以下の内容はhttps://amecomihighschool.hatenablog.com/より取得しました。


【ネタバレ感想】ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSブンブンジャー

地上波本編の最終回では、不思議と泣かなかった。

 

その後ひとりで行ったオープニングテーマTVサイズで全部歌うカラオケ(イントロナレーション付き)の時にも、泣かなかった。

 

1年間、この日を迎えることなく終了させられてしまう不安と隣り合わせだった『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』。それがきちんと最終回を迎えられて、しかもそれが「これからも続いていく日常」を描いていたから。だから最終回を観た時の私の気持ちは寂しさよりも楽しさや安心だった。シリーズが終了するだけで、私の日常にもスーパー戦隊が共にいてくれる。そう思えた。

 

と同時に、「泣けなかった」自分がいたことに不安も覚えた。

 

昔からこうだ。卒業シーズンになって皆が「え〜皆と離れ離れになるの寂し〜」と涙目でいる同級生を「それ本気で思っとんのけ?」「今の時代全然連絡とか気軽にとれるやんけ」と素直に共感してやれない、ドライな自分。そんな自分のスタンスが、愛してやまないスーパー戦隊に対しても反映されている恐ろしさ。

 

スーパー戦隊で泣く、という事自体が世間一般の価値観からはズレているのかもしれないが、去年制覇したのでそれは間違っていると胸を張って言える。強いて言うなら、私が嵐の解散を「あら残念やね、おれも『花男』のやつとか好きやったけど」くらいで受け止めているのと同じように、世間と私の間には隔たりがあるのだろう。

 

 

 

 

『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSブンブンジャー』(以下、『ゴジュブン』)を観た。

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引用:https://x.com/sentai_official/status/2034758318955405796?s=46

ユニバースナンバーワン怪人・ユニバースノーワンが「ユニバース融合」を発生させ、幾多の並行宇宙が混ざり合いはじめた。(中略)ユニバース融合が進めば世界が崩壊してしまうと知ったゴジュウジャーとブンブンジャーは、ノーワンを倒すべく奔走するが……。

 

並行宇宙が混ざり合うことで邂逅することのできる2つのスーパー戦隊という表現は、スーパー戦隊シリーズの放送枠を受け継いで現在放送中の『超宇宙刑事ギャバンインフィニティ』の要素を違和感なく盛り込んでおり、後発の別シリーズ作品の設定すら我が物顔で扱うスーパー戦隊シリーズの裾野の広さ(≒節操の無さ)を改めて思い知った。

 

この前提によって登場することができた、ボウケンレッド、ゴーカイレッド、ジュウオウイーグルのオリジナル戦士たち。ピンチに陥ったゴジュウジャーとブンブンジャーの面々に、それぞれの戦隊が1年かけて手に入れてきた大切な意志の力を受け継いでいく。

 

予告時点で一触即発になりそうだったゴジュウポーラー(俺様)×ブンブルー(クール)×ブンブラック(2人のケンカを身体張って止めそう)のチームに、この手の映画に出てきたらとりあえず後輩にド派手に攻撃するゴーカイレッドをマッチアップさせ、 ブラックの「ブンブンジャーを守るためにブンブンジャーになった」警察屋らしい発言、ブルーの「真っ白なブラック」発言で『ブンブンジャー』らしさを感じさせてくれたかと思えば「なんか3人とも「しろ」やね」という「これぞ『ゴジュウジャー』」とでも言わんばかりの雑さで連携をとらせたり、

 

まぁ落ち着いて話をしてくれるでしょうという期待通り、ゴジュウティラノ×ゴジュウイーグル×ブンオレンジのチームがボウケンレッドの仕掛けた罠に対し、多少の (87歳と10万27歳の嘘みたいな)年長者マウント合戦はあったものの、「ちょっとした冒険」という発言を聞き逃さないティラノの丁寧さでイーグルがパリピ魂を取り戻し、オレンジの提案した過酷なトラップだらけの道を敢えて選ぶという順当な連携をとるなど、キャラクターの要素や積み上げてきたものをきちんと大切にしている脚本の細やかさは、『ゴジュウジャー』におけるガオレンジャー回やルパパト回を担当した樋口達人さんの手腕によるものだと納得がいった。

 

逆に意外だったというか、己の浅はかさを思い知ったのはゴジュウレオン×ゴジュウユニコーン×ブンピンクのチーム。陽性のノリで和やかに仲良くなるかと想像していたが、ピンチにも関わらずアイドルでいるレオンにピンクが「信じらんない!」とさせた上で、アイドルの自分のまま他人のためにその身を投げ出せるヒーロー性でもってピンクとのわだかまりを解く、という流れには一切の違和感なく予想を遥かに上回られて感服した。それらの一連を「違っていてもどこかで繋がっている」というジュウオウイーグルの包容力で抱きしめる、この心強さ。

 

