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令和に見る、ヤン・シュヴァンクマイエル 『蟲』

2025年8月に満を持して公開となったヤン・シュヴァンクマイエルの『蟲』。そういえば、私は2016年にこの映画を製作するためのクラウドファンディングに参加してたんだった……ということを鑑賞中に思い出した。いやだって、あれから9年ですよ! クラファンしたの忘れるわ。しかし、わずか数千円に過ぎないとはいえ、私が稼いだお金がヤン・シュヴァンクマイエルの最後の長編映画のために使われたというのはいい経験になった。よかったよかった。

クラファンのお礼画面

というわけで以下は『蟲』の感想を書いていくのだけど、シュヴァンクマイエルは私にとって、他の映画監督とはまったく異なる意味と重みを持つ。なぜならこの人の映画に惚れ込んで卒論と修論を書いて、しかも社会人になって始めたこのブログ「チェコ好きの日記」の語源(?)になったから。私はチェコの映画が好きなのでハンドルネームが「チェコ好き」なのですが、そのチェコの映画の中心にいるのは永遠にヤン・シュヴァンクマイエルなのです。

シアター・イメージフォーラム

自語りはほどほどにするとして、正直なところ、『蟲』を見るのに不安な気持ちがなかったわけではない。個人的には前の長編映画『サヴァイヴィング・ライフ ‐夢は第二の人生』がいまいちだったからだ。いつものシュヴァンクマイエルなのだけど、逆にいうといつものシュヴァンクマイエルでしかない。つまり何か新しいことに挑戦している要素がほとんどなく、撮影手法にしろ、テーマにしろ、これまでの焼き直しのような印象を受けたのだ。それが悪いかというと悪いとまではいわないんだけど、やっぱり、ちょっと残念感はある。まあ、シュヴァンクマイエルってもう80歳越えのおじいちゃんなので、別に過去の焼き直しだっていいだろ、長編映画1本撮れるだけですごいだろ! という話でもある。

「また焼き直しなんじゃないか?」ということ以外に、『蟲』には、令和に見る映画として大丈夫なのだろうか……という不安もあった。シュヴァンクマイエルの映画は、小児性愛カニバリズム、精神的な病など、タブーをガンガン扱う。私が学生だった頃は2008年とかで、まだ世の中がいろいろなことに(悪い意味で)寛容だった。小児性愛も、カニバリズムも、精神的な病も、私は「アートだからOK」という感じでかなり雑に見ていたし、それが特段咎められるような環境でもなかったと思う。当時はシュヴァンクマイエルの作品に女性蔑視的な部分があるとは特に思っていなかったけど、今見たら「およ?」と感じる部分があるのではないか──だって、80歳越えのおじいちゃんだし。ずっと好きだったものを嫌いになりたくないなあ……みたいな、そういう不安を抱えながら鑑賞した。

youtu.be

まずは『蟲』のあらすじを話しましょう。ある町(プラハ?)の小さなアマチュア劇団が、チャペック兄弟の戯曲『虫の生活』を上演するため、稽古をしている。しかしコオロギ役兼任の演出家以外、全員やる気がない! 遅刻したり、ずっと編み物していたり、稽古そっちのけで不倫のイチャイチャをしていたり……しかしそんな中でも稽古は進み、アマチュア劇団の現実と『虫の生活』の世界が交錯していく。ストーリー自体は「いつものシュヴァンクマイエル」感がある。

映画が始まってパッと目を引くのは、画面を覆い尽くす大量のGだ。私も当たり前にGは大嫌いなので本来は絵文字ですら見るのは嫌だけど、シュヴァンクマイエルだと「しょうがない、シュヴァンクマイエルだから」という感じで特に何も思わずに見られてしまう。でも普通にグロ画像なので、耐性がない人はしばらく目を瞑っていたらいいのではないかと思います。タイトルが『蟲』の時点でいろいろ覚悟して見なければならない。

