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霊能と酒


人は誰しも高位の霊的世界と繋がる霊的中枢を持っていて、

 

その霊的中枢の機能は瞑想なり集中なりにおいて、徐々に開発されていくものだと思うのですが・・

 

その中枢機能は、酒に乗っ取られる。

 

「自分は酒を飲んでも酔わないよ」なんて人でも、酒を飲んだら、そもそもの中枢機能は働かなくなり、しかしそれは飲んでる本人にはわからない。

 

・・と、つくづく思うのだが・・僕は飲む・・

 

酒を飲むと、感情体が増幅して、高位の霊的世界と繋がる中枢は、その機能を失うが、その機能があるかのように、感情体は、まやかしの中枢機能を拵える。

 

そのまやかしの中枢機能は、結構馬鹿にできなくて・・

 

たとえば霊能・・

 

・・瞑想なり集中なりにおいては、高位の霊的世界と繋がるが・・酒を飲むと、低位の霊的世界と繋がる・・まやかしの中枢機能が働くからだ。そう、このまやかしの中枢機能は、本当に馬鹿にできない。浮遊霊や生霊が、見えやすくなるのだ。そして、見える自分にうぬぼれやすくなる。

 

僕、ここ何日か、酒、飲んでなかったけれど・・昨日の夕方、無性に飲みたくなって、飲んだら・・見えるは見えるは・・

 

まあ、なんていうか・・よく、霊能欲しがる人、いるけれど・・そんなものは、ちょっと修行すれば誰でも身に着くと思うのだけれど・・霊能は身に着けることがいいことではなくて、その霊能が、どこと繋がるか・・そこが大事だと思います。

 

たとえば・・霊能強くて、浮遊霊と友達になっちゃって・・浮遊霊にそそのかされて酒浸りになり、病んでる人とか・・いたりする。

 

高位の存在と繋がるように、ある意味修行を課していかないと・・人生、乗っ取られちゃう・・そういう危険が、霊能の開発には伴う。

 

高位の存在と繋がる、その軸的なものを持とうとしないと・・持ってかれちゃう・・

 

僕はこれからも・・酒は飲んだりするだろうけれど・・なんていうか・・気をつけよ、っていうか・・

 

そんなこと・・思ったりする・・です。

 

まいった


ステーションワゴンが流行っていた時に、僕も乗ってたシルバーのステーションワゴンを、夢の中の僕は乗っていた。

 

その夢の中、車を僕は、家の近所の月極駐車場に、停めた。その月極駐車場と、僕は契約をしているわけではなかったのだけれど、

 

・・ちっとぐらい、いいだろ・・

 

そう思って車を降りて、で・・しばらくしてからその駐車場に行ったら、僕の車がない・・

 

駐車場の持ち主が、レッカー呼んだのかな・・まいったな・・

 

でも、契約してない車を勝手に停められて、駐車場の持ち主も、まいったな、って思ったんだろうな・・

 

人生のなかで、まいった、って思うことはよくあること・・夢の中でも、まいった、って思うことはたまにある・・

 

そういえば、じゃないけれど・・最近まいった(詣った)台東区の鷲神社・・その時の動画・・です⇩

 

ちゃんと車、コインパーキングに停めて、詣りました。

 

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重なる


友人が病院でお腹の手術をする・・

 

その手術前に、何人かが集まって、その友人のいる病院の病室にお見舞いに行くことになってて・・で・・

 

その友人に、僕は以前、暴言を浴びせて苦しめて・・

 

だから、その友人がいる病室に行くのは、僕的に躊躇うものがある。

 

僕の顔を見たら、その友人は、怒りを露わにするだろう。

 

望まれていない見舞いの来客としての僕に、僕はこれから、なるのかならぬのか・・

 

望まれぬ来客にならず、病室に足を運ばなければ、あのとき僕がその友人にもたらした怒りは、このままずっと、消えないまま、その友人に残り続ける・・だろう。

 

望まれぬ来客として病室に出向けば、その友人は、怒りを顔に、体に、現わしながらも・・徐々に、怒りは霧散していくのだろう。

 

