好きなバンドが解散した。
学生の時にグッと引き込まれ、社会人になってからはずっとライブに通い応援していたバンドだ。
ツアーのファイナルを終えた翌日に、公式からアナウンスがあった。メールを読みながら衝撃を受けたけど、瞬時に浮かんだ言葉が「うわー、ダメだったか…」だった。
有料ファンクラブのブログを読んでいれば、バンドやメンバーが右肩下がりの不調であったことは嫌でも分かると思う。ツアーの最中や、何なら昨年の周年ライブでも、演奏に(一瞬だけど)違和感を持った部分もあった。
ブログを通して、フロントマンのあまりにもつらそうな状況を察してしまう。強いストレスを受けながらやりたくないことをやらされる苦痛はよく知っている。それが膨大なファンや関係者を持つミュージシャンなのだから、ただの社畜である自分とは、プレッシャーも比べものにならないはずだ。ブログの文章から感じる強い失意が、自分と重なるような気もした。僕が何を発信したところで何も変わらないし、どうせ意味なんてない。
そんなことを思ったので、Xのタイムラインの重たい空気感とは違い、僕自身は解散に対して「まぁあんだけしんどい状態なら仕方ないよな」とあっさり割り切れてしまっていた。
それでも、もう二度とあのメンバーでのライブが観られないという現実は、時間をかけて重くのしかかってくるのだと思う。フロントマンは今後もソロで活動するのだろうけど、ソロの方はそれほど熱心には追っていない。音源は毎回買って聴いているけれど、どこかイマイチハマらない。
前回のツアーはチケットを持っていたのに行かなかった。家を出た直後にいきなり気力がなくなってしまった。ソロのアルバムは10年以上前にリリースした1枚への思い入れが強く、コロナ禍で開催されたツアーでそれらをほぼひと通り聴けたことで満足してしまったのかもしれない。ライブに行ったら行ったで絶対楽しいとは思うのだけど。
バンドの解散とは関係なく、自分の熱意がどんどん失せていくのを感じる。ライブの前後やブログの更新後に盛り上がるSNSタイムラインを、どこか冷めた気持ちで眺めている。そのバンドが好きであることは変わらないのに、何だか着いていけない。自分はそこまで熱くなれない。普段のタイムラインよりも、おすすめから流れてくるキャラクターのイラストを見ている方が心地良くなっている。熱い気持ちに共感出来ない、つまらない人間になってしまった。

先日、Enfantsのワンマンライブを観に行った。感想は最高だった。会場のリキッドルームは、Enfantsの前身だったバンドが最後のライブを開催した場所だ。そこで再びワンマンをやるというのは、メンバーにとっても特別な気持ちだったそう。
「Q.」「E.」「D.」三部作の曲をすべて引っ提げたセットリストは満足だったし、音源とは大きく違う力強い音と言葉がストレートに響いた。2024年から2025年への年越しの瞬間に聴いていた曲が始まった時は涙が流れ、普段は全くしないのにたくさん叫んで喉も潰れた。
Enfantsは、ここから本当の意味でスタートするんだなと思えるライブだった。前身バンドの活動終了から約3年。当時は熱心に追っていたバンドが終わってしまい悲しい気持ちになっていたけど、最高の形で復活した。感動と快感に酔いしれた80分間だった。
ライブを通して、自分が信じている気持ちを確固たるものにもしてくれた。ボーカル・松本大さんのMCは、人に共感出来ずあらゆる感性がなくなっていく自分を肯定してくれるようだった。まだまだ自分には好きなものがあって、それが身近な人たちに影響を与えることはないだろうけど、自分が信じる幸せのために堂々と追求したい。
しかしそれは、学生時代に自我を作ってくれたあの人だって何度も言っていたことだった。少なくとも今は、似たようなものでも大さんからの言葉の方が強く響く自分がいる。それでいいのだと思う。人生の土台を作ってくれた音楽があり、今をじっくりと見つめるための音楽もある。未来は良くなる気がしないけど、まだ1年くらいは大丈夫なんじゃないかな。知らんけど。
僕は自分の胸を打たれたあらゆる物事を「美しい」と解釈する癖がある。誰に理解されなくとも、自分の信じる美しさを忘れず、それに対して常に真っ当でありたい。そのくらいの信念は僕にもある。
まぁ、最近は家でタバコを吸いながら、今年始めたソシャゲをやり続けているだけのつまらない人間なのだけど。