ユニコーンがいる以上、不祥事での役者交代による脚本の変更は避けられなかっただろう。世界の危機でいっぱいいっぱいのピンクが犬探しをやっていたのも、きっとユニコーンのお節介に流されたからだろう。困っている人を笑顔にしたい、そんな「2人」のヒーロー性でピンクは2人を認めてあげられたかもしれない。『ゴジュウジャー』放送時にも抱いた、あんな事さえ無ければもっと違うものが観れたのだろうか、というないものねだりはやはり付いて回る。

 

おそらくそれはウルフ×レッドの場面にも影響を与えたのだろう。真偽が定かではないから明言もしないが、光と「影」の2つに分かれてしまったウルフの折れた心を甦らせるのは、「影」であることを隠しながら戦い、一度は仲間の元を離れるも、他でもないその仲間から求められ帰ってこれた「あの御方」だったのではないだろうか。終了してしまうスーパー戦隊シリーズ、その最後のVS映画にもし出てもらえていたら、天晴れと、そう東映を労えていたかもしれない。

 

ただ。私は知っている。というか『ゴジュウジャー』を観てきた貴方達なら、知っているはずだ。

 

転んでもただでは起きないのが東映である、と。

 

自らの光の部分に全てを奪われ、抜け殻と化してしまった影のゴジュウウルフを、ブンレッドは見つけ出す。

 

悲鳴もあげていないのに。

 

かつて悲鳴をあげている人がいたのに助けられなかった「少年」が、悲鳴をあげているところに駆けつけたくてブンレッドになり、そして後輩レッドを導く存在として、あまりにも頼もしすぎるカッコいい大人になって帰ってきた、この鮮やかさ。若くして財を成した余裕たっぷりの大富豪、というキャラクターが、今日この『ゴジュブン』でもって完成したと言ってもいい。まったく、『爆上戦隊ブンブンジャー』、爆上という割にじっくりコトコト過ぎる。洗脳解くくらい美味いカレーかい。

 

正直ユニコーンの代役に歴戦の女傑(最大限の感謝とリスペクトを込めてこう呼ばせていただく)志田こはくさん(マジでありがとうございます。マジで)をキャスティングしたことと同じくらいのウルトラCを決めていると思う。多分「あの御方」が出れていたとしたら、ブンレッドはいつものゴジュウウルフに戻ってくれと願う仲間たちの声を届けるだけの存在になっていたかもしれない。

 

かくして王道ヒーローの誰もが成し得なかった境地に達したブンレッドの助けを借りて、ゴジュウウルフは奮起する。世界を1つにして争いを無くすという光のゴジュウウルフの願いは、両者の意志など気にも留めず握手で「はい、仲直り」させる暴力的な事なかれ主義として表現される。決して願いが悪いとは言わない。むしろ素晴らしい。ただ、それじゃいけないのだ。……こういうのはちょっと、極端な解釈をすれば戦争すら肯定してしまっているような気がして凄く嫌なのだが……

 

戦わなければ。

 

戦って、相手を理解しなければ。

 

他でもない自分自身の光と戦って理解したからこそ、願いの無い抜け殻の影を連れて、日常を大切な仲間達と共に戦いながら、向き合いながら生きることを願ったのだ、『ゴジュウジャー』本編のゴジュウウルフは。私もそうでなければ。

 

そこから敵を撃破するに至る一連で、私は泣いた。「泣けた」と言うべきか。意識的にスーパー戦隊の歴史で戦おうとしなかった『ゴジュウジャー』が、アニバーサリー戦隊らしく、シリーズ最後の戦隊らしく、歴史の重圧を打ち倒したからだろう。

 

終わってしまった現実を達観する自分と、終わらせたくない足掻きを続けている自分。ずっと戦っていたのだ、『ギャバン』を観て楽しんでいる自分も。おれはファイナルライブツアーでどうなってしまうんだ。なんか故郷の公演チケット選んだせいで変に文脈が乗ってしまっている。泣きたくない自分がいる。笑顔で見届けたい。本当に終わってしまう事実を真っ正面から受け止められる自信がない。だから今までファイナルライブツアー行こうとしなかったのか。おれ、全部の戦隊でロスしとったんや。うわぁ〜……

 

こんな私を、世間はどう見るのだろう。やっぱり、変、なのだろうか。まぁこっちはこっちで、はぐれ一匹 上等、なのだが。あぁ人間、どこまでいっても難儀な生き物だ。

影を連れて

影を連れて

  • ゴジュウウルフ/遠野吠 (冬野心央)
  • サウンドトラック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

藍反射、十字架、雀魂

『藍反射』という映画を観た。

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引用:https://x.com/ranhansha_movie/status/1996052473270992951

20代の未婚女性が突然の診断に直面し、身体の悩みを誰にも相談できないまま、周囲との関係に悩み、自分を見つめ直していく姿を描く。(公式サイトより)

