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刀ミュ ミュージカル『刀剣乱舞』~坂龍飛騰~ 感想。肥前忠広の心情の紐解き


本記事は坂龍の肥前忠広の心情について私が観劇しながら感じた印象のまとめ、心情の紐解きをやってみる試みです。
※お芝居についての感想になるため二部ライブパートの内容は含みません。

まえがき

  • 言うまでもなく正解がある類のものではないと思うので、解釈は人により様々。一致しなくて当然だと思いますのであくまでも私個人の感想としてお受け取りいただけたら幸いです。
  • 引き続き記憶のみで書いているのでセリフの再現などにはあまり正確性がない点ご容赦ください。
  • 今作は特性上肥前忠広について書くと陸奥守吉行についても同じくらいのボリュームで触れることになるのですが、心情解釈という意味ではあくまでも肥前側のみになっています。
  • そしてこの記事も11000字あります(ええ…?)

物語全体の解釈について先に書いた記事はこちらです。
anagmaram.hatenablog.com


目次

今作の肥前をひとことで言うと、陸奥守とは違う角度から、”坂本龍馬”にこだわりを持つ役割」を、自らの身に引き受けているように感じた。
そこから生まれていくリョウマへの心情、その変化についてなど、物語の時間軸に沿いつつまとめてみようと思う。

坂本龍馬のいる過去に出陣を繰り返す陸奥守を見つめ続ける中で

坂本龍馬に関する出陣は全部やらせてほしい」と主に直談判し、本当にそのとおり、果てしないと思しき回数の出陣を繰り返し続ける陸奥守。
冒頭の近江屋襲撃に立ち会う「何度目だ」の肥前の声掛け。「数えるのはもう、やめた」と言い、表向きは淡々と、と表現したくなるような態度で内側に自身の感情を押し込めて、元の主を刀剣男士として斬り捨てる陸奥守。

その様子を側で見守る肥前の口からは「…くそっ…」という呟きが漏れる。
本当は平気であるはずがないのに、それを誰にも伝えることなく、恐らくは自分自身にも認めることなく、ひたすらに任務に向かい続ける陸奥守に対して降り積もる、やりきれなさ。
そしてそれをどうにもできない自分への苛立ち。
この冒頭の肥前の描写は、それまでの陸奥守の刀剣男士としての歩みを肥前がどう受け取ってきたかを表しているように思う。

私が冒頭の描写から想像した前提となる肥前の心情は陸奥守がやりたいことは尊重する、彼が元の主にこだわって出陣を繰り返し続けることに何か意見を述べたり積極的に介入したりすることはしない。ただ、自分はそれを見届け続ける。」というもの。

その”果てなき波”の数々を見続けてきた肥前だからこそ、今回作戦の序盤で坂本龍馬が死んでしまった際にその事実をなかなか認めることができない。
既に息絶えていると恐らくは彼自身も本心ではわかっていても、無駄と思われる蘇生を繰り返してしまう。
止めに入った陸奥守に「もう、えい。」と告げられた後の「…くそーーー!」の咆哮は、
部隊の一員として改めて自らも坂本龍馬に向き合う機会を得たのに、取り返しようのない失敗が起きてしまったことへの許せなさなんだろうなと思う。


そしてその後、物部として唐突に現れたリョウマに対し、肥前が「お前は坂本龍馬じゃねえ!」とぶち切れるばかりではなく、面と向かって刀まで抜こうとする。
かなり苛烈なリアクションではあるが、この背景は単にそれが”事実”だからではないかと思うのだ。
あまりにも当たり前のことだが、リョウマは坂本龍馬ではない。
なぜこのような、坂本龍馬ではない赤の他人が成り代わるようなことを認めなければならない?と、肥前はとてもストレートに憤っているように見えた。
ここでの肥前は「坂本龍馬ではない人間が坂本龍馬を名乗る」ことへの強い拒否反応を示しているように思うのだが、その背景には最初に述べたような、これまでの出陣で陸奥守を見てきた中での懸念や危惧のようなもの=陸奥守が坂本龍馬に思い入れを持つ一方でその存在を歴史の上での事象化してしまっていることがあるのではないか、と思う。


