8月6日は、内孫の誕生日です。今日で7歳になりました。
誕生祝いに、父母に連れられて岩手県に旅行です。朝8時ちょい前に出かけました。
孫は、近頃、老夫婦のクローゼットで寝ています。狭いところに、頭や体や足をぶつけながら寝ています。
約10日前、じい・ばあと寝るといってやってきました。2日ほど、一緒に寝ましたが、その後われらの部屋に付属しているWIC(3畳、ただし物置きのため、実質1畳ほど)で寝起きしだしました。
初め二日は、途中で目が覚めて、われらの布団にやってきたのですが、その後は朝までWICに寝ています。
2階にある自分の部屋で寝たらというんですが、「怖い」とのことでこうなりました。
父母から独立への1ステップなんでしょうね。
若者たちを送り出した後、NHKTVで、広島平和記念式典を見てました。恥ずかしながら、最初から最後まで見たのは、今日が初めてです。
40年ほど前、8月6日の広島の原水爆禁止世界大会に参加しました。その朝も、平和公園にいたのですが、式典の最中は、平和公園内をうろうろしていました。いろんな団体が、いろんなやり方で平和を訴えていました。
私は記念碑に興味を惹かれました。
原爆資料館内も印象深かったのですが、一番なのは、その夜の灯ろう流しでした。
大会は恐ろしく暑かったことだけが印象に残ってます。(実は、途中で抜け出して、安芸の宮島見学に行ったんです)
そのころは、東西冷戦末期で、中距離核兵器全廃条約が米ソ間で結ばれたころでした。その後冷戦が終結し、世界は平和へ向かうのだな、と思ってました。
ところがどこで間違ったか、2025年の現在、平和どころか、世界各国は、軍拡・自国ファースト一点張りです。プーチンは、ウクライナを核で威嚇し、トランプは、イランの核施設を先制攻撃、核保有国イスラエルのネタニヤフは、ガザを消滅させようとしています。核保有国の印パもきな臭い。再び核が大きな顔をしだしました。
昨年、日本被団協は、ノーベル平和賞をもらいました。それは、核兵器使用への垣根が低くなって、人類滅亡への(ノーベル平和委員会のみならず)世界の人類の、危機感の表れと思います。
広島平和記念式典は、1分間の黙とうの後、広島市長の平和宣言、子供たちの平和への決意表明、石破総理のあいさつ、国連事務総長のあいさつ(中泉さんの代読)などありました。
「おっ」と思ったのは、広島県知事のあいさつでした。彼は、世界各国の政治家がよりどころとしている「核抑止論」をきわめて明確に否定していました。
こんなことを言ってました。
「核抑止論は、非合理的で、概念・感情に依拠するもの。
歴史を振り返れば、抑止論が、破綻し続けたことは明白だ。欲望に取りつかれた指導者、熱狂する国民感情は、抑止できない。
太平洋戦争は、強大な相手に無謀に戦争を仕掛けた。このように各国政府・国民は、いつも合理的に行動するとは限らない。
もし抑止が効かなく、核が使われたら、概念としての国家が残っても、国民はいなくなる。人類・地球環境の破滅になる。
がれきに押しつぶされた被爆者が一筋の光を目指して這い出し生をつかんだように、我々も核全廃に向かって、一筋の希望を追いかけよう」
広島市長も、
①「核抑止」論に依拠する世界の指導者こそが、危険を拡散している。
②市民の立場で相互理解と協力を進め、共同で核廃絶を各国政府に働きかけよう。
③若者の「平和文化」構築に期待する。そのための援助をする
④核禁条約は、核拡散防止条約の基礎となるものだ。
⑤日本政府は、核禁条約第一回締約国会議にオブザーバとして参加してほしい
等といってました。
しかし、その後のNHKニュースでは、挨拶は石破総理のものが中心で、県知事のあいさつには触れませんでした。市長のあいさつには少々触れてましたが。
ここがNHKのダメなところです。
確かに、市長や県知事の発言は、核抑止論の日本政府の方針にあわないでしょう。
しかし、広島市民・県民の声は、市長や県知事の声明にあるのです。これをきちんと報道しないのは、大きく間違ってます。
この式典は、被爆死者に向かっての「安らかにお眠りください。あやまちは繰り返しませぬから」という広島市民・県民の誓いの式典なのだと思います。
政府の施策の宣伝の場ではないのです。
参加する世界各国の代表や日本の参加者は、広島の声を聴くために参加してるのでしょう。
総理のあいさつもあっていいと思います、放送もよいと思います。しかし、放送の中心は、広島の代表である市長や県知事の声でなければなりません。
8月6日に生まれた孫は、いつ気が付くのでしょうか。人類初の人類殲滅兵器=原爆が使われた日に、自分は生まれたんだと。
(8月7日追加)
今朝の朝日新聞には、子供たちの誓い、広島市長の宣言・広島県知事・総理大臣のあいさつが載っていました。読んでみますと、市長と県知事の言葉は、本文とだいぶ違ってました。本文は、耳で聞いたことを直後にまとめたものですので、違うのは当たり前かもしれません。しかし、そのままにしておきます。
私の文章は、彼らの真意をとらえているかどうかきわめて怪しいので、どうぞ文章になった彼らの話を直接聞いてください。