皮膚科で切開してもらったガングリオンですが、すぐに同じところにできてきました。
どんどん成長したのですが、気づかぬうちに、黒くなっていました。どこかにぶつけてつぶれたのでしょう。
そして、また同じところにガングリオン赤ちゃんが誕生しました。成長してます。
左手中指は、皮膚ではなく骨がでっぱりつつあるようです。抑えると痛いです。よく見ると左手人差し指も同様です。
これもひどくなったら、今度は整形外科に行こうと思っています。
ブログを減らし、指を休めたんですが、変化ありません。出たとこ勝負で行きます。
ということで、ブログ再開します。
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再開第一弾。
原爆を語るということー井上ひさしー「わしの分まで生きてつかあさい」
井上ひさし原作の演劇「父と暮らせば」について、井上ひさしが語っているNHKETV特集です。2000年の番組です。
番組でびっくりしたのは、この戯曲のため井上が傾注した努力の膨大さです。
主人公は、広島の臨時雇いの図書館の女性司書なんですが、その人物設定のため、徹底的に井上は、調べます。
井上は言います「学者さんが調べつくしても、わからない所から、話を構想する」
こんなことをやっているから「遅筆堂」なんて自ら言うんだな。
彼は、本が好きで図書館が好きで、そして、「伝える」という図書館の機能が、この原爆の話のテーマにあうと思って、主人公を図書館司書にしたといってます。
私は、演劇は見てませんが、映画は見ました。ただし、ビデオでです。
「父と暮らせば」というのは、ご存じの方も多いと思います。
原爆で父親・友人を失った女性が、好きな人ができたのに、「皆死んだのに、自分は幸せになっちゃいけない」と思い、恋をあきらめようとします。そこへ父親の亡霊が出てきて、娘の恋の応援をするという話です。
井上ひさしは言います。
恋する娘の心には、「恋を成就させ、幸せになりたいという気持ち」と「自分は幸せになる資格はない。あの時自分も死ぬべきだった。自分よりもっと美しい人・才能がある人が死んだのに」という気持ちがある。
実際、親友の母親に、「娘じゃなく、どうしてあなたは生きてるの」といわれます。
死んだ父親を登場させたのは、娘のぶつかるこの二つの気持ちを、見てる人に明確に伝えるため、と井上はいいます。
実は、この娘には、前に進めないもっと大きなトラウマがあります。
それは、劇の最後で明かされます。
原爆のあの日、がれきの下に体を挟まれた父親を見捨てたということです。
二人に猛火が迫ってきました。「助けてちょんだい」といっても誰も助けに来ません。父親は、「お前は逃げろ」といいます。娘は逃げません。言い合いになります。父親はじゃんけんでわざと娘を勝たせようとしますが、娘はその手に乗りません。とうとう父親は言います。「最後の親孝行と思って逃げろ。いうこと聞かないとわしは今すぐ死んじゃる」
3年後出てきた亡霊の父親は、生き残った罪悪感や父を見捨てた罪悪感から抜け出せない娘に、こう言います。
「むごいのう、ひどいのう、なしてこげな別れをせにゃいけんかのう。こげな別れは、末代まで二度とあってはならぬのう」
「わしの最後の言葉、聞こえとるじゃろ。わしの分まで生きてつかあさい」
「バカなお前が、わしの言うことを聞かないなら、別な人を出しておくれ。孫やひ孫を」
井上ひさしは、言います。
「広島の原爆に限らず、何かに生を断ち切られ死んだ人は、生き残った人に思いを託したのだと思う。こんな残酷なことは、二度とあってはならない。覚えておいてほしい。みなに知ってほしい。忘れずに伝えていってほしいという思いを託したのだと思う」
「犬死という言葉は、難しい言葉ですが、無念の思いで生を断ち切られた人の思いに
生きてる人が答えなければ、死んだ人はほんとに犬死になる」
「99%の絶望の中で、1%でも希望があれば希望のほうに生きていくべきなんじゃないかな。(核を持つ)大国を考えると、絶望な気持ちになりますが、抑止力のために仕方ないということも言われますが、その結果が、現在人類一人当たり通常爆弾3トン分の核兵器が存在することになりました」
「後に続くものを信じて走れ」という井上ひさしの言葉が思い出されます。
井上など著名な文化人・学者が結成した「9条の会」も創設者9人の中で、生存者は、澤地久枝さんだけだそうです。
わが相馬でも、9条の会は、休眠状態です。
一方で「核共有も選択肢の一つ」と代表がいい、「核兵器は安上がり」と候補者が言う参政党が、この参院選で大躍進をしました。
軍拡にブレーキをかけそうな共産党・社民党は、この選挙で大きく後退しました。
世界でも、自国ファーストがおおはやりです。この考えって、平和と戦争の数直線では、明らかに戦争に近づけます。
日本は、世界は、大丈夫でしょうか。
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この演劇を広島で初演したときの、井上ひさしの言葉も印象的でした。
「広島では、最初から最後まで、海の底にいるような感じで、笑い声も泣き声も一切聞こえませんでした。終わったときも拍手も起きませんでした。私はやはり広島でやっちゃいけなかったのか、と思いました。と誰かが拍手すると、拍手は海鳴りのように、なりやみませんでした」
「みな、顔はくしゃくしゃだったのです」
「ロビーにいますと老齢の婦人が、『作者の井上さんですか?・・・広島の言葉は美しい。私らはあの劇のような言葉をしゃべっておりました。それがどういう理由か、言葉が変わってしまいました』」
番組で井上ひさしは言います。「原爆で、半分の人がなくなって、広島では、人間と言葉が入れ替わったんですね」恐ろしや。
深い思索に裏打ちされた、しかも平穏・平明な言葉。井上ひさしの特徴のよく出ている番組でした。しかも現代に必要な、とっても大事なことを言っている番組でした。