どっちを選ぶか・・どっちを選んでも、いいんじゃないか・・そう思い始めて・・

 

僕は見舞いに行かず・・洗濯を始めた。洗濯機の中で洗いあがった洗濯物を、洗濯ピンチに干しはじめていたら・・ちょうど今頃、集まった何人かが病室でその友人を見舞っているはず・・その、病室の光景が浮かんできて・・

 

(なんで来ねえんだよ)

 

友人のなかに、僕への新たな怒りがこみ上げている、その顔が見えた。

 

怒りのミルフィーユ・・

 

という、昨日の夢。

 

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居直る


現実的なものは理性的である

理性的なものは現実的である

 

・・このヘーゲルの言葉に救われたことがあった

 

ボロボロだった。

 

自分のなかに、なんにもなくなっていた。

 

そんな自分から、次の自分にいく術もなく・・

 

ただ苦しんでいた。

 

救われたくて・・教会に、懺悔でもしにいけば、なにか変わるんじゃないか・・そう思って・・とりあえす三浦綾子の自伝小説を読んだ・・

 

読みながら・・キリスト教の、この宗教世界に生きるには、僕には欲望が多すぎて、とても無理だ・・そう思った・・こんなきれいな生き方はできない・・そう思った・・でも、きれいになんなきゃいけないのかな・・

 

三浦綾子の宗教世界は、その時の僕にとっては、すがるべきもの、掴むべき藁、としては、厳しい・・そう思った・・思いながら・・でも、ただ、ひたすらに救われたかった。

 

本棚に、中公新書の「ヘーゲル入門」があった・・人からもらい受けて、そのまんま本棚に並べていただけだった、その本を、読み始めた。

 

現実的なものは理性的である

理性的なものは現実的である

 

・・神の摂理・・

 

救われたい今の自分の現実・・これも、神の摂理か・・神=理性が生み出したものか・・

 

じゃあ、しゃあねえ・・

 

これでいいんだ・・

 

今の自分で、いいんだ・・

 

救われようが救われまいが・・今の自分で、いいんだ・・

 

そう思えて、救われた。

 

それで・・徹底的に、今の自分に居直ることにしたのが・・四半世紀を超えた昔のこと・・

 

です。

 

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なるほど


家の近くに中3の息子が通う塾があって、

 

塾に行ってる息子から、LINE・・

 

・・皆既月食、撮っといて・・

 

月も星も撮ったことないし・・それに・・なんか、面倒・・

 

息子から連絡が来るまでは、そう思っていた・・撮るつもりはなかった・・

 

でも・・しょうがねえな・・思った。

 

三脚にカメラ、そして望遠レンズ・・家の前の道にセット・・

 

あんまり人通りも車通りもない、っていうか、少ない道の脇で、月にレンズを合わせた・・なかなかピント、合わねえな・・思ってた・・

 

それでも、カメラのモニターには、月が結構大きく映ってた。

 

・・見せてもらっていいですか・・

 

一人の男性が僕に声を掛けてきて・・どうぞ・・なんか、うまく合わないんですよ・・

 

・・AUTOにした方が・・男性は言った。

 

僕はマニュアルモードで、絞りその他を設定していた。

 

男性がカメラをいじりだしてくれた・・おー!・・きれい・・

 

モニターの中の月・・きれい・・

 

いい出会いと、きれいな月・・だった。

 

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緑の宇宙


椅子に座って姿勢を整え、複式呼吸で気を鎮めながら、瞼を閉じって印を組む・・瞑想・・かつてよくやっていたものだが・・

 

最近はだらしがない感じの僕・・なんだろう・・

 

やってなかった・・

 

で、再開することにした・・

 

自分の部屋の中でもやる・・が・・

 

昨日の土曜は・・前日の金曜に続いて、なのだが・・川越成田山の本堂の中に入って、不動明王に見守られながら、瞼を閉じていた。

 

瞼を閉じて、しばらくすると闇の雲が開けて、星が輝く気持ちのいい宇宙に吸い込まれていく・・が・・

 

昨日・・成田山の本堂・・目を閉じて・・まだ、闇の雲が開ける前に、お護摩が始まった。

 

