
劇団☆新感線「紅鬼物語」。今日まで大楽後のディレイ配信(中身はライビュ公演日のもの)もやっている模様!
大阪・東京でそれぞれ1ヶ月弱ずつ上演された本作、私は東京にて4公演を観劇しました。
感想がありすぎて何からどうまとめれば!?状態になっていましたが、ようやく1記事目を書くことができた。。ちょっと本作感情が巨大になりすぎまして、文章にするのにめちゃくちゃ苦労しとります…。
まずは物語の核である紅子・蒼の二人についてまとめました。
- この記事を書いているのは、2020年はいからさんを現地で観たことをきっかけとする、柚香光さんの(自認では比較的ライト目な)いちファンです。
- 劇団☆新感線は現地と映像で数作観たことがあります。
- 以降の本文は書きやすさ都合にて文体が変わります。なおディレイ配信買えてないのでセリフの再現性には目を瞑っていただければ幸い(4公演分の記憶のみで書いております)。
目次
私が捉えた「紅鬼物語」の魅力
どこかおどろおどろしくて、劇中に通底する気配は紛れもない〈哀しさ〉。
平安時代の和の世界に立脚しているからこその、深い奥行き。
それは妖しくて、仄暗い魅力をまとった、とても美しい物語。
私が受け取った「紅鬼物語」の魅力をまとめると上記のような感じになる。
新感線ならではのコメディ要素と、今作のびっくりするほどのシリアスさ加減のバランスは正直かなり難しいものだったように思うが、両者を行き来しつつ、話の筋としてその真ん中を力強く疾走していく演者の熱量が凄まじかった。
私は東京公演しか観ていないが、その中でも後半にかけてどんどんと芝居の密度が濃くなっていくのを感じた。物語が、とにかくその場に「生きて」いた。
そのエネルギーを客席で存分に浴び続ける時間は、観劇体験として最高に幸せなものだった。余韻がとても深く、終わってもしばらくあの物語の中から出てこられずに、心が平安末期の鬼の世界をふらふらと彷徨ってしまう。
本作には「新感線らしい」と表現するにはやや違ったタイプの魅力が詰まっているなと感じたが、サイトでのコメントやパンフレットの序文を読むに、作り手側により意識してそのように方向づけられた作品だったようだ。
初見時は私の中にあった新感線のイメージと実際に観た手触りがやや乖離していたためそこに少々戸惑いを覚えていたが、2回目以降はすんなりと馴染んだ。
この一見するとかなり複雑な物語に見応えを与え、生命を吹き込んでいるのは、役者陣の十二分に揃った実力のおかげに他ならない。
芝居巧者同士の濃密なやり取りが、板の上にこれでもかと繰り広げられる。
その中でどうしたって特筆すべきは、主演・鬼の紅子を演じた柚香光さん、その夫・源蒼(みなもとのあお)を演じた鈴木拡樹さんお二方。
この二人が夫婦役と知った時点で私の中での期待値はうなぎのぼりだったのだけど、実際に劇場で観た結果、想像以上の熱演に圧倒された。
多分このお二人は、自分の中で納得行くまで緻密に掘り下げた「役の解釈の強度」と、目の前の相手とのやりとりでその場に生まれた感情で嘘なく生きる「芝居の瞬発力」の強さとが、おそらく力量としてものすごく拮抗しているし、更にベクトルもやや似ているんじゃないかと思う。
なにより、芝居の相性がとても良いように感じられて。
私は元々れいちゃんのファンで鈴木拡樹さんのことはかなり以前から存じ上げているしで、期待値は本当に高く持っていたのだけど、生で観るこの組み合わせは本当~に想像以上に素晴らしかった。(※なお、尊敬の意を込めて個人的に勝手に「鈴木先生」とお呼びすることが多いため、以降その呼び方で失礼いたします。)
鈴木拡樹さん演じる源蒼の魅力
家臣に慕われる人格者
蒼は貴族だが、刀を帯びて自ら戦う、平安末期を生きる侍のはしり。家臣にも篤く慕われており物語での描かれ方はどこからどうみても人格者で、その人としての高潔な在り方を体現する鈴木先生の説得力、半端なかった。
彼が”裏に含むところのない真っ直ぐな役”を正面からやると、こうなるのか…!みたいな。
自分の家(家名)、ひいては国を支える主であることへの強固な自負心、そうして己が背負った責を必ず果たそうとする責任感の強さ。それだけでなく明らかに武芸にも長けており、名実ともに立派すぎるほどに立派な、どこに出しても恥ずかしくない「殿」である。
役者として、技量があまりにも高い(知ってたけど!)
