するように静かに在る。裸婦ヤドヴィガの伸ばす手は、夢に届かない指先を象徴する。ルソーにとって夢とは逃避ではなく、現実の奥に潜む永遠を見つめる行為だった。夢の静けさの中に、彼の芸術の到達点がある。
アンリ・ルソーの絵画に逢える日本の美術館
ポーラ美術館(箱根)

色ではなく色彩。満月がイヴを抱擁するアダム。満月はゼロの形をしている。無であり、男。僕の師匠はこの絵を《院毛の森》と名付けた。

夜のジャングル。ルソーは明るいジャングルと、ひんやりした月夜のジャングルを描く。ライオンが静かに物思いに耽っている。哲学的な顔をしている。

アンリ・ルソー《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》1896-1898年
エッフェル塔をパクパク食べようとする雲、塔の掛け布団のような夕焼け空。森はフカフカのベッド。陸から川から眺める人々。寂しそうな背中なのに心が温かくなる。

ムーラン・ダルフォール」(アルフォールの水車)を描いたもの。スーラのような点描画。
ひろしま美術館

亡くなる前年に描いた淋しい風景。過去を振り返っているのか、未来に迷子になっているのか。
メナード美術館(愛知県)

建物は子どもの手によって並べられたオモチャのよう。地面は不自然なまでに滑らかで、ゴルフ場のグリーンを思わせる。そして空の圧倒的な広がりは、「何も描かれていないこと」が、深い意味を帯びてくる。
世田谷美術館
《サン=ニコラ河岸から見たシテ島、夕暮れ》

- 制作:1887 -88年頃
- 寸法:46×55cm
- 技法:カンヴァス、油彩
ルソーが働いていたパリ市の税関の職場を描いたもの。城門の立ち番からセーヌ河岸を巡回する仕事に変わった。
《フリュマンス・ヒッシュの肖像》

- 制作:1893年頃
- 寸法:92×73cm
- 技法:カンヴァス、油彩
ルソーが新妻ジョセフィーヌに贈った亡き夫の肖像画である。ルソーの心優しさが絵にも出ている。
アンリ・ルソーと素朴派(パントル・ナイーフ)

MoMAのルソー《眠るジプシー女》
ルソーの筆触には、木や草の葉の一本一本を執拗に描き込む「現実への固執」がある。その執拗さが、逆に「夢の中にある細部の異様なリアリティ」を生み出す。
ルソーの絵は、夢を夢らしく描くのではなく、夢を現実以上にリアルに描く。この逆説こそ、他の素朴派には見られない力なのである。ルソーの“無垢な視線”は、後のシュルレアリスムや抽象絵画の出発点にもなった。
貧しく、笑われながらも、ルソーは“自分の中のジャングル”を描き続けた。
それこそが、誰にも真似できない「夢見る力」だった。

また、「ルソーが遠近法を使えずヘタな画家だった」という通説は間違いである。箱根のポーラ美術館にある《廃墟のある風景》では遠近法や消失点の技法を使っている。これは、ルソーが通ったルーヴル美術館で観た、17世紀のオランダ黄金時代の絵画の影響が強い。ルソーが遠近法を使わなかったのは、ゴッホやロートレックと同じく、浮世絵の影響だとも考えられている。
空前絶後のアート本、登場!

アンリ・ルソーの作品も登場!絵の見方が180度変わります!『アートは燃えているか、』は、図版なしで名画をめぐる“言葉の美術館”です。絵を観る天才が何を語るのか、その眼で確かめてください。
→ 書籍の詳細を見る [アートは燃えているか、]
日本のアンリ・ルソー
ピカソの画業と傑作絵画
フェルメールの画業と全作品解説
藤田嗣治の傑作絵画
クリムトの生涯と代表作
ジョルジュ・スーラの傑作絵画と画業
日本のおすすめ美術館
東京のおすすめ美術館
神奈川のおすすめ美術館
オランダおすすめ美術館
妄想ミュージアム『エヴェレスト美術館』