 

例によって例のごとく、役者の学校時代の同期が出演していたので観た映画。婦人科の看護師として出演していたが、柔らかい雰囲気は「居そう」の一言に尽き、現時点での彼女が持っている味を理解し活かしてくれる人と出会えたのは幸せなことだろうと思う。

 

女性の視点から多角的に描く、生理・妊娠・不妊治療のリアル。人間の分だけその受け取り方がある。「生理なんて無くなってしまえばいい」という言葉を、妊娠しているかもしれない不安故に共感できないように。知り合いの子供を素直に可愛がれていない自分に気づいた時のように。

 

説教臭い話に仕上がってはおらず、今まさに悩みを抱えている人々の挫けそうな身体をそっと支えてくれるような映画だった。不安を聞いてくれる人、側に居てくれる人、そんな存在がいることの、なんと有難いことか。

 

 

 

 

 

そう、私は側に居てやれなかった。

 

離婚した元妻との間には、自然に妊娠して出産までしてくれた息子がいる。2人のことを大切に思うのなら、私は空気を察して芝居を辞めて早々に就職し、言われた通り引越しの準備を粛々と進め、一緒に暮らせる環境を整え、辛い時苦しい時に側に居てくれる人になるべきだった。

 

分かっていて、芝居を選んだ。『藍反射』では黙って一人で不妊治療に励んでいた主人公に謎にキレる会社員の彼氏と、中学生の彼女が妊娠したかもしれないと分かった瞬間よそよそしくなる高校生の彼氏、2人のヤベー男が登場しているが、分かっていて尚、経済的に上手くいく見込みが薄い芝居の世界にしがみつこうとした私も大概ひどい。

 

女性の身体的な悩みは基本的に男性の無理解や私のような横暴によって引き起こされ、当人が責任を持って寄り添わない限りは破綻するか、女性が孤独に耐え戦い続けなければならない。

 

養育費は単に約束だから払っている。気休めにもなっていないだろう。妊娠が分かり、私が元妻の不安を和らげる存在にはもうなれないと分かった瞬間から、彼女の孤独に寄り添ってくれる人は現れてくれているのか……『藍反射』では不安を抱えた女性たちに、友人、家族、恋人、様々な形で寄り添ってくれる人々が描かれていた。離婚して3年目、未だに気にかけている。

 

 

 

 

離婚してから、麻雀にハマった。

 

大学時代は煙草や飲み会のコールと同列に、イメージ上の嫌な大学生が好む行為として忌避していた麻雀は、以前よりファンであった江頭2:50のYouTubeでの対決企画、プロ達が団体の垣根を越えてチームを組み、優勝を目指してハイレベルな闘牌を繰り広げるMリーグ、マナーこそ悪いものの、気心知れた友人たちとの煽り合いと人間の破滅を観れる粗品のYouTubeとの出会いを通して、遅ればせながらマイブームとも呼べるくらいの存在になっている。

 

観ているだけでは我慢ならなくなってきたのと、嫌な大学生よりは酷いことをしたという開き直りもあって、自分でも雀魂というアプリで麻雀を打つようになった。

 

一局単位で言えば、相手に放銃して自分の点数を減らさないように。トータルで言えば、大きく自分のレートが削られるラス目を引かないように。麻雀というスポーツは、大きく上がることよりも遥かに「リスクのある選択をとらない」ことが重要な意味を持つ。早々にそれに気づいておきながら、逆転できそう、アガれそうというところで欲をかき、幾度となくランクの昇降を繰り返し、ようやく中級者と呼べるところまで辿り着いた。3年目で中級者、我ながら運でここまで来たという感覚しかない。確かなことは、戦い続けたという事実だけ。

 

思えば3年前の私は「戦う1年にしたい」と言っていた。既に妊娠は分かっていたが、それでも芝居をしたい、芸能界に認められる人間であるかどうかを試したい、一緒にいい作品にしていきたい、そのために、同期の仲間と、演出してくれる講師と、あまりにも苦しい経済的状況と、冷ややかな視線と、そして何より、それらを言い訳に夢を諦めたくなってしまいそうな自分自身と。

 

あの時、私はこれら全てと戦って、負けた。経済的状況や視線にはシンプルに。仲間たちの優しさに。ただ一つ、未だに「役者を辞めた」とは言っていない。いっそ諦めた方が楽なはずだ、愛する人のために、自分だけが蓋をすればいいのだから。そう思ったあの日の自分にだけは、幸か不幸か負けなかった。ラス目は引いていない。

 

また、戦いたい。

 

私はどうしようもない男だ。

あえて、好きなものの「好きになれないところ」も書いてみる。

試み、という他ない。

 