しかし、陸奥守を含めた他の刀剣男士たちは、歴史を守るという任務においては、別人であっても龍馬の役割を果たしてくれる存在がいることのほうが重要だと、全員がその事態を(なにか含むところがあるにしても見た目上は)すんなりと受け入れてしまう。

結果的に、肥前「俺は降りる!」と発するまま、本当に部隊から離れてしまうことになる。

あのときの肥前の中にはきっと説明できない複雑な感情が渦巻いていたのだろう。
肥前がずっと抗おうとしているのは、陸奥守があまりにも記号的に、歴史の中の事象としてのみ坂本龍馬を捉え続けることではないだろうか。
過去に出陣を繰り返す中で、徹底的なまでに坂本龍馬を「記号化」してきたように見える陸奥守が、今回は更に一歩踏み込んで、”赤の他人”を坂本龍馬として扱うことに合意する。
そこに対するどうしようもない耐えられなさが生まれた瞬間に、肥前の口からは「降りる」という言葉が出たのではないかと感じた。
これ以上、陸奥守が自分を追い込むことの片棒を担ぐのはごめんだ、というように感じたのかなと。
また本心では、任務を成功させるなら今は他に代替策はないということを理解する部分もあり、強い反発を覚える自分が部隊の中にいることでむしろ障害になりうるのでは、というような予感もあったかもしれない。

陸奥守に対して直接向けている憤りというより、この事態そのものや、それを収拾することが叶わない自分自身への苛立ちのようなものがないまぜになり、
このどこか衝動的にも感じられる「降りる」という行動につながったのではないかと思う。
「降りる」という言葉には、上、つまりここでは隊長=陸奥守の方針に従うことを是とできないという意思表示が込められていると感じるが、
歴史を守るのだとしても自分は別なやり方でできることをやらせてもらう、そういう思いもあったのかなと考えている。

坂本龍馬という確かに生きた人間のことを、お前はどう感じていた、お前にとってどういう存在だった?
それこそがお前が一番大事にして守りたいものなんじゃないのか。

ここまでのシーンを見ながら、言葉にされることのない肥前の思いとしては私はこういったものを感じていた。

『顕現るもの』に見る、肥前忠広と坂本龍馬の関係

かつての主たちと刀としての自分たちを繋ぐものはなにか。
「僕達をかたどる物語」と南海が歌い出すこの曲の場面で、もしも坂本龍馬の手に握られたままだったら?と問いかける南海に対し、
肥前は静かに「…もしもはねえ」と返す。*1

ここで最初に「肥前忠広は坂本龍馬から岡田以蔵へ…運命だとは思わないかい?」と南海が投げかけているのは、
肥前忠広という刀が実際に坂本家から岡田以蔵の手に渡るまでの来歴に関して、具体的には不明な点が多いことを踏まえつつ、
その上で”今回の歴史”でも岡田以蔵の元にあやまたず肥前忠広という刀がやってきたことを指しているのかな、と感じた。

刀の具体的な扱いに関しては、恐らくは刀剣男士はリョウマに対して具体的な口出しはしていないように思う。
それなのに、リョウマは脱藩に際して兄からせっかく受け取ったばかりの肥前忠広を、自らの意志で岡田以蔵に渡している。*2
つまり、幕末の世に人斬りの刀として岡田以蔵に振るわれることが、肥前忠広という刀がもつ、動かし難い運命なのだね。と、南海は告げているのだろう。

今回の歴史の中で、本来は関わっていない要人の暗殺に加わっていたりと正史とはやや異なるルートを辿りながらも、やはり”人斬り”として幕末の世で生きる岡田以蔵

もしも坂本家で宝刀として扱われていたままだったら。もしも坂本龍馬に愛刀のひとつとして握られる日があったら。
南海が言うように、その考えが肥前の頭に浮かぶこともあったのかもしれないが、
しかし肥前が歌う『顕現るもの』の最後の歌詞は「ただの人斬り」で結ばれる。

歴史の中において”もしも”は存在せず、自分はあくまでも人斬りの刀。
肥前の”刀”としての自認は、やはりその一点において非常に強固なものである。
リョウマに対する肥前の態度について考える際、「もしかして坂本龍馬に対して後ろ髪を引かれるような思い入れがあるのだろうか?」といったアプローチも当初検討したが、やはりそうではないよなとこのシーンによって私は結論づけた。