僧侶たちが読経する・・太鼓が響く・・

 

読経と太鼓の音に包まれながら、僕は瞼を閉じ続けていた・・

 

あれ?・・

 

闇の雲が、太鼓の音と調子を合わせるように、どんどん開けていく・・

 

そして、今までみたことのない宇宙の色・・緑だった・・

 

緑の宇宙に、星が散らばってた・・きれいだった。

 

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空き地にて

 

昼下がり、1時間ばかり横になってた時の、夢。

 

・・・・・・・

 

車で江ノ島の近くまで来た。

 

車には家族が同乗していた。

 

もうすぐ海だ・・狭い路地を走ってた。薄暗い、土産物店が並ぶ路地。

 

・・あとでこの辺、歩こう・・車の中で、僕は妻にそう声をかけた。

 

江ノ島に来たら・・そう、あのいつもの場所に車を停める。そこは『ただ』なのだ。

 

料金のかからない、空き地。

 

空き地の縁に、車を停める。

 

どこに停めようかな。

 

停めようにも、空き地の縁には多くの車がすでに停まっている。

 

縁以外の、その空き地では、おじさんたちが草野球の練習をしている。

 

そのおじさんたちの野球チームに、僕は所属している。

 

見つけた空きスペースに車を停めて、車から外に出ると

 

「久しぶり」

 

ひとりのおじさんに、声を掛けられた。

 

「ご無沙汰してます・・今日は野球しにきたんじゃないんですよ」

 

そうおじさんに告げると、僕は少し淋しくなった。

 

「全然出てこないじゃない」

 

「ええ、両手が痺れちゃって、うまくボールが握れない気がして・・それで、おいとましてるんです」

 

他のおじさんが、近づいてきた。

 

その人は、野球チームのメンバーではなかった。

 

「駐車料金4000円ね」

 

「はい」

 

僕は長財布から千円札を4枚抜き出して、そのおじさんに手渡した。

 

・・・・・・・

 

寝覚めに考えた・・そもそも、あの空き地は駐車代がかからないはず、だったよな・・

 

それをいいことに、そこに車を停めるのを僕は、江ノ島に来た時には常としていたわけだ。

 

あの、土の空き地に。

 

人と車でぺったんこの、あの、土の空き地に。

 

僕に駐車料金を請求しに来たあのおじさんは、土の妖精なんだろうな。

 

ぺったんこにされて・・気持ちのいいものではないだろう。

 

せめて4000円、払っておいて、よかったな。

 

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間接照明の西


たなびいている雲の向こう、太陽は霞んでた。

 

だから西の空は、間接照明のオレンジ色だった。

 

日曜のお出かけの、帰途を辿る車が多いんだろうな・・荒川に架かる治水橋・・橋の丁度真ん中あたりで渋滞。

 

・・渡りきるまでしばらく時間、かかりそうだな・・と思った。

 

久しぶりにカーナビのテレビをつけてみた。騒がしくない番組を探した。

 

しっとりとしたナレーションで熊野の寺を紹介する番組・・3チャンネル、テレ玉(テレビ埼玉)の番組・・騒がしくなくていい・・と思った。

 

そして、テレビの映るカーナビ画面には目を向けず、しっとりとしたナレーションには耳を傾けず、オレンジの空に浮かぶ遠くの富士山のシルエットを、見てた。

 

押しつけがましさのない番組だから、僕はそうした。

 

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秋のタケノコ


人は覚醒する間際の夢を覚えてたりするものだけれど・・

 

夢の中の意識が土の中の意識だとすれば、

 

覚醒後にその土の上をそっと撫でると・・

 

あったあった・・夢の意識をみつけることができる。

 

さながら、夢の意識は、春のタケノコ、なのだ。

 

 

お昼寝してたら・・タケノコが詰められたダンボールが夢の中、山積みに、家の玄関に届けられて・・

 

こりゃ、随分な量だな・・と思いながら、そのダンボールたちを家の中に運び込んでた。

 

さあ、あのタケノコたち、どうするか・・今、考えている。

 

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ずっと、思ってきた。

 

この世の中には怒りや憎しみが蔓延している・・

 