という気持ち。本当に。脱帽。
舞台姿を個人的には相当に久しぶりに拝見して驚いたのだが、鈴木先生はやはり発声がすごい。あまり他で聞いたことがないというか、類似の役者さんの声が思い浮かばないのだけど、不思議なほどに深く、明瞭でよく届く。
張り上げているわけでは決してないのに、やたらと「響いて」聞こえてくるのだ。
たとえば声量を出しづらい「イ」の音の発音も潰れることがなく、音響に弱みがあるように感じられたシアターHの2階最奥にいてさえ、全てのセリフがはっきりと聞き取れた。
そしてまた、どうしようもないくらいに芝居がうまい…うますぎる。意味がわからないくらいうまい。なんかもう、正直呆気に取られて観てしまった。
眉の動かし方、目元の使い方からなにから、あんなふうに板の上に存在する己の全てを掌握して魅せきることが出来るんだな…となる。場における引力が、凄まじい。
そしてそれだけ芝居がうまいからこそ、コメディが異様に生きるのがまたズルい。
阿部辺丁迷の屋敷でのシーンなど、家臣たちが全員「本当にこの陰陽師は信用できるのか?」というモード全開なのに対し、一人だけ正面から丁迷の力を信じ切り、全力でリアクションを返し続けているそのおかしみ。
腹からの「じーさーまー!」の急な大声とか「謝れぃ!」の家臣への恫喝とか、本当にいちいち全てが面白かった。
東京公演最終盤では、道中に丁迷が提案した温泉に立ち寄る案に対し「温泉か…」の一連のセリフを大真面目に言いながら、実際に温泉に入る動作を付け足していたのには面白すぎて爆笑してしまった。そしらぬ顔で手ぬぐいを濡らしたり畳んだりするのはやめてほしい。あんなの面白くてズルい。
7月12日マチネ観たときはやってなくて、7月13日マチネで急に遭遇したので…そこから楽まではずっとやっていたみたいなので、目撃できて嬉しい!笑
結論:蒼様、めちゃくちゃかっこいい
今作、そんな鈴木先生演じる蒼、いや蒼様。本当にかっこよかった。ギラついたり派手派手しいところはないが、いぶし銀のような、とてつもなくしぶいかっこよさ。
一見地味な中にある本質的なかっこよさとでも言ったら良いのだろうか……そのぶん誤魔化しが全く効かない、虚飾のない状態でのかっこよさなので、表現するのはその方がよほど難しいと思うのだ。それをさも当たり前かのように体現できてしまう、役者としての実力がお見事としかいえない。
何度もX(Twitter)で取り憑かれたように繰り返して投稿してしまったけど、あの若い紅子と蒼様の出会いの場面(好きすぎるシーンのためここについては後述する)。
やや眉を顰め、己の中で覚悟を決めたように振り返り、数段上の段上から紅子に向かって静かに手を差し伸べるあの場面……わけわからんくらいかっこよくて「ハァ???」と思ってしまったほどだ。
だってあの時の蒼は戦のあとでボロボロに傷ついた状態で、身なりとしてはほぼ落ち武者みたいな状態なのだ。
それなのに、どうしたってものすごくかっこよかった。役者として表現できるその奥行が、ちょっとすごすぎる。清々しいほどに、参りました。
柚香光さん演じる紅子の魅力
<異形の者>の説得力
そして対する、我らが!主演の柚香光さん。
れいちゃんの紅子は徹底して「異質な存在」であること、つまりは〈異形の者〉であることが際立つように描かれていた。
あの濁りのない真っ赤な衣装を身に付けた姿からは、どうしたって凄みが滲む。
その立ち居振る舞いから、なによりもその美しさから、きっとこの人は普通の存在ではないのだ、という確信が、自然と物語の中に香り立つ。
紅子は女房装束の亜種のようなデザインのお衣装。裾の長い袴や上に重ねた衣をふわりと翻すその所作や、袖にそっと添えた指を丁寧に折りたたむ手の形、そのひとつひとつがどこまでも洗練されて美しく、「都からやって来た、謎めいたやんごとなき女性(にょしょう)」であることを否応なしに観客に伝えてくれる。
人↔鬼を自在に行き来。紅子は人であり、鬼である
しかしその実、紅子の正体は鬼である。
蒼の家臣である金之助を襲って返り討ちに腕を落とされた鬼、栃ノ木は紅子の配下の鬼だった。その栃ノ木たち三人の鬼が、いま自分たちがいるクナサ村周辺にやってきたことに気づいた紅子は「このあたりに着いてすぐ、ねぐらにしていた辺りのことが少し、気にかかります」と言って、鬼たちのもとへ向かう。
この時に”鬼スイッチ”がばしん!と入った紅子の眼力の強さ…。柔和な顔つきはあっという間に、怖いほどの凛々しさに取って代わられる。
初見時、私は2階最奥の下手の席にいたのだがちょうど通路の延長線上にあたる位置だったため、ここでの紅子の豹変をオペラグラス越しに正面から観て、身を震わせるほど興奮した。
あまりにも、れいちゃんの得意なやつすぎて…。
そしてここから先に続く鬼ズ3人とのやりとり。
登場の時点で「喧しいのは、あんたたちだよ!」の啖呵を切って、大股で乗り込んでくるお頭・紅子。…いや、急にかっこよすぎやろがい!!!