「あの男に、坂本龍馬の面影を求めるな」が引き出した陸奥守の内面

物語の中盤、薩摩が自身の故郷にもたらす運命を知って刀剣男士たちの元を逃げ出したリョウマは、すぐに時間遡行軍の攻撃を受けることになってしまうが、肥前がそこを的確に救う。
”降りる”宣言の後も、恐らくは離れたところから部隊の皆の様子を見守っていたために、リョウマが逃げ出すという異変にすぐ気づくことができたのだろう。

そこへリョウマを追ってきた陸奥守と後家が合流する。
この場面で、薩摩に行きたくないと言うリョウマに対し、肥前は「甘ったれたこと言ってんじゃねえ、この道しかねえって覚悟決めたんだろ!」と怒鳴る。
薩摩行きを渋るリョウマを見て肥前は呆れたように笑い「陸奥守、お前が続きをやれ。この男には無理だ」と言う。
しかし陸奥守からは「おまんは降りたがじゃなかったかや」と返され「…くそっ」と小声で零す。
ここは、暗にずっと作戦を見守ってきた事実を冷静に指摘されてしまい、降りると宣言した手前の気まずさのようなものを感じたのだろうなと思う。

リョウマのことを坂本龍馬だと認めた気はそもそもまったくないが、今その役割を担うと言うのならば、賛成はしないまでも距離をおいて様子を見守ることは続けよう…という風に、
この時点での肥前は思っていたのだろう。
しかし当の本人はそれまでとは意見を変えて坂本龍馬の役割を果たすことに疑念を抱き始め、「薩摩の世話になるのなんか死んでもごめんだ」と叫ぶ。
それを聞いた肥前は「てめぇ!」と刀を抜きかけるが、同時にそこに浴びせられた「じゃあ死ぬかぁ!」という陸奥守の声に、後家と共に動きを止めざるを得なくなる。

このときの陸奥守の一言は、恐らく肥前にとっても予期せぬもので、半ばぎょっとさせられた部分もあったのではないだろうか。
その後のやりとりで、「わしはおんしに、坂本龍馬でおってほしい」という陸奥守の言葉を聞くことになる肥前
恐らくはそこに反応する形として、肥前は「あの男に、坂本龍馬の面影を求めるな」と立ち去りながら陸奥守に伝えるが、それに対する陸奥守の返答がまた新たに肥前の心情をかき乱す。

「面影を追いゆうつもりはないがじゃ」と静かに言う陸奥守は、「本物の坂本龍馬がどればあの男やったか、よう思い出せんき。…なんでじゃろうかのう」と、淋しさが滲むような小さな笑顔を残して立ち去っていく。
ここでの肥前の「…くそっ」はとても小さな声で絞り出すようで。眉を顰め目を閉じて、ぎっと歯を噛みしめるようにしてこぼす一言。

陸奥守が坂本龍馬をその人本人の在り方を通り越し、淡々と事象として捉え続けてきた結果、どんな人間だったのかがよく思い出せないとまで言う。
それはおそらく、もともとこの作戦に出陣する前から肥前危惧していたとおりの事態だったんじゃないだろうか。
それだけでなく、リョウマに対して衝動的に命を奪おうとするような仕草まで見せた陸奥守の状態を目にして、肥前の中ではより焦燥感が募ったのではないかと感じた。

「おい!大事に扱え!刀は魂だろ!」の背景

その後、時間遡行軍の策により、坂本龍馬の寿命を知ってしまったリョウマは、思い詰めるあまりに西郷隆盛を手に掛けようとするも、現れた検非違使に阻まれ当然ながらその試みは果たせない。
この検非違使襲来を「緊急事態だ!」と部隊の皆に告げに駆け込んでくることを見ても、肥前はやはり一定の距離をもってずっと事態を見守り続けていたことが伺える。

襲われた西郷を助け、一人で検非違使を迎え撃つ状態になっていた笹貫のもとに、肥前の知らせで部隊全員が駆けつけた結果、検非違使討伐は無事に成功する。
ここでなぜ西郷を襲ったりなどしたのか?と問われたリョウマは、坂本龍馬が少し先の未来に死んでしまうことを知ってしまった事実を告げ、その後に自分の故郷が戊辰戦争に巻き込まれることを止める術はないのか?神様なのに見てるだけなのか?と周りの刀剣男士たちに対して食い下がる。
しかしその声は刀剣男士たちに取り合われることはなく、なすすべのなさに絶望したリョウマは、手にしていた刀の陸奥守吉行を地面に叩きつける。

