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年に1度、仏教徒だと思い出す

 

気づいたらもう6月。娘は3年生になってから、友達との結びつきが強くなっている。

毎朝仲のいい友達が家までお迎えにやってきて、仲睦まじく一緒に登校している。放課後は定期的に男女混合で近くの公園で遊ぶことになったらしく、毎週金曜日は学童に行かないと言い出した。

これを期に、週一鍵っ子にしてもいいのかも。ただ、大人が不在なのでキッズケータイ持たせるべきかどうか。うーむ。

勉強のほうは、毎朝きちんとワークをやっているものの、前ほどの熱量はなくなっている印象。明らかにベクトルが他に向かっている。少し緩めてもいいかもね。習慣が途切れてしまった時は考えよう。

 

 

さて、今日は永代祠堂経のお勤めに参加してきた。

お寺さんとは母が亡くなってからの付き合いなので、かれこれ4年ほど。 毎度住職からありがたいお話を拝聴し、自分の生き方を振り返るいい機会になっている。年に1度浄化されに行っているような感じ。 ほとんど義務感で行っているようなものだけど。(納骨堂使用料の納入と、門徒という立場のため)

 

今日の講話では、難しい単語が色々出てきた。生死一如とか…。生きている以上、死亡率は100%という、身も蓋もない言葉。いつか必ず死ぬし、どんな未来が待っているか見えないし、得体が知れないから怖いと感じるし不安になる。だから怖くて自分都合で生きがち。

でも、仏教では相手があっての自分であり、相手がいるからこそ成立するという考え方。自分都合だけでモノを考えると、災いが起きるってことは私も同意する。生きるって難しいね。

仏教の考え方で生きていくのは尊くて素晴らしいけれど、とっても辛いもの。

"大丈夫、すべて任せなさい"と仏様は言ってくれますよ。というお話。

 

解釈が合っているか不明だけど、曲がりなりにも仏教徒なので、教えを守っていってみよう。思うことは沢山あって当然だけど、具体的には相手を尊重する、決して攻撃はしないこと。辛くても道は外さない。仏様が味方してくれるはず。みたいな。

 

住職の話しぶりが漫談チックで面白くて、うっかり本筋を忘れそうになる。娯楽として参加するのもアリ。

お勤めに参加する意味って、死者を通じて自分の生き方を見つめることらしい。死んだ人を忘れないようにって意味かと思ってた。

 

 

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↑昨日、年に一度の地元きっての夏祭りに行ってきた。正直、ほぼぼったくりと思ってしまう。子供たち恒例の真似っこで屋台のおやつ作りを手伝う。

 




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