dアニメストアで見ていたので。
なお俺はちゃんとみたのはファーストガンダムだけで、それも抜けがあるかも知れないという程度。ターンエーは途中までテレビシリーズを見て途中で面倒になって劇場版を見た。それ以外も最初の数話をみて面倒になってやめたシリーズがある。
エヴァはシンの最後のやつはdアニメストアの見放題に入っていないので見ていない。それ以外は1回ずつ見た。
さて、ジークアクスの感想だ。
まず、ロボット漫画やロボットアニメなどロボットの登場する作品には二種類ある。ひとつはロボットが意志を持たないアニメであり、ファーストガンダムはこれに当たる。もうひとつはロボットが意志を持つアニメであり、鉄腕アトムなどがこれに当たる。
なお、エヴァはロボットではない。そして人造人間でもない。あれは神の作りし物(に人間がちょこっと手を加えた物)だ、と俺は思う。ただし、人間たちは自分たちが作った人造人間だと思っているのかも知れない。
さて、ロボットが意志を持つ作品世界と、ロボットが意志を持たない作品世界は別の世界である。両方のロボットがいる作品もあるじゃないかというだろうが、それはロボットが意志を持つ世界である。つまり、すべてのロボットが意志を持たない世界と、意志を持つロボットが存在する世界の二つの作品世界がある。
この分け方をするなら、ジークアクスはロボットが意志を持つ世界である。だって、シンジシュウジ(全部間違ってたけど、後から他は上書きした)が「とガンダムが言っている」と言っているから。間違いない。というか、最終話でも、またそれ以外のいくつかのシーンでも、ジークアクスが意志を持って行動している。この世界はそういう世界なので、それ自体がいいとか悪いとかいうことではない。
一方、ファーストガンダムはロボットが意志を持たない世界である。というとハロが意志を持っているように行動しているように見える場面があるかも知れないが、ハロはあくまでもアムロの作った意志を持たないロボットであり、それっぽい行動をしているだけ。というのがファーストガンダムの世界であったはずだ。
さて、そのシュウジだが、「とガンダムが言っている」というのがシュウジの特徴的なセリフである。しかしアニメには演出というものがあり、演出には省略が欠かせない。全部の言葉に「とガンダムが言っている」と付けるとセリフ回しが鬱陶しくなるから、省略するのも演出である。俺が言いたいことはつシュウジのセリフはすべて「とガンダムが言っている」セリフなのであり、シュウジ自身のものではない。と俺が言っている。俺の妄想がそう言っているのだ。
というのは、この作品にはこの世界と向こう側の世界というのがあり、シュウジは向こう側の世界から来た存在である。そして向こう側の世界というのは、アニメのファーストガンダムの世界である。ファーストガンダムというアニメ作品の世界なのである。向こう側の世界に存在しているのは、ファーストガンダムに登場した人物やモビルスーツ、モビルアーマーやその他の兵器などであり、ファーストガンダム作品に登場していないものは、向こう側にも存在していないのである。
しかしシュウジという人物もそれに相当する人物もファーストガンダムには登場していない。ここから、考えられる(妄想できる)ことは一つである。シュウジは人間ではない。では何か?
俺の答えは、エルメスのビット(のひとつ)が人間の形に変化したものということである。ビットが人間の形になるなんてことが起こるのかという疑問もあるだろうが、それくらいのことは余裕で起こるのがこの作品世界である。
ビットはサイコミュで操作される兵器なので、シュウジも形は人間であるが、他者によって操作される存在なのである。操作しているのはもちろんガンダムである。赤いガンダムに乗っている時は赤いガンダムがシュウジを操作している。意志を持っているのはガンダムであり、シュウジには意志はない。操縦席に座っていても、操縦はしていない。赤いガンダムがシュウジを操作して、操縦しているように見せているのだ。ちょっと待て、シュウジが風邪を引いた時? 体は人間だから風邪を引くのはおかしくない。うまく操縦できなかったのは何故か。赤いガンダムがシュウジを操作して、ガンダムを操縦しているように見せるための動きと、ガンダム自身の動きがうまく合わなかったからという説明はどうだろうか。
ガンダムが意志を持っているというのはジークアクスの行動もそうだが、ジフレドのビットがニャアンを守る射撃をしたのも、ニャアンが操作したのではなく、ジフレドの意志による射撃であると考えられる。
そして操縦席に座っているように見えても、実は操作されているのはシュウジだけではない。
マチュとニャアンも主人公という席に座っているけれども、自分の意志で行動してる訳ではない。本人は自分の意志で行動しているように思っているかも知れないが、実際には大人たち(ファーストガンダムの登場人物のこっちの世界の対応する人物たち)に操られているだけだし、最後はストーリーの都合に合わせて制作者側に都合よく操られているだけ。そういう印象が強い。俺にとってはね。大人たちに操られているのは意識的にそう作っているんだろうけど、最後に自分の意志で行動、というようには俺には思えなかった。
この作品で一番の(都合のいい)操り人形はセイラさんだけど。
余談:
登場人物は死ねばいいってもんじゃない。だけど、生きてればいいってもんでもない。
前半の二人は無駄死に、最後の何人かは無駄生き。ギレンとキシリアは死んでもいいけど。
物語の必然として死んだキャラを生かすのは二次創作。ファンの二次創作としてはアリだけど。
更に余計なことだが、EDアニメはよい。好き。