この刀の陸奥守吉行が投げ捨てられた瞬間、肥前は今作で一番と思われる大きさで感情を表出する。激昂していると言っていい声。
「大事に扱え!刀は魂だろ!」
これは本当に、あの瞬間衝動的に肥前の口から出たもので、それがリョウマにとって通じる言葉であるかどうかまでは考えられていないものだと思う。
リョウマは坂本龍馬では確かにないが、でも今その役割を帯びてその場にいるのだとしたら、愛刀を投げ捨てるなどという行為は決して許せる所業ではない。
そしてそれは、ここまで己の思いを全て殺すかのように任務に向かってきた陸奥守吉行に対して、あまりにむごいとも言える振る舞い。その事実に対しての憤りをまっすぐにぶつけている言葉だと感じた。

しかし陸奥守本人は「もう、えい」と、再び淡々とした調子で言うのである。
そんな彼に向かって「いいわけねえだろ!」の後に「陸奥守!」と続ける肥前の声は、昂っているというよりはどこか言い含めるような冷静さも帯びるものだった。*3
このときの肥前の声は、陸奥守に対してまるで”もっと自分を大事にしろ”と言っているようにも聞こえた。

結局、「おまんの好きにしたらええ」と、そのままリョウマが部隊から離れる=坂本龍馬をやらなくなることを許す陸奥守。
その直後、肥前は仲間たちに踵を返し、投げ捨てられたままの刀の陸奥守吉行を肩に担ぎ、リョウマの後を静かに追う。

この時、肥前はなぜ刀を拾ったのか。
なにかその先のこと…例えば、再びリョウマの手に陸奥守吉行を握らせることを考えて、といった先読みをしきったような行動ではなくて、これもある種とても衝動的なものだったように思える。
見ていられなかったから咄嗟に手が伸びた、そんな風に感じた。
これもそこまでは考えていないと思うのだが、多分肥前陸奥守自身に拾わせたくはなかったんじゃないかな…とも思う。
「もう、えい」で済ませてしまう陸奥守の代わりに、彼の内面を一部掬い上げている、そんな動作にも思えた。

「散るべき時に散れなかった花」が示すもの

ここについてはリョウマについて考察した記事に既に書いてしまったのでそこに譲るのだが、

「散るべき時に散れなかった花は、何も残さず、腐るだけだ」
「腐っちまえば、元の美しさには、もう戻れねえよ」

この時の肥前は、リョウマに対して「お前は坂本龍馬として死ぬべきだ、それが役割なんだからきちんと果たせ」というようなことを言っているのではなく、
本来リョウマが彼の人生の中で命を落とすべき時に死ねなかった事実についての、自分から見た捉え方を伝えているのだと感じた。

人は誰しも、自分にとっての運命を持つ。そこには必ず命を終えるタイミングがある。
その連なりこそが歴史であり、そこから外れた命が意味するもの、それは…といった内容を、ある種とても残酷なのかもしれないが、真実として静かに伝えているように思った。


この直後に歌われる『てめえの花』の歌詞についてもずっと考え続けていたのだが、
「腐って朽ち果てるなら それまでだ」には、ずっと側で「お前は坂本龍馬ではない」という前提のもとにリョウマを見続けてきた肥前だからこその、リョウマ本人の在り方への思いが表れているように感じた。
「俺に摘ませるなよ」についても同様に。


ここまで想像をふくらませるとまた別所に関する解釈が(個人的に)難しくなるのだが、ひとまず今作における”物部”の在り方を考えるに、
それは刀剣男士たちから見ると、もしかするととても残酷なものに映っているのではないだろうか…と思う。
そういう言葉が使われている訳でもないのであれだけれど、いわゆる輪廻転生的なサイクルから外れてしまうというか、
本来の死期を逃してしまうことで「歴史」の大河からは永遠にはぐれてしまっている状態となり、その事実そのものが「歴史を守る」刀剣男士の役割から見ると、やはりすでに異物・あるべき状態ではないように見える…のかもしれない。*4