以前はいわゆるROM専、インターネットやSNSを眺めるだけで過ごしてきた。その方がストレスフリーだと思っていたから。しかし、自分の感想を発信することが、顔も名前も知らない誰かを傷つけることになるかもしれないという恐れからダンマリを決め込むのも精神衛生上よろしくない。自分の好きなものが何かで盛り上がっている、その中で自分の立ち位置を表明することでしか輪の中には入れないし、このブログも読まれない。

 

入り口としてのSNSを運用していくにあたって、まだまだ同じような趣味嗜好を持つ人々が盛り上がっている話題には乗っかり切れない自分がいる。それはひとえに、その趣味嗜好そのものと距離を置いて生きてきたから。『私立アメコミ高校』時代はアメコミヒーローのことを我々に生きる上でのヒントを与えてくれる存在として持ち上げていたが、それと同時にヒーローにはどうしようもなく共感できない未熟な部分、欠落しているパーソナリティが同じくらいあって、だからこそ100%の「好き」を向けることなどあり得なかった。尊敬と疑い。だから「教師」だったのだ。授業は面白いけれどテストで意地の悪いひっかけ問題を出してくる教師。地味でブツブツ言っているから気味悪がられているけれど知識が豊富で教科に対する情熱が人一倍伝わってくる教師。顧問している部活の実績が華々しいことを免罪符(なるわけないんやけどな)に女生徒をやらしい目で見ている教師。それらを「好き」「嫌い」の0/100で語ること自体がナンセンスなのに、同級生はあからさまに態度に出すせいで目をつけられたりしていた。そうすることで「接点」を持っていた。

 

なのでこの記事は、ありとあらゆるコンテンツを好きな私が、インターネットのありとあらゆる部分と「接点」を程よく持つようにするための試み、であると同時に、ありとあらゆるコンテンツを好きであるということ、それらをどういうスタンスで摂取しているかをそれとなく自己紹介するための試み、である。

 

もくじ

 

 

 

1.ウルトラマン

え、ないかも。

ビックリしたぁ。企画倒れやん。いやでも、もっと固定観念を壊してくれてもええんやで、とは思っているかもしれない。

「ウルトラマンたるもの『こう』でなければ」とか、「ウルトラマンらしさ」という意識に一番雁字搦めになっているのは感じている。それでも奇を衒わずに「らしさ」を貫くウルトラマンはもちろん観ていて楽しいのだが、「らしくなさ」の割合をもっと大胆に増やしても文句言わないくらいには好きだ。

……あ、セキュリティ意識が高くて立派なのは素敵なのだが、他サブスクに比べてツブラヤイマジネーションの使いにくさやテレビへ繋げにくい辺りはもったいないと感じてしまっている。

 

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2.仮面ライダー

商売っ気が匂いすぎるのをどうにかしてほしいとは、常々思っている。仮面ライダーを増やすことによるベルトや変身アイテムの飽和化は、ドラマに影響を及ぼしていると言わざるを得ない。

「仮面ライダーでいること」に、きちんと必然性とドラマが欲しい。

 

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3.スーパー戦隊

もっと自信を持ってほしかった。制覇してみて、そしてその過程でいろんな世代の人とスーパー戦隊シリーズの話をしてみて、こんなに幅広く話が通じることの奇跡を感じた。この素晴らしさに無自覚であったとは到底思えないが、切り捨てる判断をしたのなら企画段階で担当Pに伝えておくべきだったと思う。

 

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4.ONE PIECE

人間を増やしすぎて背景がごちゃついている。せっかく建物や自然をその島ごとに特徴的に描き分けているのに、文化的説明とか人間関係の整理とかの説明セリフで隠されているのがもったいない。想像したいので、絵を堪能させてほしい。

考察が当たっているからといって、それが外れるような話に迂回させないでほしい。自分の信じた「面白い」を突き進んでほしい。

 

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5.THE YELLOW MONKEY

『CAT CITY』の猫耳はやっぱりちょっとどうだったのかな、と思う。面白かったけど……

 

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6.サザンオールスターズ

もう何やっても無敵だと思うので、思いっきり尖った曲を出してほしい。ロックンロールしてほしい。

 

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7.さまぁ~ず

ああなっちゃった以上、松本人志とは決別してほしかった。別に関わってなくても仕事はあるのに。

 

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8.アメコミ映画

まずはMARVELのMCU。インフィニティ・サーガ(『アイアンマン』~『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』まで)以降、あまりにも惰性で中途半端だ。思い切り前のめりに作ってほしい。

DCのDCUはまだ様子見な状況ではあるが、いつまで経ってもジェームズ・ガンの手腕に任せっきりではいけないぞ、と思う。

 

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と、いうことで。今まで言及したことのあるコンテンツに絞って書いてみた。

 

「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」だと思っている。一度好きになった時点で、自分の中で同時に好きになれない何かも生まれる。それが「意見」であって、それが「自分」だ。「自分」さえ人道に外れていなければ、「意見」は「攻撃」にはならない。かくいう私は、人の「意見」を聞くのが大好きだ。自分の持っているものと比べて遥かに強度の高い「意見」を目にして「どうしてああなれんのだ……」と凹むことこそあれ、それで逆恨みすることも、ましてや自分の「意見」を捻じ曲げることもない。

 

全てを面白がるつもりで、全てを疑いながら観ている。

 

「好き」も「好きになれない」も、全てを大切に抱きしめて私は今日も生きる。

それでは最後に、「好きなのに好きになりきれないもの」の画像で締めます。

牡蠣です。(あんなに旨いのに人間の胃腸をトラウマ級に破壊するらしいので)

制覇企画『ウルトラマンシリーズ全部観る』やります!

