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オランダ黄金時代の絵画〜市民に芸術を、黄金が絵筆に変わった時代

アムステルダム国立美術館

アムステルダム国立美術館

17世紀(1600年代)のオランダ黄金時代を代表する二大画家が、レンブラントとフェルメール。国内のみならず、世界の美術史に燦然と輝く2人が偉大すぎるため、陰日向に咲く画家が多い。

アムステルダム国立美術館、マウリッツハイス王立美術館の中から、レンブラント、フェルメール以外の画家を中心に、オランダ黄金時代のアートを紹介したい。

オランダ黄金時代の絵画とは

カレル・ファブリティウス 『ゴシキヒワ』1654年

カレル・ファブリティウス 『ゴシキヒワ』1654年、マウリッツハイス王立美術館

「オランダ黄金時代の絵画」とは、17世紀のオランダの写実的で多様なジャンルの絵画たちを指す。宗教や神話の歴史画もあるが、中心は、庶民の日常・室内・風景・静物・肖像画である。レンブラントの宗教画も、人間ドラマの宝庫として捉え、風俗画の趣がある。

当時は美術学校がなかったので、画家を志した者は師匠(メースター)のアトリエで習った。その煌めきは、ルネサンスや印象派にも引けを取らない。

美術の中心が王侯貴族から市民へ

ヤン・ファン・スコーレル《マグダラのマリア》1530年

ヤン・ファン・スコーレル《マグダラのマリア》1530年、アムステルダム国立美術館

当時のオランダはアムステルダムを中心に世界中と交易を行い、ヨーロッパ一裕福な国となった。市民や商人がパトロンとして芸術を支える力を持つようになり、宮廷絵画ではなく、「自宅に飾るための絵画」の需要が爆発的に増加。それまで主流だった宗教画や神話画に代わって、市民の絵が中心になっていく。

レンブラント《老人のトローニー》1630年頃

レンブラント《老人のトローニー》1630年頃、マウリッツハイス王立美術館

教会や王室のためではなく、名もなき職人や市民の絵が描かれ、風景画・静物画・風俗画などが大きく発展していく。

レンブラント・ファン・レイン『テュルプ博士の解剖学講義』1632年

レンブラント《テュルプ博士の解剖学講義》1632年、マウリッツハイス王立美術館

互いにお金を出し合う集団肖像画も多く描かれ、いわば記念写真の元祖にあたる。

絵画が自由市場で売買される「商品」となり、画商や競売、展示が活発になり、画家は市場で生きる“職業人”となる。

レンブラント《布地商組合の見本調査官たち》1662年

レンブラント《布地商組合の見本調査官たち》1662年、アムステルダム国立美術館

貴族と違い"一般人"は身銭を削っているから絵にうるさく、写実性が乏しいものは金を払わなかったり、描き直しをさせたりしたことで、画家の腕は、どんどん磨かれていった。

フェルメール《デルフトの眺望》1660年〜61年、マウリッツハイス王立美術館

フェルメールの大傑作《デルフトの眺望》も、本人が望んで描いたのではなく、依頼されたものだという説もある。

ヨハネス・モレルセ《笑う哲学者》1630年、マウリッツハイス王立美術館

現在、「芸術」「アート」は「商品」「商業」とは対極に位置すると思われがちだが、芸術を発展させたのは、商品であり商業なのである。

オランダ黄金時代の絵画の凄さ

フェルメール《真珠の耳飾りの少女》1665年、マウリッツハイス王立美術館

オランダ黄金時代の絵画の需要と発展は凄まじく、1640年から1660年の20年間にオランダだけで130万以上の絵画が描かれた。あまりに描写力が見事だったので、絵画に描かれた虫を、蜘蛛が食べようとしたなんて記録も残っている。

肖像画

レンブラント《旗手》(自画像)、1936年

レンブラント《旗手》(自画像)、1936年、アムステルダム国立美術館

市民に芸術が浸透したオランダ黄金時代の絵画を象徴するのが「肖像画」である。ヨーロッパでいちばんの富裕国になったオランダでは、市民が自分の肖像画を持つことが習慣化していた。絵を描いてもらうときは、普段着ではなく華やかな衣装を着るなど、コスプレのはしりとなっている。その中でも、依頼されてもいないのに、自画像や妻の肖像画を多く描いたレンブラントは異色と言える。