声の出し方も体の動かし方も何から何までガラッと変わって勇ましく、先ほどまでのたおやかさはどこへやら、足をどんどん踏み鳴らしたり、袖を二の腕までまくり上げたりなんかもしてしまう。
あれは鬼のお頭モードとして栃ノ木たちに出会ったあとの紅子が後天的に身につけた振る舞いなのだろうな…と思ったりしていた。
それでいて、蒼の様子を七瀬と柊から伝え聞くところでは、抑えきれないときめき♡全開モードで「キャッ♡」と脚を跳ね上げたりしてso cute…になってしまう。
ちょっと待って、忙しい。観ているこちらの感情が忙しい!!今度は急に、可愛すぎるやろがい!!!!!
れいちゃんのコメディも大好きなのでこの振り幅、嬉しかったなぁー!
嘘なく紅子を生き切ってみせる類まれなる芝居心
紅子の人物造形はとても複雑だ。
鬼なのに人として生きようとしている時点でかなり複雑で、周囲からの理解が得られやすい存在とは言い難い。
そして紅子の中には人↔鬼としての二面性だけではなく、妻・女・母・鬼のお頭など、立場の様々に異なる顔が同時に存在している。
つまり観客は物語の展開にあわせ、「今の紅子はどの顔をしているのか?」という部分を読み解く必要が出てくるわけだが、特にそこに苦労を感じないのだ。
紅子の中での行動原理は実際に次々と移り変わるのだが、そこに嘘がなく、どれも紅子の本心なのだと自然と思わされてしまうのは、れいちゃんの芝居心のなせる技としか言いようがない。
更に紅子の役はそれだけでなく、時間軸をも複雑に行き来する。
劇中、蒼 / 紅子それぞれの回想の中で、過去二人がともに暮らしていた頃の幸せな記憶が度々登場するのだが、舞台上に流れる時間がふいに揺れ動くその時に、れいちゃんの紅子はふっと自在にその時空を飛び越えてみせる。
声音や仕草や表情が、さっきまでとは別な時間の中にあることを、雄弁に物語るのだ。
この回想と現在を行ったり来たりする構成は、ともすると観客を振り落としてしまう難しさもあるように思うのだが、れいちゃんの「その場を生きる」瞬発力の強さにより、全くそういうふうには感じられなかった。
藤色の花が咲く谷で。紅子と蒼の、運命の出会い
そしてこの二人の出会いの場面が、胸を締め付けられるほどに美しかった。
立浪草(タツナミソウ)の咲く谷。
鬼は人の肉を食わなければ生きていけない。命をながらえるため、戦で命を落とした躯を喰らいにやってきた娘時代の紅子と、
戦いの中で家臣を多く失い、ボロボロに成り果てた戦帰りの蒼。
鬼として生まれながらも鬼であることを悔い、生きていることそのものを悪と感じていた紅子は自らの手で命を絶とうするが、蒼に自害を止められ、そして生きるように説得される。
蒼は同じくこの世に絶望を覚えながらも、人の命の行く末は人ではなく天が決めるものだと信じて、その絶望の中でも紅子に「生きよ」と告げるのだ。
この世に行き場を無くしていた紅子は、その声に縋って、自分にはまだ見えないがそこにあるはずの新たな光を、信じてみようとしたのだろう。
追い詰められていてもう何も失うものが無いからこそ、目の前に差し出された「生きよ」というメッセージに、紅子は全力で応えようとする。
自分の行く末を側で見届けてほしい、生きるなら誰かのために立ちたいと、打ちひしがれながらも真っ直ぐに蒼を見上げる紅子。
その申し出に「わたしと、夫婦になりたいということか」と正直な驚きと動揺を隠せない蒼。
しかしきっと、地獄の果てを見てきたかのようなその時の蒼の心情にとって、それはなにかの天啓のように感じられたのだろう。
オープニングで紅子が歌うあのテーマソングにのせて、まさしく〈運命〉として出会った二人はそっと肩を寄せ、手を取り合う。
