『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』を再見したので感想。
宇宙世紀0079年。地球への降下を試みたホワイトベース隊だったが、シャアの妨害によりジオンの勢力下に着陸することとなってしまう。アムロ・レイらホワイトベース隊は、地球連邦軍のわずかな補給に助けられながら、ジオンの歴戦の兵たちと交戦しつつ、地球連邦軍総司令部のあるジャブローを目指す。
『機動戦士ガンダム』の劇場版第2作は、前作の公開から4か月後の1981年7月公開。地球でのアムロらの戦いを描くこの『哀・戦士編』は、ランバ・ラル隊との死闘、オデッサ作戦、ジャブロー攻防戦と見せ場の連続で、すぐれた活劇映画になっている。監督は1作目の二人体制から富野喜幸単独のクレジット。上映時間は2時間14分で前作とほぼ変わらずだが、導入がない分、アクション映画としての密度は濃くなってスケールアップしている感じがうれしい。相変わらずの編集の巧みさで、TVシリーズの総集編だということを意識せずに鑑賞した。
戦争映画としてのトーンは1作目からさらに強まっていて、ホワイトベースに白兵戦を仕掛け、「戦いに敗れるということはこういうことだ!」という鮮烈なセリフを遺して散るランバ・ラルを皮切りに、マチルダ中尉やリュウ・ホセイ、ミハルなど固有名のあるキャラクターたちの鮮烈な死が印象に残る。死んでゆくものと、その死を背負って戦い続ける戦士たちの群像劇。その意味で『哀・戦士編』というタイトルはこの映画のことを端的に表象している。
ジオンのスパイとして登場し、カイ・シデンと淡いロマンスの兆しをみせたあと非業の死を遂げるミハルの挿話が、主人公であるアムロにはさほど影響がないにも関わらず贅沢に尺をとっているなと見返して感じた。この挿話の有無でカイのキャラクターがまとう陰影は雲泥の差があるというか、これがなければ単なるニヒルな冷笑野郎なので、この構成によってかなり救われれているし、「哀・戦士たち」の群像劇としての厚みはより増すことになっているとも思った。
そうした暗い展開を、井上大輔による「風にひとりで」で抒情的に盛り上げ、一方で「哀戦士」でさわやかに浄化してみせるあたりのバランス感覚もおもしろい。結部の、ホワイトベースと並行して飛ぶフラミンゴの群れの場面も印象深く、1作目のギレンの演説による幕引きとは対照的に、作中で結構な死者を出しながらも結構明るいトーンで終わる。見返して、改めてすぐれた作品だと思いました。
