スタンデイングに行ってきた。
今日は一人であった。結構慣れっこで平気である。一人の時は、歌を口ずさむ。
今日は、「禁じられた遊び」である。あの避難する無防備のパリ市民を、ドイツ戦闘機が攻撃し、ポーレットの両親が殺されるあの最初の場面を思い出しながら歌う。
前にもアップしたと思う。
戦闘機は、殺人兵器である。
口ずさむといっても、口ギターまたは、この歌を初めて聞いたNHKみんなのうたの歌詞
「川のそばに今日もたてば・・・」である。これって、私は現在、歌詞があまり出てこない。
前にもブログで同じようなことを言ってた気がする。
2月23日の朝日新聞は、明日が新聞休刊日だからなのか、ウクライナ戦争のことを多く取り扱っていた。
1面・2面では、ウクライナの国民の苦境とロシア国民の生活の変わりなさ、7面では、ドローン恐れるウクライナという題で、ウクライナ軍の苦境を、28面では、日本に避難してきたウクライナの若い世代を取り上げていた。
8面の社説では、大国の非道を許さぬ結束を、という題で、トランプ再登場後の国際法秩序の軽視に警鐘をならし、法の支配のための国々の結束を訴えていた。
私が一番注目したのは、5面のロシアの継戦能力の高さの分析である。
軍事能力では、イラン・北朝鮮の支援、
経済では、中国・インド・トルコが化石燃料を買うことによる経済制裁の弱さ、
社会面では、反体制派の弾圧・言論抑圧によるプーチン支持率の高さ(80%台をずっと維持)である。
国際社会でも、ロシアが指定している非友好国(日本・EU・米国・韓国)とそれ以外の国(支援国・中立国)の人口比の図があって、圧倒的に非友好国が少ないのである。
戦争初期に知識人たちの多くが、経済制裁によるロシアの弱体化を言っていたのは(私もそう希望していたが)どうやら間違いだったのか。
トランプも、ウクライナに侵略された土地をロシア側に渡すようゼレンスキーに圧力をかけている。
ウクライナが土地をロシアに割譲すれば、それは、世界が侵略戦争を許容したことになる。国際法(法の支配)なんかどうでもいい。力が正義だということになる。
国連を作った、超大国アメリカが「法の支配」は必要ないなどと言う大統領を生み出していては、法の支配は、きわめて危うい。
近くでは、中国の台湾への武力侵攻もしやすくなる。
しかし、人類の数多の戦争惨禍の経験が生み出した知恵が「法の支配」だ。この考えが人類の共通認識になるのに、どれほどの血が流されたことか。
戦争惨禍を抑える、あるいは軽減する経験知が「法の支配」だ。
ロシアの侵略の正当化などできない。
何とかウクライナを応援したいものだ。
しかしもちろん戦うのはウクライナ国民だ。彼らが、戦争がもう嫌だというなら、ロシアの領土拡大もやむなしである。侵略もやむなし。法の支配の棄損もやむなしである。
そういえば、俺は、ロシア侵略後、毎年少額のお金でウクライナを応援してきたが、昨年はやっていない。
いつも悩むんだけど、今回はウクライナ大使館に寄付してくるつもりだ。明日。
何を悩むかというと、ウクライナ大使館への寄付は、戦争を応援するかもしれない、もっと戦えと俺はウクライナの人々に言ってるのかもしれない、と思うからだ。だからこの2年は赤十字社を通じて寄付していた。
ウクライナ大使館は、寄付されたお金は、武器には使いませんといっている(ネット上のNHKニュース)。
それは、日本向けの寄付募集だからだと思う。
世界は日本が武器輸出を実質上かなり制限していて、日本国民も武器輸出に反対という意見が強いと思っているのだろう。
現在、日本政府が武器を支援するという計画もあるという情報をどこかで見た。
正義のために戦う(この場合侵略という悪事と戦う)他人に武器を与えるのは、いいことか、という問題である。
自国民だったらどうか(自衛隊強化)、これは、専守防衛(侵略対応)だったら、現在の私は肯定する。ただしこの場合厳密な意味の専守防衛に限ってだ。
他人だったらどうか、正義のために戦う他人を応援する(その結果、命を失うことも)
のはいいのか、戦う人が同意してればいいのか、どうも心が揺れる。
いったん、無法を許すことになっても、人命優先で戦争をやめたほうが良いのでは、という気持ちもある。捲土重来ということもある。しかし、棄損した法の支配に捲土重来なんてあるか?
