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ゲームを作る体験を作る

「ゲームは楽しいが、ゲーム作りはもっと楽しい」という話がある。遊ぶ側にいた人間が作る側に回り、ルールや手触りや演出を自分で組み立てることに別種の面白さを見出す。ゲームは完成品として面白いが、ゲーム作りはその面白さを自分で組み立てるという、さらに深い楽しさがある。

前の記事で、AIエージェントにGodotのゲームを作らせるワークフローについて書いた。AIが動くゲームを作り、テストし、改善案を出すところまでは手順化できる。しかし「このゲームの重心はここではない」と判断して方向ごと変える段階では、AIはてんでダメだという話をした。

だが、このAIの弱さは、別の角度から見ると面白さの源泉でもある。

AIと一緒にゲームを作っていて面白いのは、AIが無邪気に「これが面白いでしょう」と出してくるものを、人間が「いや、そこは違う」「そこはもう少しこうしないとだめだ」と直していく往復があることだ。AIはそれっぽいゲームをすぐ出すが、そのままで遊べる水準であることはまず無い。動きはするが気持ちよくない。ルールはあるが緊張感を生んでいない。スコアは入るがプレイヤーのテクニックやリスクを反映していない。そうした半端なものが、次々にこちらへ渡される。

そこで人間は、捨てる、活かす、ねじる、削る、置き換える、といった判断を行う。この過程は、普通のソフトウェア開発作業でもあるが、体感としては少し違う。むしろ、ランダム性の強いゲームを遊んでいる感覚に近い。予測しきれない盤面が現れ、それに対して最善ではないにせよ、納得のいく一手を考える。AIが持ってくる案は、ある意味でランダムイベントであり、人間はそれを受けてゲームデザインの観点から介入する。

これは自機に迫る敵をぶつけて破壊する、全方位シューティングっぽい見た目だがシューティングしないゲームだ。最初から適切なコアメカニズムが実現できていて、AIが初手で出すゲームとしてはかなり質が高いものだ。

なので敵の種類を増やして、ゲームにバリエーションを持たせようとした。AIはいろいろと凝った敵、例えば、自機を遅くするフィールドを展開する敵や、一定周期で周りの敵にバフを振りまく敵などを作ってくれる。ただそういった効果が薄かったり分かりにくかったりして、ゲーム展開に影響を与えない。なので効果をもっと強くしてとか、そのバフ効果パルスに押し出し効果を付けてとか、そういった調整をAIと人間の間で行い、ゲームを育てていく。

この往復が面白い。AIの出してくる敵のバリエーションやメカニズム自体は興味深いが、それがプレイフィールに与える微妙な差異はAIには分からない。AIにどういった指示を出して、それを調整していくか。AIが出す案は予測しきれないが、完全にランダムでもない。こちらの指示を受けて変化するが、意図通りにはならない。この半分だけ制御できる感覚が、ゲームを遊んでいるときの手応えに似ている。

ここで大事なのは、楽しさの源泉が、AIがうまくやってくれること、ではない点である。むしろ逆で、AIがうまくやりきらないこと、雑さや素朴さや無邪気さを含んだ案を持ってくることが、人間の介入余地を作っている。AIが完璧に良いゲームを最初から出してくるなら、この種の楽しさは無い。不完全な案が来るからこそ、ここを活かしてこう変えれば化けるという判断が生まれ、その判断を重ねること自体が楽しい。

ここでもう一段メタな話をすると、こういったAIとの協働によるゲーム作りの方法、それ自身を設計するところにも、また別の楽しさがあったりする。

ゲームを形作るための、アイデア発想、ルール設計、実装、調整、レベルデザイン、絵、音、などなど、どこをAIにまかせて、どこが人間がやるか。途中まで人間がやって後はAI、あるいはAIが先にやって人間が調整、この辺の分担パターンは無数にある。

ゲームが生まれ、壊れ、直され、磨かれていく過程——その設計自体が、ひとつの創作対象になってくる。「ゲーム作りは楽しい」に加えて、「ゲームを作る体験を作ることも楽しい」という遊び方が出てくる。

この辺をこねくり回して独自のワークフローに落としこむ、こういった作り方それ自身にその人の個性が出る。ゲームとは異なる場所に現れる、別の作家性となりうるかもしれない。

ただ、この話を手放しで喜ぶのはよくない。昔から「ゲームエンジンを作るな、ゲームを作れ」という教えがあった。ゲームを作るという本来の目的から、気持ちよく脱線できる領域に注意しろ、という戒めである。

AI時代には、「ゲーム作りの体験を作ること」にも同じ危険がある。制作フロー、プロンプト、評価ループ、タグ体系、改善手順、そうしたものを整えること自体が、とても楽しい。しかも一見すると、生産的なことをしているようにも見える。だが、気づくと「ゲームを作るための仕組み」を延々と作っていて、肝心のゲームは完成しない、ということが起きうる。昔のエンジン作りの罠が、今は別の形でやってきているだけとも言える。本来作るべきものは、あくまで完成したゲームであるべきで、あまり脇道に逸れるべきではない。

ただ別にその脇道を楽しむのも悪くない。その結果、いろんなゲームが出来上がればそれで良し、できなくてもそういったものを作る過程が楽しめればそれで良し。AIが出してくる「さあ、お前はこれを楽しいゲームにできるかね?」という挑戦に挑むというゲームを楽しみつつ、そのAIが出す挑戦自体の質も高めていく、というメタメタなゲームなのだ。




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