全国80億人のウルトラマンシリーズファンの皆様、こんにちは。ワキリントです。

 

『私立アメコミ高校』から心機一転、『チョモラマン・スクラップブック』を看板に据えて活動をやっていくことにした2026年でございますが、そんな今年はなんとウルトラマンシリーズ60周年という記念すべきアニバーサリー。

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引用:https://x.com/tsuburayaprod/status/2006502291898323061

 

私2025年、スーパー戦隊シリーズ50周年を勝手に記念して『スーパー戦隊シリーズ全部観る』を一人で開催、ひっそりとその目標を達成しておりまして、であれば続いて微力ながらウルトラマンシリーズを盛り上げるお手伝いを……などという高尚な動機はございません。

 

ただ好きだから、全部観たい。

 

それだけです。

 

ぼくは彼女の歴代の恋愛遍歴とかも平気で聴けます。バラエティ番組とかでたまにある「彼氏ならわかって当然!恋人クイズ!!」みたいなのに全問正解したい。即答で。多分こういうのを世間一般では「変態」と呼ぶのでしょう。望むところです。生涯愛し続けるその覚悟の表明として、その全てを知りたい。この変態性を今は彼女がいないので、好きなヒーローたちに向けていて、今年はウルトラマンシリーズになると、つまるところそういうことなのです。

 

2026年中はウルトラマンのことばかりを語るブログになること請け合いです。たま~に普通に観た映画のことも話しますが、きっとそれ観ながらウルトラマンのこと考えてます。

 

浴びます。いや、浸かります。ウルトラマンシリーズに。

 

いやぁ楽しみ。ウキウキすんね。

 

……ん?

 

んん!?!?!?!?

 

 

たっ……

 

 

助けて〜〜〜〜!

 

ウルトラマーーーーーーーーーーン!!!!!

 

 

こういうことをしていきます。↓↓↓

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【始動】『チョモラマン・スクラップブック』、始まります!

こんにちは!元は『私立アメコミ高校』というブログでアメコミ映像作品のレビューをやっておりました、ワキリントと言います。

 

この度、10年目となった当ブログのスタイルチェンジに伴いまして、ブログ名を『チョモラマン・スクラップブック』へと改名しましたことをご報告いたします!

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以前はMCU(MARVEL原作のアメコミ映画をひとつの世界観でシリーズ化させちゃおうという試み。『アベンジャーズ』(2012年)とかのやつ)のブームに火がつくギリギリ前、日本にアメコミ映画ファンが増えることを目標に、肩をブンブン回しながらせっせと記事を書いておりましたが、そんな中で育まれた「ヒーローは、どこにでも居る」という価値観と、アメコミのみに縛られていたスタイルとの間にズレが生まれてしまい、また役者の卵としてアウトプットをお芝居に注力していたこともあり、記事の更新をお休みしている時期なんかもありました。

 

なんやかんやあってブログに復帰した際、アメコミ映画に限らず観てきたもののレビュー、身の回りで起きたことの雑記などを、ブンブン回してた力をこれでもかと抜いて書いておりましたが、そうなってくると『私立アメコミ高校』というタイトルとは乖離が生まれてしまいます。

いやぁ〜さすがに、マズいよね〜……笑 と思いつつ、多少愛着もあったブログ名、なかなか変える踏ん切りがつきませんでした。が!2025年に個人的に始めたスーパー戦隊シリーズ制覇企画の成功を勝手に勲章としまして、ブログのコンサルをして下さる方へ「自分のブログ、どすか?」と伺ってみたところ、沢山のめっちゃ参考になるアドバイスと共にひとこと!

 

 

 

 

 

「ずれている?」

 

 

 

 

 

 

 

「え、やっぱり?????笑」となりました。というわけで、背中を押していただき、今回の『チョモラマン・スクラップブック』へと生まれ変わりを図った次第でございます。

ココナラで親身に対応してくださった結騎 了さん、マジでありがとうございました!