そういう、ある意味『負』とされる感情・・よく、「手放して」みたいに言われるけれど・・占い師なり、スピに傾倒している人には、そういうセリフを言いたがる人が多いと思う・・けれど・・

 

まあ、過去世で『徳』を随分積んだ人ならば、「はーい」みたいに手放せるのかもしれないけれど、

 

僕はその意味ではあんまり『徳』を積んできてはいないから、「手放して」とか言っちゃう人には・・「お前、世間を生きてないんかい」みたいにひねくれた気持ちが起こっちゃう。

 

というか・・手放しても、手放されたその『負』の感情は、消えるわけではなく、見えない形でそこここに存在し続ける・・その感情は誰かに乗り移ったり、自分に引き戻されたりする。

 

人間は、ある意味『感情磁力』を持っている。

 

引き離して、反発力でガードしても、そのガードを緩めれば、いつでもくっついてくる。

 

簡単に手放せて、あー、楽になった・・で、おしまい・・にはならないのだ。

 

だから人は苦しむし、僕は苦しむし・・

 

恨み辛みの感情に飲まれて、その苦しみの中で自ら命を絶った人を、僕は身近に何人も、知っている。

 

その人たちに「手放しな」と言ったら、その人たちは自ら命を絶つということを、避けることができたのか・・

 

「こいつ、他人事としてしか思ってないだろ」

 

そう思われるだけだと思う。ふざけんな、と思われるだけだと思う。

 

占い師やスピに傾倒し、ある意味どこかから拾ってきた『きれいごと的な言葉』で人をたしなめる人間は、無能だ・・そういう無能が、占い師やスピに傾倒している人には多い。

 

『負』の感情への対応を自分の経験から掴む・・その蓄積を全く持たないで、『知ったか知識』を語る人が、あっちにも、こっちにも・・オウムがゴロゴロしている。

 

そんなこと、僕はずっと、思ってきた。

 

ずっと、思ってきた。

 

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人は、多くのものと、生きている


深夜に洗面台の鏡を覗いていたら、鏡に映る僕の背後に、人影・・

 

ときどき現れる、いつもの人影だった。

 

『人影』っていうか、『影の人』っていうか・・

 

悪い人じゃないと思ってる。

 

近代スピリチュアリズムを齧ったことがある人なら、その多くの人が知ってるハイズビル事件の、ラップ音の主みたいに、強く何かを伝えたがっている・・っていうわけでもないみたいだし、

 

スピリチュアル好きな人なら、その多くが知ってる、相曾誠治さんによって祓われた霊のように、抱く悲しみと憎しみに打ち震えている・・っていうわけでもない。

 

ときどきしか、その存在を現すことはないが・・僕にとっては、この家に一緒に住んでる住人・・家族だ。

 

家族だから・・挨拶くらいは、するようにしようかな。

 

「おはよう」

 

とか。

 

人は、多くのものと、生きている。

 

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知の道 地の道


あ、やっちった・・

 

そう思うことはよくあるのだけれど・・

 

やってみてから襲う後悔には、強弱があって、

 

その強弱の度具合っていうのは

 

やっぱり、やってみて、分かる・・やってみて、知れる・・

 

 

結構たいしたことないことなのに

 

後悔の度具合が、強かったりして・・

 

 

そんなことも、知る。

 

 

そしてその、後悔という思いを引き離したくて

生み出した現実をなんとかしようともがいたりして

 

で、知るわけだ。

 

もがく、というその思いも、知る。

 

 

後悔を知り、もがきを知り、

 

だから、人の知は「やっちまった」ことで膨張をつづける。

 

その膨張は、個人的な知の膨張でありつつ、共感性の膨張であり、

 

いわゆる知ったかぶりとしての知識の膨張とは

 

レベルが違う。

 

 

 

骨身に沁み、骨身を削る、そんな知、なのだ。

 

知の道という地の道、これからも踏んでずっと歩くと思うと

 

やんなっちゃうな・・

 

やんなっちゃうけれど、この道、

 

人は、生命体は、何億年も何兆年も、歩いてんだよな・・

 

仕方ねえか・・歩くか・・

 

と思いました。

 

