3月は仕事のストレスで精神が荒れていた。業務そのものよりも、人に気を遣う場面が多くて苛立っていた。細かいことは書かないが(既に日記に書いてるかもしれないが)、いつ誰かを怒らせてしまうか分からなくてビビっていた。
そういった状況によるものなのかは分からないけれど、一度体調を崩してからずっと微熱が治らない時期が続いていた。土日に休んで多少マシになっても、5日間働きストレスを溜めて、体調は元通り悪化、というループの連続。
実際、当時の課長は自分に対して相当イライラしていたと思う。しょうもない調整ミスを連発する自分が悪いので仕方ない。でも正直こちらも腹が立つ場面だってあった。職場の運営に関わることをあんな雑にあしらわなくてもいいだろ、ふざけんなボケ、と。自分と同じで精神的余裕のキャパが小さい人なのだろう。同族嫌悪だ。
幸いその人は年度が変わって異動したので、今は職場に居る苦痛も少し和らいでいる。新年度からは担当兼務になったので、きっとまた忙殺されるのだろうけど。
4月に誕生日を迎えて、30歳になった。毎年誕生日はろくな目に遭わないというジンクスがあるのだけど、今年は仕事のない週末で、しかも自分のコピーバンド(フラワーカンパニーズのコピバン・有限会社 花)のライブもあったので比較的楽しく過ごせた。本家フラカンのドラマー・ミスター小西がライブ衣装でよくツナギを着ていることにちなんで、自分もワークマンで買ったそれを着てステージに立ったのがこだわりのポイント。
ライブでは『発熱の男』を演奏した。フラカンの中で、自分がいちばん好きな曲だ。発熱の男のドラムは、エイトビートとクローズリムショットが叩ければ簡単にコピー出来るのだけど、サビのキックだけは特に強く聴かせようと意識して演奏した。曲の歌詞にも出てくる「心臓の音」をイメージしたかったからだ。
今の自分の状況は、まさに『発熱の男』の歌詞みたいなものだ。仕事も趣味の活動もそれなりにやってきたけれど、自分の無能さは変わらないし達成感も分からない。やり場のない憎しみをずっと捨てられずに抱えていて、人生のステップも何ひとつ進んでいない。段々と自分への諦めが強くなり、何をやっても意味がないしめんどくさいだけだという気持ちが大きくなって、あらゆる気力がなくなった。書きたいことも言いたいこともやりたいことも忘れてしまった。
去年は2作目の日記本を作ったり(全然売れなかったけど)、知人の企画で短歌やエッセイや小説を作ったりで、かなり活動的な年だった。可能な限りの表現を試みて、20代の締めとしてはちょうど良いものだったとは思う。今はすっかり空っぽになった。本が全然読めなくなり、日記も文章も書けなくなった。インプットが無いので当然アウトプットも無い。労働とソシャゲのデイリーをこなし続けるだけの毎日。
はてなブログやツイッターを始めた5年前から、ずっと何か活動を絶やさずにいたい気持ちに駆られていたと思う。どこかの界隈の中で、一目置かれる存在に憧れがあった。でも自分にはそれを目指す体力や気力がなく、多くの人と繋がれる性格でもないことが分かった。色々動いていて疲れてしまったので、ペースを落として休むのもいいんじゃないかな。周りはそれぞれ、何を目指さなくとも楽しくやっているのだし。
コピーバンドの活動にストレスは無いし、何だかんだでドラムを叩いているあいだは気持ちも晴れてくるので、これだけは継続してやっていきたい。人との繋がりが持てる数少ない手段でもあるので。まだ奮い立てられるだろうか。ライブ前に体調を崩してリハーサルを休み、リアル発熱の男になったりしたけれど。
有給休暇を繋げて、11連休のゴールデンウィークを過ごした。連休中は多少外には出たけれど、基本的に毎日家で自堕落な生活を送っていた。仕事とライブの練習で疲れ切っていたので、そこから離れたかったのだ。少しくらいはドラムの個人練習をしようかとも思ったけど、結局一度もスタジオには行かなかった。
近所のスーパー銭湯に、久しぶりに行った。サウナにも入ったけれど、あんまりととのう感じはしなかった。やっぱり自分はサウナよりも湯のほうが好きだなと思う。ぬるくて広い露天風呂に浸かりながら、形にならない考えごとをしていた。いつ来ても人が多くて全然足を運ばなくなったけど、こういう時間って大事だなと再認識した。
