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信三鉄道
2024年04月17日 22:46
マイクロ回線とはこれまた懐かしい物を・・・
富山の朝日のNTT中継所がこんな昔からあるとは驚きでした。
今やNTTの朝日中継所も跡形がなく、マイクロが通っていた早月無線中継所も他の人に貸しているという話です。
このあと、山梨-長野の回線と東北の日本海経由の回線ができて北向きが二重化され、山陰地方経由もできあがるわけですよね・・・
マイクロの全国回線も今や光ファイバーと比較すると容量が足らないようで、維持してる組織も本当になくなりましたよね・・・ とはいっても衛星経由よりは大量のデータが送れるので、非常用回線としてはそれなりに有用なのかなぁと。(東日本大震災の時は東京-仙台の光回線が2系統ともやられたようで、マイクロと衛星でしのいだという話も聞きます)
総務省的にはマイクロ多重無線回線はつぶしてほしいようですけどね・・・
まあ、貴重な資料ありがとうございます。
aomori226
2024年04月18日 12:18
>>信三鉄道様
コメントありがとうございます。
別件を調査していたら、こんな記事が完成してしまいました。
1967(昭和42)年頃になると、新潟−酒田−秋田−青森とか、甲府−長野も出来るのですが、民放黎明期はこのマイクロ体制だったとみています。
無賃乗車お断り
2024年04月26日 17:39
はじめまして。
文末に資料提供者として私のHNを記載していたのを発見して驚きました。
所蔵している資料から適当に呟いたしょうもないポストでありましたが、貴殿の調査・研究に役立つ事が出来て非常に嬉しかったです。
今後も素晴らしい記事を期待しています。
aomori226
2024年04月26日 18:35
>>無賃乗車お断り様
この度は書籍の紹介をありがとうございました。
永森四郎の「日本の電信電話」が最初のきっかけと言いますか、そこを手掛かり足掛かりに次々と補強する資料に辿り着くことが出来たように思います。
本当にありがとうございました。
さんじょう
2024年05月26日 01:10
「福岡民放の開局と電電公社マイクロ開通年史」におけるNTV系回線の開通時期ですが、
当の『民間放送十年史』 605ページには「予備回線は本線開通が繰り上げられたので、試験放送も含めて1か月程度の使用で済んだ」とあります。
テレビ西日本(TNC)の試験放送は1958年8月15日からですので、民間放送十年史の記述に基づくと、同年9月中には開通していた可能性が高いと推測できます。
なお、ウィキペディアは出典に基づく記述が基本のウェブサイトですので(放送分野はソース未記載の記述が少なくありませんが…)
いくら『山口放送三十年史』の記述が怪しくても(TNCが存在する以上、山口を通る本回線があるのでは?と疑問に思っていても)、他の出典を持ってこない限り三十年史の記述をそのまま採用せざるを得ないのです。
aomori226
2024年05月26日 06:15
>>さんじょう様
コメントありがとうございます。
「民間放送十年史の記述に基づくと、同年9月中には開通していた可能性が高いと推測」、その通りです。お恥ずかしい話ですが訂正します。11月開通予定の記載部分のみそのまま引用した誤りです。
ウィキペディアは出典に基づく記述が基本のウェブサイトなので三十年史の記述をそのまま採用せざるを得ないという件については、私はwikipediaの編集に関与していないので、特に言うことはありません。
ただ他の出典をあげるとすれば、引用・参考文献としてあげた四国電気通信局(1973)「四国電信電話事業史 : 公社発足20年」のP205に「高知〜大分間のマイクロ工事に着工した。このルートは、高知〜鳥形〜三坂〜松山〜伊方〜大分を結ぶものであり、工事は36年3月27日に完成をみている」との記述があり、NTT技術史料館への直接の問い合わせで4月開通とのことですので、KRY開局の昭和34年10月1日時点で四国回り回線は存在せず、当ブログとしては「山口放送三十年史」の記載は採用できません。
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富山の朝日のNTT中継所がこんな昔からあるとは驚きでした。
今やNTTの朝日中継所も跡形がなく、マイクロが通っていた早月無線中継所も他の人に貸しているという話です。
このあと、山梨-長野の回線と東北の日本海経由の回線ができて北向きが二重化され、山陰地方経由もできあがるわけですよね・・・
マイクロの全国回線も今や光ファイバーと比較すると容量が足らないようで、維持してる組織も本当になくなりましたよね・・・ とはいっても衛星経由よりは大量のデータが送れるので、非常用回線としてはそれなりに有用なのかなぁと。(東日本大震災の時は東京-仙台の光回線が2系統ともやられたようで、マイクロと衛星でしのいだという話も聞きます)
総務省的にはマイクロ多重無線回線はつぶしてほしいようですけどね・・・
まあ、貴重な資料ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
別件を調査していたら、こんな記事が完成してしまいました。
1967(昭和42)年頃になると、新潟−酒田−秋田−青森とか、甲府−長野も出来るのですが、民放黎明期はこのマイクロ体制だったとみています。
文末に資料提供者として私のHNを記載していたのを発見して驚きました。
所蔵している資料から適当に呟いたしょうもないポストでありましたが、貴殿の調査・研究に役立つ事が出来て非常に嬉しかったです。
今後も素晴らしい記事を期待しています。
この度は書籍の紹介をありがとうございました。
永森四郎の「日本の電信電話」が最初のきっかけと言いますか、そこを手掛かり足掛かりに次々と補強する資料に辿り着くことが出来たように思います。
本当にありがとうございました。
当の『民間放送十年史』 605ページには「予備回線は本線開通が繰り上げられたので、試験放送も含めて1か月程度の使用で済んだ」とあります。
テレビ西日本(TNC)の試験放送は1958年8月15日からですので、民間放送十年史の記述に基づくと、同年9月中には開通していた可能性が高いと推測できます。
なお、ウィキペディアは出典に基づく記述が基本のウェブサイトですので(放送分野はソース未記載の記述が少なくありませんが…)
いくら『山口放送三十年史』の記述が怪しくても(TNCが存在する以上、山口を通る本回線があるのでは?と疑問に思っていても)、他の出典を持ってこない限り三十年史の記述をそのまま採用せざるを得ないのです。
コメントありがとうございます。
「民間放送十年史の記述に基づくと、同年9月中には開通していた可能性が高いと推測」、その通りです。お恥ずかしい話ですが訂正します。11月開通予定の記載部分のみそのまま引用した誤りです。
ウィキペディアは出典に基づく記述が基本のウェブサイトなので三十年史の記述をそのまま採用せざるを得ないという件については、私はwikipediaの編集に関与していないので、特に言うことはありません。
ただ他の出典をあげるとすれば、引用・参考文献としてあげた四国電気通信局(1973)「四国電信電話事業史 : 公社発足20年」のP205に「高知〜大分間のマイクロ工事に着工した。このルートは、高知〜鳥形〜三坂〜松山〜伊方〜大分を結ぶものであり、工事は36年3月27日に完成をみている」との記述があり、NTT技術史料館への直接の問い合わせで4月開通とのことですので、KRY開局の昭和34年10月1日時点で四国回り回線は存在せず、当ブログとしては「山口放送三十年史」の記載は採用できません。