
私が生まれたのは海が広がり太陽の輝く町だった。海の向こうには富士山が見え、その日によって様々な表情を見せた。私の通っていた高校は丘の上にあり、教室の窓から海を眺めることができた。授業中に柔らかな海風が窓から入ってきて、世界の輪郭が淡くなる瞬間が好きだった。
青空に浮かぶカモメ、透き通った海、海辺に並ぶ漁船、コンクリートを破る雑草、錆びたガードレール、私の原風景。
この辺りはみかん農家が多く、秋から冬にかけて沢山のみかんが景色を彩る。冬になると家にみかんが常備され、生活の一部のように日々みかんを食べていた。太陽の暖かさを閉じ込めたような幸せの味。
地元と東京のギャップは多い。良いこともあれば悪いこともある。東京に住むようになってからみかんを食べる機会はすごく減った。
地元に戻ったのはいつ以来だろうか。地元を離れてから、私が当たり前だと思っていた景色は貴重なものだったのだと気づかされた。東京の生活には慣れたが、頭の片隅で波音がリフレインする。
バスを降り、海岸通りを歩く。それぞれの場所でそれぞれの思い出が蘇ってくる。放課後によくアイスを買ったコンビニ、海開きの前にゴミ拾いをした海水浴場、素敵なイルカショーが見れる水族館。
波は穏やかに満ち引きを繰り返し、陽光の香りが漂っている。新調した靴は心地よい海風を受けてご機嫌に見えた。コンクリート塀に腰を下ろし、何も考えずに海を眺める。ぼんやりとした思考の断片が浮かんでは消える。
誰かが自分を呼んだ気がした。それは凪いだ川面に小石を投げ入れるような、静寂の中に差し込まれた声だった。
振り返るとそこにはロードバイクに跨った果南ちゃんがいた。
松浦果南。お姉ちゃんの親友。小さい頃はお姉ちゃんを通じてまたに遊ぶこともあったけど、私が中学生になる頃には一緒に遊ぶことは殆どなくなった。高校生になって短い期間だったがAqoursとして一緒に活動した。
昔と変わらず朗らかさがありつつ、年を重ねてより凛々しく端麗な印象を受けた。果南ちゃんはお姉ちゃんとは違ったベクトルの美人だ。顔や首筋は日に焼けており、昔以上に海と共に生きているような風格がある。
「こっちでロードバイクに乗るの久しぶりだったから西浦の方まで行ってきちゃった」
「それは元気すぎる!」
果南ちゃんと会うのは何年ぶりだろうか。果南ちゃんは高校卒業後にオーストラリアのダイビングショップで働きながらインストラクターの資格を取得していた。海外にいることもあり、果南ちゃんとはあまり会えていなかった。大学の頃のお姉ちゃんはバイト代を貯めて果南ちゃんに何度か会いに行っていたようだった。
私たちは近況を話し合った。長い間会っていなかったが、以前と同じようにお互い喋ることができたのは奇妙な感じだった。
「ルビィちゃんの衣装のアイディアノート見るの好きだったんだよね」
「え、そうなの?」
「いろんなデザインの衣装案があってさ、魚の図鑑見てるような感じだった」
「それは褒めてるの?」
果南ちゃんはくすくす笑う。
「MY舞☆TONIGHTの時はみんなで意見出し合って衣装決めていったよね。意見を聞いてルビィちゃんがデザインを描いていくの」
「沢山意見あってまとめるの大変だったけど、みんなが納得のいくデザインが作れて良かったよ」
風が吹き抜け、果南ちゃんは目を細めながら海の方へと視線を移す。その仕草も昔のままだ。
「そのトートバック、素敵だね」
「ありがとう。これ自分で作ったんだ」
「相変わらず器用なんだね」
「この前の休日に急に作りたくなって夜通しで作ったんだ」
「それは元気すぎる!」
久しぶりに自分の部屋に入る。昔自分で作ったぬいぐるみが棚の上に置かれている。裁縫が趣味になってから小物、バッグ、ぬいぐるみ、様々なものを作った。駅前の商店街へ生地を買いに出かけることがしばしばあり、種類豊富な生地の中から気に入ったものを選ぶ時間は楽しかった。あの時のワクワク感が連綿と今の仕事に繋がっていると思うと不思議な気分になる。
