休職が始まって間もない頃、書店で2つの小説を買った。ひとつは(ポップなどを見て)自分の感覚で選んだもの、もうひとつは一般教養として世界的に有名な作家の代表作。前者は楽しく読めたが、後者は読みながら気持ち悪くなってしまい、上巻だけでギブアップしてしまった。
その作家に対する知識が全くないまま手をつけたので、頻繁に出てくる性描写に気分が萎えた。こういうのを美しいと思っているのなら反吐が出るほどに。活字で読みたいのはそういうんじゃないんだよな。しんどさの方が上回ってしまい、主人公の喪失感なんて全く感じられないまま投げ出してしまった。
自分の中で少なからず期待していたものに対して悪い意味で裏切られると、自分が攻撃されたわけでもないのに落ち込みに近い感情を持ってしまう。精神を良くするために療養しているのに、何をやっているんだろう。もう「名前だけならよく知っている」程度の有名作家は信用しないことにした。
先日、山中さわおソロバンドのツアーファイナルを観に行った。元々ソロ活動の方は熱心に追っていなかったのだけど、ピロウズ解散後の初ツアーということで、ミュージシャンとして復活した様子をどうしても見届けたい、という意思があった。しかし極力知人に会う気分になれず、チケットの整番がかなりうしろでもあったので、開演ギリギリに入場してフロアの出入口付近でステージを見ていた(偶然近くに居合わせたフォロワーさんとだけ喋ったりした)。
ピロウズは大好きなのだけど、SNSでみんなの愛とか熱意を感じるポストを見ていて、何だか共感が出来ず徐々に気持ちが冷めていっている自分がいた。バンドが解散してからはそれが顕著で、熱がどんどん無くなっていく。加入していたファンクラブも躊躇うことなく無料会員に変更していた。
結局のところ、自分はthe pillowsというバンドや曲が好きだっただけで、山中さわお個人の活動には以前より関心を持てなくなってしまったのだ(周りと比べた主観だが)。仮に「お前はもうバスターズじゃない」と人から言われたとしても、納得してしまいそうなくらいには。これまで色々ピロウズを題材にした創作をして、しかもピロウズやプレデターズのコピーバンドをやっている身として、熱量が無くなっていること自体にはそれなりに気に病んでいた。ここ数ヶ月にわたる喪失感の根本的な原因はこれなのではないか、と自覚するくらいに。
それでもライブは良かった。正直なところ、このツアーを見届けたらもうさわおさんのライブに行くことはなくなるかもな、と思っていたけど、公演中はそんな考えも自然と忘れて楽しんでいた。新譜はほとんど聴いていないものの、表題曲の『あの花はどこに咲いている』は自分の中で響くものを感じて繰り返し聴いている。ライブでは、そこから『All memories』に続く流れが美しかった。
良い意味で吹っ切れた。諸々の熱意が無くなってしまっても、ただそういう事実があるだけでそれ以上でも以下でもない。これからも行きたいと思ったライブに行って気分に任せて楽しもう、という気持ちになったのだった。周りの空気に合わせる必要はない。
一緒にコピーバンドやっている友人がメンバーとして加入したオリジナルバンドのライブも観に行った。曲がどれも良かったし、何より気持ちよくベースを弾く友人の姿が輝いて見えた。
ふと、自分がドラムを叩いている姿はどう映っているのかが気になった。ドラムを叩くのは楽しいし演奏中は思いのままにやっているつもりなのだけど。魂の抜け殻みたいな状態の自分は、ステージに相応しくない形に見えてしまうのではないか、という不安がよぎった。恥ずかしくない姿でいられるだろうか。
今は精神の療養に専念しないとだけど、自分の目指すべきあり方とか、信じたい美しさとか、そういうものをちゃんと考えないといけないのかもしれない。まぁそんなものはまた何かのきっかけで一瞬で崩れてしまうのかもしれないけれど。
休職中の身を活かして、植物館とか生物園とか行ってきました。先週末には初めてデザフェスにも行って、サクッと何かを買うつもりが合計1万円以上の買い物をしてしまいました。文学フリマと完全に同じ状態ですね。それにしてもマジで外暑い!