フランス・ハルス

フランス・ハルス『笑う少年』1625年頃

フランス・ハルス《笑う少年》1625年頃、マウリッツハイス王立美術館

レンブラント、フェルメールと共にオランダ黄金時代を代表し、かつてオランダの紙幣(10ギルダー紙幣)にもなっていたのがフランス・ハルス。

生涯の多くをハールレムで過ごし、その名を冠したフランス・ハルス美術館がある。

生き生きとした表情を捉える描写力に卓抜し、笑っている人物画を多く描いたことから「笑いの画家」と呼ばれる、世界で最も偉大な肖像画家のひとり。

オランダの旅で観られたのはマウリッツハイス王立美術館の《笑う少年》だけで、残念ながらアムステルダム国立美術館の《陽気な酒飲み》は展示されていなかった。

フランス・ハルス《陽気な酒飲み》1628年頃、アムステルダム国立美術館

レンブラントよりも年長であり、少なからずとも影響を与えているだろう。写真が存在しない当時の絵画において、肖像画が最も重要な画家の仕事とすれば、レンブラントに次ぐトップクラスに位置する。

レンブラントの肖像画(自画像)の大傑作

レンブラントの集団肖像画の大傑作(レンブラント)

風俗画

フェルメール《牛乳を注ぐ女》1658年頃、アムステルダム国立美術館

オランダ黄金時代の絵画を最も象徴するジャンルが、日々の暮らしを描いた風俗画。オランダの画家たちは、非日常を求めて遠くへ旅したり、神話や歴史の世界を描かずとも、身近な生活を題材にした。家事、食事、酒飲み。そこには非日常を超える深淵があった。オランダ黄金時代の絵画では、最も多くの傑作が生まれたジャンルでもある。

ニコラス・マース

ニコラス・マース《レースを編む老女》1655年、マウリッツハイス王立美術館

オランダ黄金時代の三大画家は、レンブラント、フェルメール、フランス・ハルスと呼ばれる。そこに「待った」をかけたい。ニコラス・マースがいるからだ。

ドルドレヒトで生まれたニコラス・マースは14歳のときアムステルダムに行き、レンブラントの弟子になる。5年後に故郷に戻り、画家として独立。小さな家庭内の風俗画を好み、女性が糸紡ぎをする姿や、食事の準備をする姿の絵が多い。

マウリッツハイス王立美術館を訪ねたとき、レンブラントやフェルメールよりも感動したのがニコラス・マースの一枚だった。

20歳前後で描いた《レースを編む老女》は、いかに愛おしく婦人を見つめているかが伝わってくる。

ゴッホは弟テオへの手紙で「レンブラントとニコラス・マース、フェルメールを比較するのは無意味だ」と、この3人を偉大な画家として並べて讃えている。

ヤン・ステーン

ヤン・ステーン《牡蠣を食べる少女》(1658年-1660年頃)

ヤン・ステーン《牡蠣を食べる少女》(1658年-1660年頃)、マウリッツハイス王立美術館

オランダ黄金時代で特に有名な画家のひとりがヤン・ステーン。レンブラントと同郷ライデンの生まれで、ハーグ、デルフト、ハールレムなど移住を繰り返した引越し魔。故郷に引きこもりだったフェルメールとは対照的。

多ジャンルの画家で、静物画、肖像画、歴史画、宗教画など800枚ほどの絵画を描いたが、画家と兼業で居酒屋を経営していた点は、フェルメールと共通している。大酒飲みだったかわからないが、愉快な絵画が多いのはアルコールの力かもしれない。

ヤン・ステーン『親に倣って子も歌う』1668年-1670年頃

ヤン・ステーン『親に倣って子も歌う』1668年-1670年頃、マウリッツハイス王立美術館

集団画だが、最も気合を入れて描いているのがワンちゃんというのが面白い。

マウリッツハイス王立美術館

ヤン・ステーン

ヤン・ステーン《Woman Playing the Cittern》1662年、マウリッツハイス王立美術館

ヤン・ステーン《The Poultry Yard》1660年、マウリッツハイス王立美術館

ヤン・ステーン《The Sick Girl》1660年

ヤン・ステーン《The Sick Girl》1660年、マウリッツハイス王立美術館

ヤン・ステーン《The Life of Man》1665年

ヤン・ステーン《The Life of Man》1665年、マウリッツハイス王立美術館

ヤン・ステーンの絵画で現存するもは約350点。日本で個展を開いてほしい画家の一人である。

ピーテル・デ・ホーホ

ピーテル・デ・ホーホ《家の裏庭にいる三人の女と一人の男》1663–1665年

《家の裏庭にいる三人の女と一人の男》1663–1665年、アムステルダム国立美術館

ピーテル・デ・ホーホはロッテルダム生まれで、フェルメールの3歳年上。父はレンガ職人、母は助産婦。ハールレムで修行したのちデルフトでも活動し、フェルメールに多大な影響を与えたとされる。