引き出しにしまってあるノートを取り出した。Aqours活動中に使っていた衣装のアイディアノート。そこには自分の思うスクールアイドルの輝きを詰め込んだ衣装が無数に並べられていた。
アイディアを考えることはすなわち自分の理想を考えることであり、自分のスクールアイドルへの解像度がより鮮明になっていく感覚があった。当時、アウトプットすることに多少苦労していたけれど、それ以上にデザインを描き起こす楽しさを感じていた。
ひとつの衣装に目が留まる。セーラー服をモチーフに白と青を基調にした衣装。他の衣装よりは固めなデザインで、メンバーによって形が異なり、裾の長いジャケットや大胆な錨の模様を入れている。とてもAqoursらしさが表れているデザインだと思う。
衣装作りには様々な発想の土台が必要だ。スクールアイドルとしてのアイデンティティ、楽曲のメッセージ、メンバーの個性、そうしたものが昇華してひとつの衣装となる。丁寧に土台を積み上げた末に生まれた衣装はステージの上で強く煌めく。
自分は何者か、そんな主張が衣装から聞こえてくる。当時の感情が呼び起こされ、懐かしく、そして熱い気持ちになる。
目を閉じて深呼吸する。気分は随分とクリアになった気がする。
これが私の羅針盤。
【後書き】
僕はカレーが好きなんだけど、辛い物はめちゃくちゃ苦手だったりする。この絶望矛盾。気持ち的にはカレーに対する愛があるのに身体が受け付けてくれない。こんな悲しい話があっていいのでしょうか。バーモンドカレー甘口以外のカレーも食べたい!そこで劇的な啓示を受けた。そう、自分で辛くないカレーを作ればいいのだと。ということで最強のスパイス無水カレーを作ることにした。
スーパーのスパイスコーナーを改めて見てみると豊富な種類が並んでいて、ここに世界の可能性が秘められていると思うと興奮した。最強の調合を見つけ出し、スパイスカレーの金字塔を打ち立てるしかない。
煮込むという行為は大局的な内省に似ている。それは木樵が斧を振るうように、静粛に、剛健に、行われる。肉、野菜、スパイスが混濁していく様子を一心に睨む。ここで気が緩むと命の危険に晒される。「煮詰まる」という言葉は「行き詰まる」という意味で誤用されるけど、本来は議論の末に結論に近づくことを意味する。具材が混ざり合い、カレーへと昇華される、それが「煮詰まる」。それは自己との対話であり、思考の深淵へと沈んでいくことに他ならない。
はい、えーと、なんの話だっけ。そう、今回SSを久々に執筆した。実はSSはちょいちょい書いていて、最後に書いたのは2022年4月だったから約3年ぶり。
ラブライブサンシャインは僕にとって偉大な作品だ。ただ、アニメ放映から結構時間が経った今、当時の感情を思い出すことは日に日に少なくなっている。勿論、アニメや過去のライブ映像を見返せば、感情を思い出すことはあるだろうけど、積極的に見返すことはない。そんな状況の中で唯一感情が蘇るのが沼津に行った時だ。
以前計算したところ、僕はこれまでに14回沼津に行っているらしい。直近5年くらいは年に1,2回訪れているのだけれど、訪れる度にラブライブサンシャインのことを考え、当時の感情が復活する。
そうした沼津に訪れることで生まれる感情、その一連の流れをキャラクターに当てはめてみたいと思った。それがこのSSの始まりです。
個人的に作中の時間を進めてしまうのはSSとしてどうなのだろうかという疑念はあるものの、Finaleに向けて何か書くとしたらこの内容が自分の中でしっくりきた。
これまでのSSと違うのはキャラクターのその後の人生を想像しなければならないところ。アニメという土台は当然あるけど、キャラクターのその後の進路を考えなければならない。これは今までやったことのない作業でなかなか面白かった。
後はFinaleを楽しむだけです。よろしくお願いいたします。