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窓の外は暗くなってた


やっと収まっても、やっぱりここじゃない・・

 

なぜならその八百屋には、ロクなものが売ってなかったからだ。

 

その八百屋の駐車場は、車が入れづらくて、何度もバックと直進を繰り返した。

 

やっと一台分の枠に・・ま、収まったかな・・

 

車から出て、店の中・・品ぞろえを確認し、

 

・・やめよ・・

 

苦労して、せっかく車を停めたのに、僕の判断は意外に早かった。

 

別にその店には客がきていないわけではないし、だから寂れているわけでもない。むしろ、スーパーが乱立するこの時世のなかで、そんな時世とは無縁に商売を続けるしたたかさを感じる店だった。

 

あっちはあっち、こっちはこっち・・みたいに、ある意味、己の商売スタンスに、ひたすら忠実であろうとする、そんな気概が漂っていたから、僕はその店の前を車で通りすぎるたびに、いつか行ってみよ、と思っていたのだ。

 

そして、行った・・駐車には苦労した・・

 

その苦労を報われたい、あるいは労われたい・・という気持ちで店に入ったわけではなかった。だから、店の品ぞろえを見て、苦労がアダになった、とも思わなかった。

 

ただ・・やめよ・・と思っただけだ。

 

他に客はいるし、店の人は忙しく動いている。

 

活気はある。

 

でも、そこにあるものすべてが、僕にとっては、無用だった。

 

でもせっかくだから、なにか一つくらい・・なんて気持ちも起こらず、

 

・・っていう夢を、リクライニングした椅子に寝ながら見てて、寝覚めの窓の外は暗くなってた。

 

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淀み


7月も、もうすぐ終わる。

 

今年の7月と来年の7月は、地球の人間構成も随分変わるはず・・

 

スピリチュアリズム的に言えば、人間は死なない。魂は死後も存続する。しかし肉体存在としての人間の、その命の構成は、今年の7月と来年の7月とでは、変化は免れない。

 

来年の7月、僕はこの地球で、肉体存在として存在しているのかどうか・・

 

ある意味、今世における僕的使命が来年7月までに完遂できているならば、僕は来年の7月、肉体を脱いでいるはずだ。

 

そしてしばらく・・何百年かは、この地球に、肉体存在としては戻ってはこない。

 

今世における使命を達成できず、不慮の出来事によって肉体を脱がねばならなかったとしたら、転生は早いはずだ。浮かばれない魂は、天界に上昇できず、受肉を急ぐ。

 

いずれにせよ、僕は肉体を脱いでも、再びこの地上に肉体存在として、降りてくるだろう。未熟な魂を進化させるための試練として。

 

この世界にいる、全ての人間は、未熟だ。未熟な者と未熟な者が争い、未熟な者が未熟な者を裁き、未熟な者が、未熟な者を敵として未熟な正義を掲げる。

 

争いも裁きも正義も、未熟な自分に固執した、魂の淀みそのものだ・・その淀みを、僕は生きている。

 

生きた分だけ淀みは増す。随分、僕は淀んだ。来年の7月は、もっと淀んでいるだろう。淀みを肥やしにしなければ、蓮の花は咲かないように、淀みの中にしか、天命は光らない。

 

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胃は偉大

 

ああ・・全然飲んでないな・・

 

買ってそのまま、な感じのサプリメントのさまざま・・

 

服飲の適量も確認しないで、あっちもこっちも、な感じで、適当にガバガバ服飲したら、気持ち悪くなった。

 

こんなに蒸し暑い今なのに・・蒸し暑いはずの今、なのに・・寒い・・

 

暑さゆえではない、ねっとりとした汗・・

 

空腹の胃に、大量のサプリメント・・胃に可哀そうなことをした、と胃に謝った。

 

想えばずっと、ずっとずっと、僕が口から摂取したものを受け止め・・そう、ずっと受け止め続けてくれている胃。

 

そんな、寛大で優しい胃を、僕は苦しめてしまっている。

 

本当にごめん・・僕は自分が悲しくなった。

 

苦しめてしまっているにも関わらず、なんていうか・・胃の偉大さを、感じている。

 

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