リアルな色彩や質感のフェルメールに対し、牧歌的で絵本的な世界。奥の洗濯する女性の存在が、手間の男女の物語性を際立たせる。

ピーテル・デ・ホーホ《配膳室にいる女と子供》1658年頃

ピーテル・デ・ホーホ《配膳室にいる女と子供》1658年頃、アムステルダム国立美術館

デ・ホーホの作品は、大きな癒しと優しい微笑みをくれる。

ユディト・レイステル

ユディト・レイステル《陽気な酒飲み》1629年

ユディト・レイステル《陽気な酒飲み》1629年、アムステルダム国立美術館

ユディト・レイステルは、オランダ黄金時代の数少ない女性画家のひとり。ハールレム生まれでレンブラントの3歳下。誰に師事したかなどはわかっておらず、活動期間は1629年から1635年までと短い。子どもを産んでからは専業主婦になったようだ。

ユディト・レイステル《セレナーデ》1629年

ユディト・レイステル《セレナーデ》1629年、アムステルダム国立美術館

その卓抜した人物画から、ルーヴル美術館がフランス・ハルスの絵画と間違えて購入したことがある。

ユディト・レイステル《誘い》1631年、マウリッツハイス王立美術館

マウリッツハイス王立美術館にある一枚は、女性の柔らかさとキアロスクーロ(明暗対比)が秀逸。

レンブラントやフェルメールの風俗画

静物画

フロリス・ファン・ダイク《チーズのある静物》

フロリス・ファン・ダイク《チーズのある静物》、アムステルダム国立美術館

静物画は質感や光沢などの写実性といった技量が問われる。17世紀初期のオランダ静物画は質素なものを描くことが多かったが、次第に豪華な食事を並べた静物画「banketje」などが発展していく。

アドリアーン・コールテ

アドリアーン・コールテ『苺のある静物』1665年頃

アドリアーン・コールテ《苺のある静物》1665年頃、マウリッツハイス王立美術館

アドリアーン・コールテは1665年頃にミデルブルフで生まれたいわれるが、正確な情報は少ない。小さな静物画で知られる。板に自分のサインを書くことが特徴で、単なる写実性を超えた凄みがある。

紅一点ならぬ、白一点。一輪の存在感が、色とりどりの赤を凌駕する。

ピーテル・クラースゾーン

ピーテル・クラースゾーン『ヴァニタス』1630年

ピーテル・クラースゾーン『ヴァニタス』1630年、マウリッツハイス王立美術館

ピーテル・クラースゾーンはハールレムで活躍した画家だが、情報が少ない。静物画を描かせたら随一で、「オランダ静物画」といえば思い浮かべる人が多い。

ピーテル・クラースゾーン《ヴァニタス》1630年頃,クレラー・ミュラー美術館

ピーテル・クラースゾーン《ヴァニタス》1630年頃,クレラー・ミュラー美術館

17世紀のオランダでは「ヴァニタス画(虚栄の空しさを説く静物画)」が流行した。

ピーテル・クラースゾーン

ピーテル・クラースゾーン、1627年、マウリッツハイス王立美術館

題材も意味深なものが多く、絵に込められたメッセージを考察する者が多い。

ウィレム・クラースゾーン・ヘーダ

《レーマーグラスと時計のある静物画》1629年、マウリッツハイス王立美術館

ピーテル・クラースゾーンと名前が似ているが、家族や親類ではないようだ。食卓や食器、食材などを題材にした静物画で知られるハールレム出身の画家。光沢と生命力が見事。

コルネリス・ド・ヘーム

コルネリス・ド・ヘーム《果物籠のある静物》1654年頃

コルネリス・ド・ヘーム《果物籠のある静物》1654年頃、国立西洋美術館

オランダ黄金時代の静物画家。物体が斜めに倒れかける絵を得意とした。のちのセザンヌのヒントになっただろうか。食べ物の光沢が見事。日本の国立西洋美術館にあるのがすごい。

風景画

フェルメール《小路》

フェルメール《小路》1657年頃、アムステルダム国立美術館

オランダ黄金時代の画家たちは、スケッチブックを抱えて各地を歩き回り、風景や動物、建物たちを写生した。絵の具がない当時、アトリエに戻り、記憶の中にある光、色、匂い、空気をカンヴァスに広げた。風景画は17世紀で最も人気のあるジャンルの絵画となった。