肥前忠広はリョウマをどう見ていたのか

これも前回の記事におおよそを書いてしまったのだが、改めてまとめるならば、
肥前は、ずっとリョウマをリョウマとして見つめてきたのだと思う。
坂本龍馬ではない、別のひとりの生きた人間として。

再び刀剣男士たちのもとに舞い戻り、「代役ご苦労だったな!」と陸奥守に告げ、坂本龍馬として立派に死んでやるって言ってんだよ!と言うリョウマ。
それを聞いた肥前はこう言う。

「自惚れんな。お前はどこまでいってもお前だ。歴史の中で、文字の上で坂本龍馬として死ぬだけだ」

私はここに、リョウマを個として捉え続けてきた肥前の優しさが詰まっているように思った。
肥前に対しそんなことはわかっていると返すリョウマは、「でも、腐った花とは言わせねえ」と続け、それに対し肥前は「…おう。」と返す。

ここからの一連の肥前の表情が、忘れられない。

リョウマが坂本龍馬として死ぬのなら、それは当然のことながら、リョウマ個人の命が尽きることを意味する。
肥前はなにも、リョウマに死んでほしくはないのだ。
だとしても、本来あるべき歴史の大河の大きな流れに戻っていくのなら、そうする以外に道がないというのもわかっていて。
坂本龍馬として立派に散り果てたいというリョウマ。眼の前にいる”生きた人間”としての彼を見つめる肥前の瞳に、うっすらとした涙の膜*5が張っているのを見た時、どうしたらよいかわからない感情が込み上げた。

陸奥守が坂本龍馬を人間としてではなく歴史上の事象として捉えることに抗い続けてきた肥前だからこそ、
同じ文脈において、リョウマをひとりの個として捉え、彼に向き合うことができたのではないだろうか。
「お前はどこまでいってもお前だ」は、その意味では何よりも思いを込めた、リョウマに対する手向けなのではないかなと思う。

坂本龍馬”を取り戻した陸奥守、それを見た肥前

「のう、坂本龍馬はどんな男じゃったかのう」という陸奥守の問いかけに「あぁ!?」と言いながら自分の中にある坂本龍馬像をぽんぽんとテンポよく答えていく肥前
この肥前とのやり取りの中で、陸奥守はそうじゃったそうじゃった、と顔を綻ばせ、同じように自らが感じる坂本龍馬という男について言葉にしていく。
「あいつが奔走するたびそこら中に埃まみれの風が吹いて、ほんっと迷惑な野郎だよ!」と力強く結ぶ肥前に、「じゃが、それこそが坂本龍馬じゃ」と答える陸奥守。
「…おう」と返す肥前の瞳は、隠しようがないほどに奥の方でキラキラと輝いて、口元はかすかに綻んでいた。

この表情には、肥前の安堵と嬉しさがどうしようもなく滲んでいたように思う。
どんな男か思い出せないと言っていた陸奥守が、自分の心の中で大切にしていた元の主のことを、笑顔を浮かべて語っているのだから。
それこそが、肥前陸奥守に叶えてほしいと思っていたことなんじゃないか。
肥前はきっと、陸奥守に「坂本龍馬」を取り戻して欲しくて、この場面は遂にそれを見届けることができた瞬間だったのかなと思う。

「立派な、いっとうかっこええ花」を咲かせる種として

慶應三年十一月十五日に、坂本龍馬の史実通りに命を落とすリョウマ。
その最期に立ち会ったのは陸奥守だけだったが、恐らくは他の皆はあのふすまの外で、二人のやりとりを聞いていたのだろうな。
あの場面に最後に入ってくるのが肥前で、静かにふすまをそっと閉める丁寧さが、とても好きだった。
そして、帰る前に寄りたいところがある、と告げた陸奥守のその目的を、説明されずともその場にいる皆が自然と理解していたように映った。


リョウマの故郷、平泉に立ち、一面の蓮の花景色を見つめる男士たち。
袋から種を取り出そうとする陸奥守は、両手を空けるために自らの手に握っている刀を無言で肥前に預ける。
同じく無言で刀を受け取る肥前
この時にぱっとすぐに手を出すのではなくて、静かに手を伸ばし、指一本ずつをじわりと織り込むように、大切に刀を握り込む肥前の動作。