 

で、肝心のブログ名。分かります。分かりますよ。

『チョモラマン』って何やねん」「ホンマにヒーローのこと話すブログなんか?」という声、関西弁でしっかりとぼくの耳にまで届いてます。安心して。説明するから。

 

前提として、ぼく「ワキリント」という人間の説明をしなければなりません。

1996年生まれ(今年で30歳!こーわっ!!) のぼくにとって、幼少期のヒーローといえば『仮面ライダークウガ』なのです。

皆さんにも居たはずです。幼い頃に心踊った何かしらが。それが今でも変わらず好きな方もいれば、あれこれ移り変わって楽しんでいる方もいる。ぼくのヒーロー好きは極論、幼い頃に『クウガ』と出会ったから始まっているのです。そうしたヒーローたちに、ぼくは人生を支えてもらいました。道標として生きてきました。

そんな『クウガ』作中に、エベレストの別名「チョモランマ」を「チョモラマン」と言い間違えるというニッチな名シーンがあり、何を隠そうそのキャラクターが人々の暮らしを守るクウガの活躍を報道する新聞記事を「スクラップブック」にウキウキ切り貼りしていた……!というのが、『チョモラマン・スクラップブック』の正体なのです。

 

幼少期の『クウガ』もそう、『私立アメコミ高校』時代のアメコミ映画好きもそう、私は「ヒーロー」が大好きなのです。何度でも繰り返しますが、ぼくは色んなヒーローに生かされてきました。その活躍を、まるでスクラップブックにチョキチョキ、ペタペタ切り貼りするかのように、このブログにおさめていきたい。そうすることで次第に皆さんが、ぼくという人間の輪郭を掴めるようなブログにできれば……そんな想いが込められています。

 

なんかね、ChatGPTにも聞いたんです。「ヒーローと日常というテーマでブログをする際のタイトル案、なんかある?あ、雑記みたいな感じがいいから、『枕草子』みたいな古風なのでちょうだい」って。そしたら凄いのね、『ひいろうの草子』とか『ヒーロー手帖』、『よろづ勇ましきものの記』みたいに、結構良い案を出してくれてたんですよ。

 

そういうのぜーんぶ無視して『チョモラマン・スクラップブック』にしてやった!!!!!!

 

ざまぁみろ!!!!!!!!!!

 

AIはすっごい助かりますけど、閃いちゃったんで。

まぁでも、「降りてくる」みたいな瞬間ってあるやないですか。それこそクウガのクワガタムシを模したマスクデザインも、紆余曲折を経て頭を使ったデザイナーさんの閃きであれ(最高カッチョカッチョマスク)になってるじゃないですか。知らない?超クウガ展、行ってない?行くべきでしたよ。絶対に。

 

全人類。

 

 

 

 

 

 

80億人が。

 

 

それは置いといて、逆にブログアイコンはしっかりAIにお願いしました。マジで助かる。画像の権利関係とかもしっかりしたい(今までしてこなかったことがすげ〜問題ある。ごめんなさい)ので、一新するにあたっての素材をどうするか、めっちゃおずおずとやっていたので、このままじゃいつまで経っても再始動できんぞ、という不安をChatGPTが救ってくれました。イラストとか、自分で描けりゃあまた違ったんでしょうけれど、こればっかりはどうにもなりません。認めよう。この分野に関しては頭を下げざるを得ない。

 

たーだ!!!文章に関しては!

 

絶対にAIなんかにゃ書けねぇ文章書いてやっからな!!!!!!

 

そのためにぼくはわりかしレビューの中に雑記が混じるような、なるべく「日常の中でこれを観て、だからこう思った」みたいなことを書ければいいな〜と思っています。「自分」が一番のブルーオーシャンだと思ったので。

というわけで、心機一転生まれ変わった『私立アメコミ高校』改め『チョモラマン・スクラップブック』を、どうかご贔屓によろしくお願いします!

【ご報告】『私立アメコミ高校』、変わります。

こんにちは!ワキリントです。

 

長年飽きもせず本校(当ブログのこと)にお付き合い頂いている生徒(読者)の皆様には、こういった挨拶スタートも久しぶりですね。懐かしかった?でも、変わります。『私立アメコミ高校』は。変えます、ちゃんと。と言った方が正しいかな?

 

なぜ?という疑問にお答えしましょうね。これもうすっごい簡単。先読みしてみ?絶対当たるけん。賭けてもいい。

 

……賭けた?

 

賭け得よ?

 

こんな楽なギャンブル、ないよ?

 

……あでも、そんなギャンブルおもんないか。ヒリつかんもんな……勝ち確の恋愛ってドキドキせんもんな……え、「早よ言え」って?

 

……ハァーッ(深ぁいため息)……スゥー(胸いっぱいの深呼吸)……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと待ってよ!!!!!!!!!!

 

あのね?曲がりなりにも10年近くやってきたブログなわけ。それをね?「変えよう」って言うんだよ。言うなれば連日連夜あーでもないこーでもない、こんな人間に___たとえば、誰よりも強くムキムキで男らしく育ってほしい、という想いを乗せて「剛力ラオウ丸」と名付けた我が子が10歳に差し掛かる辺りでめちゃくちゃ水疱瘡とか溶連菌とかかかりまくって、もう強くなくてもいいので健康に育ってほしいから「健太」に変えるために区役所へ行く、みたいな___この勇気を表明するまでの心の準備ってのがさァ……

 

 

こっちにもいるっつーの!!!!!