ヘンドリック・アーフェルカンプ

ヘンドリック・アーフェルカンプ《スケーターのいる冬景色》1608年頃

アーフェルカンプ《スケーターのいる冬景色》1608年頃、アムステルダム国立美術館

ヘンドリック・アーフェルカンプはアムステルダム生まれの画家。耳が聞こえなかったという。17世紀オランダで最初の風景画家の一人で、冬のオランダの絵を得意とした。ブリューゲルの影響を強く受けていると思われるタッチ。懐かしい絵本を見ている気分になる。

ピーター・ヤンス・サーンレダム

ピーター・ヤンス・サーンレダム《The Nave and Choir of the Mariakerk in Utrecht》1641年

《The Nave and Choir of the Mariakerk in Utrecht》1641年、アムステルダム国立美術館

ピーター・ヤンス・サーンレダムはアッセンデルフトで生まれ、父親も画家だった。オランダ国内を旅して、建築を描くことに専念。実在する教会の内部を描く最初の画家になった。一隅を照らす発想。

ピーター・ヤンス・サーンレダム《The Old Town Hall at Amsterdam》1657年

《The Old Town Hall at Amsterdam》1657年、アムステルダム国立美術館

オランダ黄金時代の画家は一芸に秀でたスペシャリストを多く輩出している。

ヘラルト・ハウクヘースト

《オラニエ公ウィレム1世の墓のあるデルフト新教会の内部》1651年、マウリッツハイス王立美術館

デン・ハーグ出身の画家で、デルフトで活動。教会の内部を描いたひとり。ピーター・ヤンス・サーンレダムも凄いが、こちらは息を呑む美しさ。

ヘリット・ベルクヘイデ

ヘリット・ベルクヘイデ《View of the Golden Bend in the Herengracht》1671年〜72年

《View of the Golden Bend in the Herengracht》1671年〜72年、アムステルダム国立美術館

ヘリット・ベルクヘイデはハールレムで生まれ、都市景観画で活躍した。フェルメールの《デルフトの眺望》を思わせる空。ザ・都市景観画。オランダは山がなく、空が大きい。景色の80%が空で、雲の表情が多く、画家たちには最高の題材だった。

イサーク・ファン・オスターデ

《Travellers outside an Inn》1646年、マウリッツハイス王立美術館

イサーク・ファン・オスターデは、28歳で亡くなったハールレム出身の画家。お伽話のようなロマンある絵。

フランス・ポスト

フランス・ポスト《View of Itamaracá Island in Brazil》1637年

フランス・ポストは、アメリカ大陸の風景を描いた最初のヨーロッパ人画家と呼ばれる。旅愁あふれる絵。ブラジルなどの絵を多く残した。

パウルス・ポッテル

パウルス・ポッテル《牡牛》1647年

パウルス・ポッテル《牡牛》1647年

パウルス・ポッテルは28歳で亡くなったオランダ黄金時代の画家。動物の絵を多く描いた。父親も画家のエリート。この作品は20歳前後のもの。色褪せない肌。ただの家畜として捉えたのではなく、愛情のまなざしがある。

フェルメールの風景画

再びオランダ黄金時代の絵画に光を

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2018年、上野の森美術館でフェルメールの絵画8点がやってきた。企画展名は『フェルメール展』だったが、今回オランダの旅で観られなかったハブリエル・メツーをはじめ、ピーテル・デ・ホーホ、ヤン・ステーンらの約40点も展示。その中には、ニコラス・マースの2作品(《糸を紡ぐ女》と《窓辺の少女、または「夢想家」》もやってきた。まさにオランダ黄金時代の絵画を堪能する最高の機会。これほどの絵画が一堂に会する機会は滅多にない。

だったにも関わらず、当時はフェルメールすら好きではなく、あまりの激混みに嫌気がさし、ほとんど絵を見ず、足早に会場を出る失態を犯した。

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当時、師匠から「たとえ内容が気に食わなくても美術館に行ったら図録を買い、映画館に行ったらパンフレットを買いなさい」と諭してもらっていたので、現在は図録で振り返っている。

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厚かましい願いだが、再び「オランダ黄金時代の絵画展」が日本で開催されることを願っている。そのときこそは、誰よりも熱意をもって、オランダ絵画の魅力を伝えたい。

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