目にうっすら涙を溜めたまま、池に蓮の種を撒く陸奥守。

「…どんな花が咲くかのう」
「立派な。…いっとうかっこええ花、だろ。」

普段は使うことのない土佐弁のイントネーションでそう返す肥前
二人は、お互いに自分たちの具体的な心情を語り合うことはない。
だが、お前が見てきたものは俺も隣で見てきている、だからこそわかることがある…とやりとりしているような、気持ちよく乾いた視線の交わし合いがそこにはある。
心の一番内側にある大切な感情のやり取り。そこについて外から言語化する必要性は感じないというか、もうそのまま野暮なことはせずに静かに受け取るだけで十分…見ていてそう思わせられる二人の表情。
この時にごく仄かに口元にのぼらせる肥前の微笑みが、本当に優しかった。


今回の出陣で、陸奥守と肥前がそれぞれの立場で向き合った苦しみ、見てきたもの。
それらは決して交わることがない部分もあるが、だからこそ分かち合えることもある。
そしてそれぞれの視界の中に生きていた「リョウマ」という一人の男の存在を、彼らはきっと、自分たちの心の中に大切にとっておくことだろう。この蓮の花咲く光景と一緒に。


肥前は、今回の刀剣男士たちのなかでは一見すると一番きつくリョウマにあたっているようにも見えたが、
それこそが肥前がリョウマを独立したひとつの個として、坂本龍馬とは切り離されたひとりの人間として、見つめ続けていたことの証でもあるのだと思う。
数奇な運命の果てに坂本龍馬という「強すぎる物語」を駆け抜けた一人の男のことを、肥前はきっと忘れることはないのだろう。



ここまでの整理ができたのは、実は5月10日~5月11日の凱旋ラスト2日間の出来事で、それ以前のわたしはさまざまな背景が障害となりずっと「肥前くんのことがこんなに好きなのに、何にもわからーん!」となっていたのでした。これはマジです。
でもどうしても諦めたくなくて。よく間に合ったな…と我ながら思います。

全部自分で言うけど、あんなにわからなかったのに最終的にここまでの言語化にたどり着いたの*6、シンプルにしつこいし愛だし、でもそれはなによりもりょうがくんの芝居が素晴らしいおかげ!もちろん心くんのむっちゃんも同様に…!

そして物語の本丸部分に関して「いやお前絶対言ってないことがあるだろ」みたいな状態ですが…そこについてどうするかはまだ悩んでるので、今しばらくお待ち下さい!


おたよりフォーム
世の解釈一切見ないで書き散らしているので多分すごい変な長文錬成モードになってると思うんだよねぇ。
坂龍をみた皆様がこの記事を読んだ感想をいただけると、とても嬉しいです。是非~。
docs.google.com

*1:ここの口調は公演前半/終盤でかなり大きく変化していたように思う。序盤ははっきりと比較的強めな語調で、終盤はどこか自嘲的な部分も垣間見えるような顔と声になっていた気がする。

*2:ここに関する刀剣男士の介在有無を確かめる術はないが、、脱藩を宣言し兄・権平に肥前忠広を受け渡された後のリョウマのことを肥前以外の5振りで木の陰から見守っている描写しかない&「死んだあいつの連れだから良くしてやったのに」とリョウマ自身も言っている=彼自身の判断と受け取れるため、肥前忠広の処遇に関する刀剣男士の介在は「ない」という理解でよいように思う。

*3:これもいつもではなくて、激昂した調子のままに近い日もあったけれど、私が好きだったのはワントーン落とした冷静さがある回だったのでそちらをメインに据えて書いている。

*4:えっとぉ、この点に関しては……ちょっと後日、書くとしたら有料記事のほうに……(つはもの三日月強火オタクの人格が、泣いています)

*5:恐らくここの感情の起伏も回によるしそもそも席位置や角度で見えるもの受け取れるものは変わるんだけれど…5月10日のマチネにこの表情を見なかったら私は坂龍の物語と全面的に決別してしまってたと思う。推しの芝居が素晴らしくて救われる観劇オタクの命があった。

*6:合ってるかどうかはおいといてね、いいのよ感想なんだから!の精神です。ちなみにりょうがくんご本人のFC配信でも「心情」の具体についてはほぼ語られなかったので、それがまたいいな~って思いながら観ていた。想像できるのってありがたい。




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