そして大量のGのグロ画像以外に、もう一つ観客にとっての障壁になるのが、この映画があえて観客の集中力を削ぎに来るというおかしなことをやっていること。

例えば、ちょっとシリアスというかホラーなシーンに入る前に、そのシーンのメイキング映像を見せてしまう。ナイフで刺すシーンの直前にその撮影現場の全景や裏側などを映し、かわいいワンコが「ちょっと邪魔だよ〜」とかいわれながら追い払われているほのぼのメイキングが挿入されてしまう。ゲロを吐くシーンの直前に、そのゲロがどんなふうに作られているかを丁寧に──「オートミールを混ぜて作るとそれっぽくなるんだ。栄養満点だよ!」とかやってしまう。なので、ナイフで刺されてもゲロを吐いてもずっと面白いしずっとほのぼのしている。Gでさえも、シュヴァンクマイエル本人が手で触り「わ〜気持ち悪い、早くして早く〜」とかやっている。たぶん、気持ち悪いといいつつカブトムシ触ってるくらいの感覚なのかなと思いましたが……。というわけで、大量のGが画面を覆い尽くすというセンシティブ中のセンシティブ映像があるグロ映画であるにも関わらず、ずっとほのぼのしており、ラストはちょっとハッピーでさわやかな気分にさえなって映画館を出ることになるという、これは2025年に輝くトンデモ映画でした。

私が『蟲』を見るにあたって不安に思っていたことは前述したように2つあって、1つは「また過去の焼き直しなんじゃないか」ということ。これに関しては、もちろん本作は間違いなくシュヴァンクマイエルの映画でシュヴァンクマイエルらしさ満点なのだけど、焼き直しじゃ……なかった! 少なくとも私にとっては「お!」という「新しい何か」が感じられる作品だったので、80歳でもまだまだイケるんだ! と思いました(失礼な感想)。

そして不安に感じていたことのもう1つ、「令和に見ても倫理的にいろいろ大丈夫なのだろうか」という点は……結果的には、セーフというかラッキーというか、ここも回避できていたように思います。シュヴァンクマイエルおじいちゃんは「アップデート!」などという言葉とは無縁の昔ながらのおじいちゃん(だと思う)なので、ここが回避できていたのは単にラッキーってだけだと思うけど、まあ、結果的にシュヴァンクマイエルを嫌いにならずに済んだので個人的にほっとした。

学生だった2008年頃、まだ一般的ではなかったこともあり、私は「インティマシーコーディネーター」という言葉すら知らず、無知むき出しのまま映画を見ていた。

フンコロガシが出てきます

そして、そこから15年以上の時間をかけて、「いい映画を作るなあ」と思っていた映画監督が一人、また一人と問題を起こし、業界から消えていった。映画館自体も問題を起こし、あんなに素晴らしい映画を上映しているのになぜ足元が見えないのか、と暗い気持ちになった。私自身の認識も大きく変わり、自身の内面にあったさまざまなことを反省した。そんな中、再びシュヴァンクマイエルの映画に「再会」でき、それを学生時代と同じように楽しく見ることができたのは、ほとんど奇跡のような出来事に感じる。奇跡が大げさなら、単に「ラッキー♪」ってだけでもいいのだけど。


本作はエロ・グロでいうところのグロのほうに完全に振り切っている作品なので、シュヴァンクマイエルの映画にしては珍しく、いわゆる「インティマシーシーン」みたいなものはほとんどない。が、グロシーンやホラーシーンに挟まれるほのぼのメイキングが、観客の集中力を削ぐと同時に、「ちゃんと安全にやってますよ」という……つまり、「本作はヒロインが性暴力を受けるシーンがありますが、インティマシーコーディネーターに協力を依頼しています」といわれるのと同じような安心感を与えている。シュヴァンクマイエルおじいちゃんにはたぶんそんな意図はなく、メイキング映像の挿入はいつもの悪ふざけであり、いつもの芸術的実験であり、いつもの映画的倒錯なのでしょうが、結果として「本作はヒロインが性暴力を受けるシーンがありますが、インティマシーコーディネーターに協力を依頼しています」といわれるのと同じような効果を生み出しており、映画館を出るときの気分がとても晴れやかだった、というわけです。大量のGが画面を埋め尽くすグロ映画であるにもかかわらず……。

これ、2010年とかに見たら逆に私はどう思っていたのかな……と不思議である。シュヴァンクマイエルおじいちゃんのいつもの悪ふざけが結果的に功を奏して令和の倫理観に意図せずフィットしてしまった(?)という、私にはそんな映画に見えた。でも、同じような感想を抱く人はあまりいないと思う(笑)。15年以上のファンが抱いた一つの感想として受け止めてもらえれば幸いです。

たまに最後最後詐欺をやらかす監督もいるので実際どうなるかわかりませんが、もしも『蟲』が本当にシュヴァンクマイエルの最後の長編になるのだとしたら、けっこう幸せな鑑賞体験だったように思う。

www.zaziefilms.com




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