生まれて初めて「生きる意味」を手にしたことの得難い喜びを弾けさせるように、笑顔を浮かべて軽やかに舞い踊る若き日の紅子。
こんな美しい場面があるものなのか、と思った。
セリフも決定的なもの数節のみのやりとりで、あとはノンバーバルな表情、身振りと手振り、そして紅子の踊りによる表現なのだけれど、
二人の心が自分たちにとっても驚くほどに瞬間的に通い合い、引き寄せ合った事実が身を切るような切実さで伝わって来て、涙が止まらなかった。
あんな出会い方をしてしまったらそりゃあ、10年間お互いに忘れられるわけなんてないよ…と思ってしまう。
そしてその表現を、後半れいちゃんのソロダンスに凝縮して託した演出が、本当に本当に素晴らしくて…
衝動的に溢れ出てくる生きる歓びを、全身で表現する紅子。
あの美しさこそ、まさに柚香光にしか出来ない表現だと言い切れる。心に深く刻まれる美しい光景だった。
10年もの間、離れているのにお互いを強く求め想い合うことの必然性や説得力。
蒼がどうしてそこまで執拗なほど熱心に妻を探し続けるのか、紅子はどうして鬼のお頭をつとめたりしながらも夫のもとに還ろうとするのか。
二人の内側にある、それぞれの感情の強さを説得力をもって打ち出すことが出来なければ、そもそもこの物語の展開そのものが薄っぺらくなってしまうだろう。
だが、決してそうはならない。
自分の欲望・願いにどこまでも忠実に、お互いを求め続ける二人の在り方は痛いほどに真実性を帯び、その熱量で物語を導いていく。
作品の中心にいるのが柚香光さん・鈴木拡樹さん両名の組み合わせだからこそ、やりたいことが存分に描き切れたのではないかと思う。
紅子と蒼が願ったこと
紅子は物語の中で、どこまで行っても孤独な存在だ。鬼であるのに人として生きようと抗う彼女が、本当の意味での安息の地を得ることは、難しい。
鬼であることを見抜かれた八十八には、正体を黙っている代わりに人の病や怪我を治せるその力を貸せと脅され、
同じ鬼である栃ノ木には、なぜ鬼として生きることを選べないのか、鬼の力を失っても死ぬだけで人にはなれないと、正面から真実を突きつけられる。
紅子の願いは本当にシンプルで、愛する人と共に生きたい、たったそれだけ。
でもそれこそが、どうしても叶わない。
物語の冒頭、蒼はどこかに生きているはずの妻に向かってこう呼びかける。
「紅(あか)と蒼(あお)とで色濃く、壊れかけた平安の今生をともに生きてゆこう!」
蒼が息を引き取ろうとする最期に寄り添い、涙ながらに紅子は言う。
「殿と一緒に生きたかったけれど、そんな場所はこの世にはどこにもない」
本質的にこの世で誰とも生きては交われない存在だからこそ、紅子の願いはシンプルなのに究極にエゴイスティックで、その純粋さを持ったままに美しく散っていく。
愛する伴侶に再び会いたい、という紅子・蒼の願いは寸分たがわずに同じものだったけれど、その願いは成就したからこそ、その先がない。
だから再会を果たした終着点としては〈二人の死〉以外に答えがなかった。そんなふうにも思えるラストだった。
しかしそうして愛する者と手を取り合って命を終えた二人の先には、藤という娘が遺されている。
藤こそが、二人にとっての希望であり、願い。そして、未来の象徴。
果たしてその藤の〈未来〉は、どんな風に色づいていくのか—
……というところに、どこか禍々しい不穏さを残した幕引きが、本当に秀逸だった。
物語全体の解釈については別記事にしたいと思っているので、今回はまだ触れずにおこうと思う。(ちゃんと書いてね!?私!!!)
いったんはここまで!
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