もうッ!

 

 

……さて、、、茶番はこの辺にして『私立アメコミ高校』を「健太」にしようと思うに至った経緯をそろそろ話しますか。楽しかった?そういえばこういう読む人の方を向いた書き方もしばらくしてなかったね。

 

『私立アメコミ高校』、変わる理由はズバリ……

 

 

 

 

 

アメコミ、ぜーんぜんやってない。

 

 

 

 

 

ね。2025年中って52本、実に週1ペースで授業(記事)を行っていたらしいんですが、そのほとんどがスーパー戦隊シリーズ制覇企画の記事、あるいは日常の雑記ばかり。これじゃあ法律のこと全然やらなくなった『行列のできる法律相談所』やないかい、と。法律をやらんかい、という視聴者のお叱りの言葉もごもっともだろう、と。そんなこと言うんなら紳助が引退した直後に終わらすべきやったんちゃうんかいという反論はグッとこらえて、この内容じゃあ『私立アメコミ高校』、ひいては「アメコミ映像作品についてのブログ」を名乗るわけにはいかんだろう?というわけでございます。

 

そういうわけで、名前とか、プロフィールとか、そういったディテールが変わります。具体的には、ここ最近のスタイルに即した雰囲気に沿うような。あるいは、ブログを続けていく中で、ぼくの中に根ざした「ヒーロー」という存在に対しての考え方が反映されるような。決して『健太』とか『法律以外のことをダラダラ喋る広場』にはなりませんので、あしからず。『健太』になると思った?もう少し人を疑うことを覚えた方がいいよ。ただ限りなく「剛力ラオウ丸」から「健太」に変えるような、そういう「枠の拡大」「リーチする層の拡張」を狙ってのテコ入れだと、そういうのにしていきます。精神としては『法律以外のことをダラダラ喋る広場』と一緒。MC変わらんだけだけマシやろ。なんやったんやあの番組。長寿番組のツラして。

 

逆に言えば、ぼくのやることは大きく変わったりしません。色々経験して、ぼくなりのブログができている実感が最近強いです。これからはもう少しだけ読んでいただける皆さんの方を向いて、ぼくが世界に注いでいる愛情がなるべく伝わるように活動していきます。

 

約10年、『私立アメコミ高校』を可愛がっていただき、本当にありがとうございました。

思えば「こんなに面白いアメコミ映画が、日本で日の目を浴びていないのは勿体ない!」という想いで、「ほら、子供が観るもんだと思ってナメてるかもしれないけれど、アメコミ映画ってこんなに面白いんだよ!学びがあるんだよ!」という情熱で始めたブログでした。

しかしこんなブログが無くても、アメコミ映画というコンテンツは一時期の映画業界の覇権を勝手に握るまでに成長しました。意味がある活動だったかどうかには疑問が残りますが、一人のアメコミ映画好きとして、データの海に何かを残せた体験は貴重でした。

 

これからはもっと自由に、広い視点で。名前はまだまだ考え中だけれど、きっと気に入っていただけるブログになると思います。

 

……あ、学校ではなくなります。

 

めっちゃダルいんすよ、「なぞらえる」のって……マジで……

 

 

 

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『私立アメコミ高校』、ありがとう!

【総括】【山ほどネタバレあり】『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』感想 なんでもない日常に響く

今日この日を、いずれ若人に話すのだろう。

 

あの日はちょうど雪の日で、

 

高市さんが急に解散したもんだから選挙に行ったんだ、

 

寒くてたまらんかったわ、クソムカつく、と。

 

『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』が終わった。それ即ち、1975年から続いたスーパー戦隊シリーズ、50年の歴史が終わった事を意味する。

 

「一旦」という言葉は使わない。公式もそう仄めかしているし、テレビ朝日も復活に対して好意的で、であればと各メディアでも「一旦休止」という表現を使ってはいるが。

 

「終了」は紛れもない「終了」だ。「一旦」の優しさに甘えているに過ぎない。「一旦」であってほしいと願うワガママに過ぎない。事実としてスーパー戦隊シリーズは「終わった」。

 

新たなシリーズは始まる。嫌悪感も高揚感もなく、驚く程にフラットなテンションでいる。話が面白ければ良し、つまらなければカス。いつものスタンスを崩していない。

 

だからこそなのかもしれない。「スーパー戦隊」がない世界で、私はどう生きればいいのか、何も知らない。だから変えられないだけなのかもしれない。

 

そんな諸々の不安は置いといて、『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』は本当に、本当に楽しかった。

 

ゴジュウジャーの面々のみならず、ユニバース戦士として彼らの前に立ちはだかるキャラクター達のなんと個性的だったことか。それらが抱える物語性が変身(エンゲージ)する戦隊のテーマにも沿った上で、ゴジュウジャー達の物語性やパーソナリティーと共鳴し合うように面白くなっていく様。

 

本人キャストの客演という爆裂切り札は『ゴーカイジャー』で使ってしまったのに、また似たようなことしてどうすんの?という放送開始前の不安は「あぁぁぁぁッ!!!『ディケイド』ね〜!!!!了解了解〜〜ッ!!!これはこれでおんもしれェんだよねぇ〜!!!!」で一瞬のうちに払拭された。

 

それでいてゴジュウジャー達が指輪争奪戦のライバルでありながら、日々のナンバーワンバトルをワチャワチャ楽しんでいく様。

 

結局最終回でも「『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』の終わりはこれしかねェだろ」と言わんばかりに子供じみた競争で誰がナンバーワンになるかというのを楽しむ結末を迎えたところからも、「ありふれた日常の尊さ」に気づかせてくれる作品だったように思う。

 

まずもってレッドがそういう日常から切り離されて生きることを余儀なくされた人間だった。そんなはぐれものの奇妙な1年間を追いかけて、これまでのレッドがそうであったように、自然と彼を、遠野吠を愛する人々が集まった。

 

「指輪争奪戦をやり直す」。勝者となった吠の願いは、戦闘狂だからとか、願いが決まりきらなくて保留したいからとかではないことくらい簡単に分かる。

 

あいつらに会いたい。

 

持ってはいけなかった喜怒哀楽、色んな感情を思いっきり出したい。

 

そんな未知の体験に連れて行ってくれる人生を生きたい。

 

そう、我々が『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』で遠野吠の目を通して観てきたものは、彼自身には驚きの連続で、楽しくて、ワクワクする、明日は何が起こるのか、自分は何を思うのか……そんなキラキラした「非日常」だったのだろう。

 

それを「日常」と呼んで生きる我々には、まぁ刺さる。悲しまないように、ムカつかないように、過度に喜んだり楽しまないように、意図してないものに巻き込まれないように自分の気持ちを抑えて生きる「日常」は、何故わざわざそれを望んで選んでいきているのかと疑問に思うくらい窮屈だ。

 

そうやって押し込められた自己の中でも、人は願いを抱かずにはいられない。だから抗う。もがいて手を伸ばす。自分を押し潰そうとする「日常」の枠組みから、本能的に。そしてそれはほんの少しでいい。

 

他の誰かが同じように伸ばした手が触れたら、そして互いが互いを引っ張り出したら、それはもう非日常だ。正しくスーパー戦隊シリーズでやる意義のあるテーマだったと思う。

 

そしてまぁ、一連の不倫→未成年飲酒→降板からの「代役:志田こはく」の奇跡のリカバリー→ビビるくらい合成丸分かり、という、東映と我々ファンの関係性を象徴するかのようなハプニングについても、言わずにおくのもかえって気持ち悪いので言うことにする。

 

何事も起こってなければ「スーパー戦隊シリーズ終了」だけのショックで済んでいた(たまったもんじゃないけどね!!!)。報道が重なってしまったが故にあらぬ推測も立ったが、時が経ったらまた会ってみたいな、それまでどうか悪い大人に捕まらないで、と思える女優さんだ。

 

SNSが発達していたら『バイオマン』の時もこんな風になっていたのだろうか……そんなスーパー戦隊シリーズの歴史の追体験をさせてくれた(せんでもいい、てかせん方が50倍いい)1ヶ月あまりは、辛かったが楽しかった。

 

あんなにニュースになって、イチから説明せずとも今の特撮について自分がどう思っているか話すことなんか、これまで一度もなかった。

 

人に特撮の話ができる。この非日常。結局のところ私はこれが欲しくてずーっと飽きずに特撮を観続けているし、スーパー戦隊シリーズを制覇して、感想を記事にまとめたのだな、としみじみ思う。

 

書きながら整理がついた。私はもう自分を疑ったりしない。終わったとか正直どうでもいい。私がスーパー戦隊シリーズを心の底から愛している、その本当だけは隠せないし、続いていくのだから。

 

特撮の話を、ヒーローの話をこれからもずーっと続ける。この非日常が日常になるまで、何年も、何十年も。

 

……そういえば、観測している範囲で言っている人間がいないので言っておく。

いざ掴め! 願いを!!

いざ掴め! 願いを!!

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『ティガ』で生まれ、『クウガ』で育つ。

マウントとりたいワケじゃない。

全ては皆と、アツい話をするために。

 

私立アメコミ高校、ワキリント。

 

私が特撮オタク、ナンバーワンだ。

 

 

 

 

 

スーパー戦隊シリーズに最大級の愛と敬意を込めて!




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